風の吹くまま

18年ぶりに再開しました。再投稿もありますが、ご訪問ありがとうございます。 

★東京国際映画祭~高倉健と張芸謀(チャン・イーモウ)監督が目の前を~

2005-10-22 | 良質アジア映画

今日は、東京国際映画祭オープニング上映。高倉健主演 張芸謀(チャン・イーモウ)監督『単騎、千里を走る。』の日である。

当たったチケットを見ると、17:40会場18:00開始とある。しかし、更によくみると小さな文字で「16:00オープニングアリーナイベントに入場可」とあるではないか。

「なんだこりゃ???」
意味がよくわからないので、インターネットで検索してみると、映画祭会場の六本木ヒルズにもうけられたレッドカーペットを、今回の出品作品の出演者や監督たちがあるきイベント会場に続々と登場するとあるではないか。

せっかくなので、行ってみることにした。

アリーナ会場についたのが遅かったので、横手のほうの少々見づらい席しか空いていない・・・が、この席案外よいのだ。それはなぜかというと、アリーナ壇上にあがった人たちが会場からでてゆくときに、そのすぐ横の柵の向こう側そ通るのである。

ここで、約30年前映画小僧であったボクは、密かにある策略を考えていたのである。

続々と登場するTVや映画で見たことのある人々が、レッドカーペットをあるきアリーナ壇上に登場しては消えてゆく・・・・吉岡秀隆、小雪、工藤静香、榎木孝明、豊川悦司、中井貴一、寺尾聡、吉川ひなの、津川雅彦、木村佳乃、深津絵里、白石美帆・・・等と。

しかし、この手のものにはそれほど興味もないのだが。(とはいいつつ、木村佳乃はTVで見るのと違い、めちゃくちゃ綺麗なので驚いた。そんでもって、ボクの横の席をみると先日TVでやってた「飛鳥、まだ見ぬ子への」紺野まひるが座っている。これまためちゃくちゃかわいいのでやたらと気になった。)

それはさておき・・・・・

「よもや、これはひょっとして・・・」
「トリを飾って最後に登場するのは・・・」
と、最後まで待っていると。

「来ました!」
予想どうりトリは、高倉健と張芸謀(チャン・イーモウ)監督!やはりこの二人にもっとも大きな歓声。壇上にあがり軽く挨拶をして、手を振りながら会場からでてゆく二人。

ここで、元映画小僧のボクは、横を通過する健さんと張芸謀監督に向かって、「ミスター」と呼び手を出してみた。その前も何度も他の映画人たちと握手するチャンスはあったのであるが、そこでしてしまえば係りの人に止められる可能性が高い。また、シャイな日本人は最初に誰かがやらない限りしないが、誰かがやると真似し始める。であるからして、最後の最後までこのチャンスを待っていたのである。

そしたら「なんと!」
張芸謀監督が近寄ってきて、穏やかな微笑みで握手してくれたのである。
わずか一瞬んの出来事だったが、なんとも幸せな時間だった。

ところで、オープニング上映作品『単騎、千里を走る。』は予想どうり素晴らしい作品であった。控えめな演出と静かで穏やかストーリーにいつのまにか自然に瞳に涙が潤う。有名俳優、派手なストリー展開、とってつけたような演出のない映画でないと好きになれない人もいるかもしれないが、こういう映画はボクは好きである。近年、任侠アクションものが続いていた張芸謀監督だったが「あの子を探して」以前のテイストの作品である。(劇場予告編) この映画については、後日ゆっくりと書きたいと思う。

上映前には、張芸謀監督の作った高倉健と現地のスタッフとの交流を描いたメーキング・フィルムの特別上映があり、既にこの段階で感動してしまった。健さんが現地のスタッフに慕われていたその姿に胸打たれる。また、そのフィルムを撮る監督の視線は「この監督は本当に健さんのことが好きでたまらないんだなあ」と感服する。メーキング・フィルムのナレーションも張芸謀監督ご本人である。さすが元俳優をされていただけに、静かなその語り口は染み入ってくる。

上映前の舞台挨拶では、また二人が登場。

今やアジアのみならず世界を代表する映画作家の張芸謀監督(55歳)の健さん(74歳)への気遣いは見ていてとても美しかった。また、健さんも「できれば、彼を養子にしたい」と・・・まんざら冗談ではなかった。

ボクは知らなかったが、中国では文革後初めて上映された外国映画が健さんの「君よ憤怒の河を渉れ」だったそうだ。当時中国全土で公開され大ヒットとなったそうである。いまだに、その主人公の名前を人々が覚えているくらい高倉健は最も親われている日本人だのだそうだ。最近の、日中政府間については冷めた関係のニュースばかりを耳にして嫌になるが、こんな話を聞くと、ほっとする。

舞台からもおりる際には、お互いが先を譲りあいなかなか退場しない。そんな姿に会場の人たちも、何か忘れかけていた昔のアジア人がもっていた謙譲の精神の美しさを見て、会場全体が穏やかなムードに包まれた。

『単騎、千里を走る。』の撮影風景と現地の人々との交流については、11月19日NHKスペシャル『絆(きずな)~高倉健が出会った中国の人々~』があるそうである。是非、これも観てみたい。

なお、張芸謀監督は今年の東京国際映画祭の審査委員長を務めている。

コメント (16)
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★さよなら河童(かっぱ)

2005-10-04 | エッセイ
先日関西方面で仕事があった。帰路はそのついでについでに立ち寄った実家から東京へ帰るために空港へとタクシーに乗った。

タクシーの中から、外の景色を眺めながら、
「この辺りは今でこそ住宅が密集しているが、昔はのどかな田園風景が広がっていたものだなあ。」
などと想いをめぐらせた。昔は小さかった道路も様変わりし今では大きな幹線道路となっている。この道路沿いには、古い神社がある。そしてその神社には隣接した公園があった。公園は今でもあった。

子供の頃、この公園の池には河童が住んでいると信じていた。死んだ祖父からよく聞かされたからだ。

「ここの池には、河童が住んでるからな。近づいたらあかんで」
祖父と公園に行くたびに、祖父は脅かすように僕に言っていた。

「じいちゃん、河童って怖いのん?」
それは、大人から聞いたことは、無条件に信じていた時代だった。他の子供たちも同じだった。

「怖いでえ。急に池から出てきて、池の中に引っ張り込まれるんや。お前も気つけなあかん。そやから池には近づいたらあかんで」

この池の中には河童がいるのか・・・と思うと、水面の小さな波を河童がたてているような感覚に襲われ、祖父の影に隠れながらも、怖いもの見たさで池の水面から目が離せなかったものである・・・ほんとにいるのだろうか・・・と。

今となってはわかる。河童は確かににいたのだ。人間に似た容姿をもつずる賢い河童は、実は僕らを守り続けてきた。彼の存在によって子供達は池に近づくこともなかった。近づくことがあっても、恐る恐る近づいたものだ。そういやって、かつて河童は多くの子供たちを危険な池から遠ざける役割を演じていたのだ。

でも今では、恐れていた河童はもういない。そのかわりに、どのこ公園の池の周囲にも手入れのゆき届いた柵がもうけられている。

そして、子供達はもう河童の存在を忘れてしまった。

長い役割を終えた河童はどこか遠くへ行ってしまった。


前略 河童さん
その節はお世話になりました。
僕らも、すっかりおっさんになりました。
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