人はそれぞれ、記憶の奥壁に掲示板をもっている。そこには、忘れえぬ大切な人たちの一言や、一瞬の光景を捉えたスナップ写真が、落ちそうになりながらもピンで留められていている。
そして、そんな掲示板の隅には、いつのまにか書かれた言葉や絵があり、長い時間を経てその存在に気づくこともある。知らないうちに訪れ消えていった、時には名も知らぬ人々のメッセージと足跡がそこにある。
目的の東京国際フォーラムを目前にした遊歩道の銀杏並木の縁に、一人の老人が地べたに座り込んで新聞を読む姿が目にはいった。歳は70歳前であろうと思われるその老人は、うつむいて熱心に新聞を読んでいた。どうやら靴磨きの老人のようだ。
朝、家を出る前から靴の汚れが気になっていた僕は、ここで靴をみがいて行こうかどうか迷った・・・これから出席するセミナーの前に昼食を取れない場合、夕方まで食事をする機会を失ってしまう・・・セミナー開始までは、30分しかなかった。当時の僕は、何かに疲れていた。その気分転換の意味でも、このセミナーに申し込んでいた・・・なにかきっかけはないだろうか・・・と。そんな意味で参加したセミナーだったので遅れたくはなかった。
しかしながら、セミナーまでの僅かな時間にも関わらず、その老人に興味を抱いた僕は、気がつけば既に老人に声をかけていた。
「すいません。いくらですか?」
今まで靴磨きの経験のなかった僕は、その相場すらも知らなかったのだ。僕はすこし屈み込んでこのように声をかけてみたが、その老人はうつむいて新聞に目を落したままだった。
今度はその老人の肩を軽くたたいて、
「いくらですか?」と聞いてみた。
突然肩をたたかれた僕に脅えたたようにその老人は、靴磨きで真っ黒になった指を2本たてた。
「2000円か、随分と高いな」と思いながらも、その老人に興味を抱いた僕は、
「じゃあ、お願いします」と言い老人の前に置かれた小さな椅子のに腰掛けた。
僕は、その歳になるまで、靴磨きの人に靴を磨いてもらうという経験がなかった。いままで、他人に靴を磨いてもらうということに抵抗をl感じていた。漠然としたものであるが、靴を磨く人と磨いてもらう人の間に、社会の階層を感じていたからだ。社会人になりこの歳になるまでの間、何度となく地べたに座る靴磨きの人達の光景に出くわしてきたが、そのたびにこのことを感じていた。
靴をみがいてもらっている間に、さまざまな思いを巡らした。
「この老人の今までの人生はどのようなものだったんだろうか。」
「自分の息子のように歳の離れたお客の靴を磨く今の老人のこれまでの人生どのようなものだったんだろうか。」
家族・兄弟はいるんだろうか・・・・目の前に座り私の靴を磨いている老人に、僕は惹きつけけられた。そして、こんな事を考えているうちに、あっという間にその靴磨きは終わった。
さすがに磨いてもらった靴は見違えるようにきれいになったが、思っていた以上にその時間が早かったことに驚いた。2000円という値段から30分程度はかかるだろう予想していたのだが、実際にはわずか15分程度でその老人は僕の靴を磨き終えたのだった。
お金を支払おうと財布をみたが、5000円札しかなかった。仕方なくその5000円札をさしだしながら、僕は、
「お釣はありますか?」と訊いてみた。
老人は驚いたように手を左右に振った。
どうやらお釣がないようだ。困った僕はズボンのポケットに手をいれ、ある限りのコインを取り出しながら、
「どこかで両替が可能な場所はないだろうか」と戸惑った。
そんな僕をみて、老人はコインの入った空缶を指差し、そしてまた以前のように靴磨きのスミと油で黒くなった指を二本たてた。
「200円。地べたに座って靴を磨いて、たったこれっぽっちか・・・」
僕は、やっと理解ができた。そして、その値段に少しショックを受けながらも、ポケットからとりだした500円玉を老人に手渡した。老人は、頭を下げながらその500玉を受けとり、空き缶から取り出したお釣りの300円を僕に向けた。
僕は・・・お釣りは結構です・・・と首と手を左右に振った。
その耳の聞こえない、言葉を話せない老人は初めて少し笑った、そして何度も頭をさげた。彼の笑みにつられて僕も、微笑み返した。そして、この無言の15分間に、僕は靴を磨いてもらうと同時に、疲れた心をも磨いてもらった気がした。
「ある人たちは、気づかずに天使をもてなしました」
ヘブライ人への手紙 13章2節
そして、そんな掲示板の隅には、いつのまにか書かれた言葉や絵があり、長い時間を経てその存在に気づくこともある。知らないうちに訪れ消えていった、時には名も知らぬ人々のメッセージと足跡がそこにある。
目的の東京国際フォーラムを目前にした遊歩道の銀杏並木の縁に、一人の老人が地べたに座り込んで新聞を読む姿が目にはいった。歳は70歳前であろうと思われるその老人は、うつむいて熱心に新聞を読んでいた。どうやら靴磨きの老人のようだ。
朝、家を出る前から靴の汚れが気になっていた僕は、ここで靴をみがいて行こうかどうか迷った・・・これから出席するセミナーの前に昼食を取れない場合、夕方まで食事をする機会を失ってしまう・・・セミナー開始までは、30分しかなかった。当時の僕は、何かに疲れていた。その気分転換の意味でも、このセミナーに申し込んでいた・・・なにかきっかけはないだろうか・・・と。そんな意味で参加したセミナーだったので遅れたくはなかった。
しかしながら、セミナーまでの僅かな時間にも関わらず、その老人に興味を抱いた僕は、気がつけば既に老人に声をかけていた。
「すいません。いくらですか?」
今まで靴磨きの経験のなかった僕は、その相場すらも知らなかったのだ。僕はすこし屈み込んでこのように声をかけてみたが、その老人はうつむいて新聞に目を落したままだった。
今度はその老人の肩を軽くたたいて、
「いくらですか?」と聞いてみた。
突然肩をたたかれた僕に脅えたたようにその老人は、靴磨きで真っ黒になった指を2本たてた。
「2000円か、随分と高いな」と思いながらも、その老人に興味を抱いた僕は、
「じゃあ、お願いします」と言い老人の前に置かれた小さな椅子のに腰掛けた。
僕は、その歳になるまで、靴磨きの人に靴を磨いてもらうという経験がなかった。いままで、他人に靴を磨いてもらうということに抵抗をl感じていた。漠然としたものであるが、靴を磨く人と磨いてもらう人の間に、社会の階層を感じていたからだ。社会人になりこの歳になるまでの間、何度となく地べたに座る靴磨きの人達の光景に出くわしてきたが、そのたびにこのことを感じていた。
靴をみがいてもらっている間に、さまざまな思いを巡らした。
「この老人の今までの人生はどのようなものだったんだろうか。」
「自分の息子のように歳の離れたお客の靴を磨く今の老人のこれまでの人生どのようなものだったんだろうか。」
家族・兄弟はいるんだろうか・・・・目の前に座り私の靴を磨いている老人に、僕は惹きつけけられた。そして、こんな事を考えているうちに、あっという間にその靴磨きは終わった。
さすがに磨いてもらった靴は見違えるようにきれいになったが、思っていた以上にその時間が早かったことに驚いた。2000円という値段から30分程度はかかるだろう予想していたのだが、実際にはわずか15分程度でその老人は僕の靴を磨き終えたのだった。
お金を支払おうと財布をみたが、5000円札しかなかった。仕方なくその5000円札をさしだしながら、僕は、
「お釣はありますか?」と訊いてみた。
老人は驚いたように手を左右に振った。
どうやらお釣がないようだ。困った僕はズボンのポケットに手をいれ、ある限りのコインを取り出しながら、
「どこかで両替が可能な場所はないだろうか」と戸惑った。
そんな僕をみて、老人はコインの入った空缶を指差し、そしてまた以前のように靴磨きのスミと油で黒くなった指を二本たてた。
「200円。地べたに座って靴を磨いて、たったこれっぽっちか・・・」
僕は、やっと理解ができた。そして、その値段に少しショックを受けながらも、ポケットからとりだした500円玉を老人に手渡した。老人は、頭を下げながらその500玉を受けとり、空き缶から取り出したお釣りの300円を僕に向けた。
僕は・・・お釣りは結構です・・・と首と手を左右に振った。
その耳の聞こえない、言葉を話せない老人は初めて少し笑った、そして何度も頭をさげた。彼の笑みにつられて僕も、微笑み返した。そして、この無言の15分間に、僕は靴を磨いてもらうと同時に、疲れた心をも磨いてもらった気がした。
「ある人たちは、気づかずに天使をもてなしました」
ヘブライ人への手紙 13章2節