午前中に家を出発して、昼ごろ長野県木曽福島駅に到着。
車で迎えに来てもらい、おばあちゃん家に着いて集まってた親戚みんなでお昼ごはん。
夜は諏訪湖の花火大会へ行くことになった。
今年で65回目を迎えるこの花火大会は、毎年全国からお客さんが集まる人気の花火大会。
会場方面の叔父さんの家がある村井へ車2台に乗り合わせ移動。
そこから電車で会場へ。
会場の方の雲行きが怪しい。
注意報も出ているらしい。
晴れ女を信じる!
きっと会場に着いたら止んでるさ。
・・・降ってるやん。
カッパを着て会場へ向かう。
着いたら小降りになって、止んだ。
やっぱり!
よかったー。
さっそくお弁当とビール。
おいしいなっ。
花火開始時に上がった雨。
オープニングは素晴らしく、ああよかったと思った。
しかし、しばらくすると、また降ってきた。
みんなでビニールシートにくるまり、きっと止む!と信じ続けた。
雨脚がどんどん強くなる。
花火の音が雷の音にかき消された。
開始30分で花火大会中止が決定。
どんどん強くなる。
ひたすらビニールシートの中で耐える。
外では叔父さん達がカッパを着てシートを抑えてくれてた。
雨どころかすごい嵐に。
シートに雨水も侵入してきた。
まだ止まないか。
雷の音も強くなる。
近くの病院の避雷針に雷が落ちた。
各地でも落ちている模様。
気付いたら周りの人たちがどんどんいなくなってた。
雨の中思い切ってそれぞれどこかへ移動したみたい。
係員が大丈夫ですかと声をかけてくれ、雨をしのげる工場跡地が近くにあるということだったので思い切ってそこへ逃げ込んだ。
まだまだ外は嵐。けどなんとか助かった気がした。
中は広くて、きれいなトイレもあり、割と快適だった。
ここで一夜を過ごすことになってもなんとかなるな。
ブルーシートの上に寝転んでみる。
持ってきた日本酒をチビチビ飲みながらみんなで固まって時間を過ごす。
電車は動いていない模様。
高速道路も通行止め。
駅の方へ向かった多くの人たちが心配。
しばらくすると少し雨が弱まってきた。
帰ろうと外へ出ていく人たちもいた。
おばあちゃんや小学生の子もいたから、むやみに動くのをやめた。
こんな経験は初めて。
なんだかドキュメンタリー映画の中にいるようだった。(とここではそんなことを思う余裕も持てた。)
声をかけてくれたある人は、奈良県からツアーで来ていたらしい。
またしばらくすると、係の人からお知らせが。
電車はまだ動いておらず、駅には3万人ほどの帰宅難民が集中している。
駅へ向かうのもひとつの判断、もしくは近くの避難所へ移動する選択をすることになった。
どちらにしても電車が動いていない。
誘導に従い、避難所へ向かうことにした。
移動中、全く動く気配がない渋滞の車の列が並んでた。
着いたところは避難所として開放された武道館。
床はマットレスのようで、寝転ぶには最適な場所。
ここで雨風をしのげるだけでも幸いだったけど、カンパンやおかゆ、あたたかい飲み物、毛布など色々用意してくださりとてもありがたかった。
私はカッパを着ていたのであまり濡れなかったけど、びしょ濡れになった人のために乾かすヒーターも用意された。
逐一係の人から電車の運行状況など説明があった。
午前0時頃にようやく電車が動き出すかもしれないとお知らせ。
駅にいた人たちはいつ電車が動くかも分からない中、屋根もないところで立ち続けて想像を絶するほど大変だったろうと思う。
そしてしばらくして動き出したと報告があった。
3時頃までは臨時で運行するみたい。(区間によっては動かないところもあり。)
いとこが午前1時頃に先発隊で様子を見に先に駅へ向かってくれた。
30分ほどしてホームに入れたということだったので、向かう事に。
夢だったのかな?と思うくらい雨がピタリと止んでる。
灯りがまぶしい。
午前2時頃、駅に着いてすぐに電車も来て、すんなり乗れた。
午前3時頃、無事叔父さんの家に着いた。
帰れないと思ってたけどよかった。
あったかいカップラーメンと、ビールをもらって飲んだら一気に生きた心地がした。
長い一日だった。
花火は残念だったけど、すごく貴重な経験をしたと思う。
自然の力は大きく、逆らえない。でもそれを乗り越えようと助け合う人の力も大きい。
親戚のみんな、お世話をしてくださった地元の人たちには本当に感謝です。