市役所の市民課長である渡辺勘治(志村喬)は、勤続30年無欠勤が目前という模範的役人である。仕事への情熱はとうの昔に失い、毎日書類の山に囲まれ、まわってきた書類にただ判を押すだけの無為な時間を送っている。ある日、下町の主婦達が「近所に汚水溜めがあるため子供が病気になる、何とかできないか、例えば公園を作るとか」と市民課に陳情にやって来る。だが、仕事への情熱を持たぬ渡辺は顔すら上げずに「土木課」とそっけなく答えるだけだった。主婦達は、市民課から始まり、土木課、公園課、水道課、衛生課・・・・・・・・と、役所内を転々とたらいまわしにされるが、どこでも真剣に取り合ってもらえず結局帰っていく。そして、渡辺をはじめ、誰もそんなことは意に介しない。
渡辺は病院にいた。最近胃の調子が芳しくないからだ。待合室で出会った患者との会話で、自分の胃痛が胃癌ではないかと疑う。だが、医師は云う「ただの胃潰瘍です」と。しかし、渡辺は自分が末期癌あると確信する。それも余命いくばくもない胃癌であると。
その夜、渡辺は、絶望感にさいなまれ、二階の息子夫婦の居間で、電気もつけずにひとり、息子の光男(金子信雄)の帰りを待っていた。だが、「自分が胃癌だと知って、どんなに心配し慰めてくれるだろう」と待って息子は冷たく言う「お父さん、僕たちの部屋に無断で入らないでください」と。・・・・・・結局、胃癌のことを打ち明けるきっかけすら失っった渡辺は、うなだれながら寂しく階段を下りてゆくしかなかった。
洒落た二階の息子夫婦の部屋とは対照的に、何もない自分の部屋に置かれた唯一の仏壇の中の妻の遺影を見つめる渡辺。2階の息子夫婦の部屋からは陽気なレコードが聞こえてくる。自分の病気を打ち明けたい、だが、きっかけが掴めない。できることといえば、一人布団の中ですすり泣くだけだった。
瞼を閉じると、20年前に妻が亡くなった日のこと、息子のために再婚話を断った日のことをが蘇ってくる・・・・・・野球で息子が活躍する姿を見守っていたあの日、病気で手術室へ運ばれてゆく息子を励ましたあの日、戦地へ赴く息子を駅で見送ったあの日・・・・・・あの日の父と息子は深い愛情で結ばれていた。しかし、藁をもつかむ思いで息子に頼ろうとした時、もう子供の心は遠くへ行ってしまっていた。渡辺は涙にくれて、ひとり布団の中で、息子の名を呼び続けるしかなかった・・・・・・光男、光男、光男。
翌日、渡辺は預金を下ろし町をさまよい歩く。市役所の同僚達は無断欠勤する渡辺をいぶかった。渡辺はあと1ヶ月で30年間無欠勤の表彰ものだったからだ。そんな渡辺は20年来の禁酒を破り酒を飲んでいた。そして、そこで知り合った小説家(伊藤雄之助)に自分が末期の胃がんだと告白する。そして、引き出した貯金の使えて欲しいと頼む。数十年ただひたすらに質素な生活を送ってきた渡辺には、お金の使いかたすらわからないのだ。小説家は、余命いくばくもないこの男に最後の快楽を味合わせようと歓楽街の案内役を買って出る。パチンコ、ビアホール、ストリップ、キャバレー、スタンドバー・・・・・・それらは、渡辺にとっては、いまだかつて来た事のない場所ばかりだ。しかし、そこには更なる絶望だけしかないことを知る。そして訪れたキャバレーで、ピアニストの伴奏に合わせ、ただ一つ知っている歌「ゴンドラの唄」を歌う。渡辺の目からは涙が流れ落ちる。
その朝帰りの途中、渡辺は市民課の小田切とよに呼びとめられる。彼女は、辞表に判をもらうために渡辺を訪ねるところだった。渡辺は、家に彼女連れ帰り、辞表に判を押してやる。息子夫婦はそんな様子を見て、父親が女遊びをしているのだと勘違いする。渡辺は、再びとよと家を出て、彼女に新しい靴下を買ってやり、喫茶店に入る。そして、とよの明るさに、少し笑顔をとり戻す。
渡辺は、市役所を辞め、町工場に働くとよの活気の源を知りたくて、彼女につきまとうようになる。そして、喫茶店で、渡辺は自分が胃がんであることを話した。そんな渡辺に、とよは町工場で作っているウサギの人形を出して言う・・・・・「今、こんなものを作っているの。結構楽しいのよ。日本中の子供と仲良くなったような気がするわ。課長さんも何か、作ってみたら?」
そう言われて、彼は初めて、事なかれ主義の盲目判を、機械的に押していたに過ぎなかった三十年間の自分の勤務ぶりを反省した。これでいいのかと思った時、彼は後いくばくもない生命の限りに生きたいという気持ちに燃えた。
渡辺は生まれ変わる。そのとき、その喫茶店の奥の席では、若き女学生達が友人の誕生日パーティーに「ハッピーバースデートゥーユー」を歌っていた。
その翌日から出勤した彼の目に止まったのが、かつて彼が付箋をつけて土木課へ回した「暗渠修理及埋立陳情書」であった。そして、すぐさま先日主婦達が陳情に来た例の汚水溜めのある土地の視察に出かけたのだ。そこは雨が降りだしぬかるんだ土地だった。雨に打たれながら、渡辺は確信した・・・・・・やる気さえあれば、この場所を公園にできると・・・・・・。
そして渡辺はそれから5ヵ月後に死んだ。出来上がったばかりの公園で、ひとりひっそりと死んでいたのだ。
渡辺の家で通夜が営まれた。市役所の同僚、部下、上司が集まった。主婦達も焼香に来た。残った渡辺の同僚や部下達は、5ヶ月前から突然変わった渡辺のことを話し始める・・・・・渡辺は凍死した、いや、自殺したのだ、いや、実は胃がんだった、しかし彼はそれを知らなかった、いや、知っていてその上で公園を作ったんだ・・・・と。
雨に打たれるのも忘れて、公園の建築現場を歩き廻る渡辺。公園課長の傍らでねばりにねばる渡辺。土木課、下水課、総務課と、通い詰め、公園計画を説得していく渡辺。助役にこの件は見送れといわれても喰らい下がる渡辺。そんな、何度も何度も踏みつけにされ、無視されつづける渡辺に部下の大野は云う。
「課長は腹が立たないんですか、こんなに踏みつけにされて・・・」
だが、渡辺は云う、
「いや、私は・・・人を憎んでなんかいられない。私には、そ、そんな暇はない」
渡辺は粘り強かった。断られても断られても何度も何度も粘り強く市役所内を説いて回った。
渡辺の部下達が聞いた生前の渡辺の言葉から、渡辺は自分の死を悟ってあのような行動にでたのだと、通夜の客は興奮し、自己弁護、自己批判、渡辺への賛辞などで湧きかえる。
そんなとき、公園で渡辺の帽子を拾ったというひとりの警察官が焼香にやって来くる。そして警官は言う・・・実は昨夜、公園で渡辺を見た・・・と。そして・・・・・あの時、声をかけていれば渡辺は死なずに済んだのではないか・・・・・と詫びる。だが、その警官は云う、「声をかけれなかったのは・・・・・・雪の降る中、ひとりブランコに揺られ、あまりにもほのぼのとした笑みを浮かべながら、幸せそうに何か歌を歌っていた。」からだと。
いのち短し 恋せよ乙女
紅き唇 あせぬ間に
熱き血潮の冷えぬ間に
明日の月日はないものを
いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 あせぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび来ぬものを
-ゴンドラの唄ー
降り積もった雪の中に、静かな顔で横たわる彼が発見されたのは、その翌朝のことだった。
「もし自分が余命いくばくもないと知ったら?」「もし自分の父や母が余命いくばくもないとわかったら?」どのように、にその残された時間を生きるだろうか、生きさせてあげたいと思うだろうか。「死」はいつか必ず訪れる。全ての生きとし生けるものには必ず訪れる。だが、残された時間は誰にもわからない。この作品は、「死」というものを通して、「生きる」ということ、そして「今を生きる」ということのもつ意味を、観る者の心にしみじみと伝えてくれる。
<後記>
海外の人に「最も素敵な日本映画(あるいはアジア映画)は?」と問われたら、どの作品を答えるだろうか・・・・・・沢山ある。でもはやり一つとなると僕はこの作品を選ぶだろう。日本映画という枠を超えて「最も感動した映画は?」と問われてもこの作品は必ず入ってくる。50年以上も前に作られた作品であるが、今観てもこの映画の完成度、普遍性には、震えるほどの感動を覚える。
この作品は、海外でも日本語の「IKIRU」で通じ、今尚多くの人々に観られている作品である。米「Time」誌が選んだ名作映画100選の中に黒澤作品が二本はいっている。そのうちの一本が『生きる』である。同時に同誌は『50年代の最高傑作』としてこの作品を選んでいる。
映画評論家 山田宏一氏の評論によると、『生きる』は、「ウンベルトD」「野いちご」とともに老いと死を見つめた映画史上の3大名作のうちのひとつとしてみなされ、他人の幸せのために人生を捧げる献身と犠牲のテーマにおいてチャップリンの「ライムライト」にしばしば比較されるそうである。当作品は、1953年度ベルリン国際映画祭銀熊賞。
2005年に書いたものになります