僕は香港での数日間の用を終え、香港島サイドにある空港行きのステーションビルディングにいた。ここで空港チェックインを済まし空港行き列車に乗車することになっていた。そのビルの海に面した大きな透明の硝子からは、海に浮かぶ大小無数のボートが見えた。まだ予定の時間まで余裕があるので、このビルのオープンエアのカフェで遅めの朝食をとることにした。 この年の夏は、香港でも異常な蒸し暑さで、海に面したそのオープンカフェに座ると海からの熱気が少し息苦しかった。
コーヒーを飲みながらぼんやりと海を眺めていると、どこからか笑い声が聴こえてくる。 どこからくるのかとその笑い声を探すと、そこには沢山の女性達がそのビルの下にある広場に座っていた。何百という数の女性達がそこにいた。彼女たちは香港で働くフィリピンメイドと呼ばれる女性達である。20代、30代、40代とさまざまな年齢の女性達がそこにいた。香港では結婚後も女性のほとんどは働くため、中流家庭であっても住み込みのメイドさんを雇っている家庭が非常に多い。そういうメイドさんはそのほとんどがフィリピンの女性達だ。賃金も比較的低いのだが、高学歴で英語を話せるからである。
彼女たちは、月曜日から土曜日まで住み込みでメイドさんとして働きつづける。日曜日は彼女達のささやかな休日。 しかし、住まい=職場であるため家でのんびりと過ごすということができない。だから彼女達は日曜日になるとずっと外で過ごす。したがって、日曜日ともなると香港中の広場はフィリピン女性でいっぱいになる。少し異質でもある光景だ。
オープンカフェから眼下に眺める彼女達。同郷の友人たちと手作りの料理を広げているもの、歌を歌ているもの、愉しそうに語り合うものたちなど・・・皆屈託のない笑顔に満ちている。 皆ささやかな日曜日を楽しんでいる。
だが、その一人一人は誰かのためにそこにいる。「誰かのために」・・・あるものは両親祖父母のために、あるものは兄弟姉妹のために、そしてあるものは幼い子を残して・・・そのひとりひとりがその誰かのために、異国の地で寂しさの中で異邦人として暮らしている。
生まれた環境、時代、それらに人間はその人生を左右される。左右されながらも、誰かを支えながら生きている人たちがいる。かつての日本にも女性たちが海外に出稼ぎに行った時代があったときく。豊になった今、そんなことは忘れさられつつある。だが、時代は変わっても、同じような境遇で生きる人たちは、どこかにいる。
眼下の彼女達を眺めながら、そんなことを想い浮かべていたその時、「一瞬の涼しい風」が翔けてきた。それは夏の熱気で陽炎のように揺らめく高層ビルの間から突然現れて、一瞬のうちに彼女たちの笑い声を掴み、大小無数のボートが浮かぶ海の方へとすり抜けていった。
そして、僕にはその風が、海を見下ろす白いカモメのようにその優しい眼差しで振り返りながら、碧い空へと早足に駆け上がっていったかのように見えた。 それはまるで、彼女たちの哀しい笑い声をどこか遠くへ運んでゆくかのように。
2005年に書いたものになります