ネコフラワーという黒に強いネコは、ネコボンバーになる進化権(短時間だからかとっても簡単らしいけれども、疑問は、それは語られぬよりも、ネコだけにたまたまちゃんとしての喜び、サプライズが各自のその瞬間のマイノリティとリミテッドとしてはあるように思われるけれども、ネコボンバーまでいく人々ってなどと書くと皆様違うから書かないよ。明日だけど、私が体調いいのは、午前6時頃寝てお昼過ぎに起きるのがほとんどぴったり寝られて起きられるから、明日でネコハナをネコバクダンにしないと。超激レアとかを+40とか意味不明だけれども、時間がその人々は恐らくはない枠だろうか。ガチャガチャだけ回してタンキケッセンというか。因みにとても良いらしい、タンクネコの大狂乱は、ネコビタミンなくなるまでやっても全く勝てず。基本キャラと施設がそれなりにMAXじゃないとという長丁場のように思った。にゃんこチケットも時間も労力もかかる。それよりもプロスピで門田が当たらなかった。しかも選択カードでも私自ら選択もせず。そして最近の恋ではないけど麻疹程度のバウアーはメジャーに戻るのだろうか。ほとんどカード開封と時に、心の中でバウアーとお祈りのみながらで全く当たらなかった。しかしSランクカードが当たった。サイン入りバウアーも当たったからそれほど文句ないけども。バファローズだと最近はほとんどSランクカード大当たりした茶野選手をチョウヨンピルにしたのでお祈りのみながら当たらなくなった。うっすら山本とお祈りのみもメジャーに行くらしいとインターネットで知ったので、もう出ないのかぁとか。
私は牛乳を飲み過ぎていた幼少期だったという暗示かも知れないながら、牛乳で骨はまだ大丈夫だと軽い感じでボーンガンソウしてたようなしてなかったような。アスファルト、いつもケロっとしてやがった。
最近買ったチェルノブイリ原発本を読み始めつつある。全く異なるアプローチというより、チェルノブイリ原発は同じでも、それなりにチェルノブイリ、原発以外の生命体としてに重きがある本だと思いつつ、城の崎にて、ごびの浮かぶが意味があるのかないのか、それは志賀直哉を理解していくというあまり私は意味がないことながら、ごびはほぼ、た。あるいは、ない。だろう。ハナは、やや危ないのか、読めなくもないし、こじつけは可能ということはあるけれども志賀直哉はそれはやってないと思った。)2.2の午後2:22の2分間のみと、2.22の2:22の2分間のみは、恐らくスマホアプリだからインターネット環境がある人々だから、ネコフラワーは背景夕焼けカラー?進化にならない疑問を私が伝えるまでもなく、それはリョウシキキカンセツがナチュラリズムとジェノサイドのパッケージというそれなりのまるだしを私があえて伝えるまでもないことと同じレベルではあっても、
以下、2024.2.11から2024.2.13までちょっとずつ追記したね。
神に関して昨今の思い煩い。
極論の一つとして、野球か西鉄か知らんけど、そっちは稲尾さん。或いは検察は人神の一撃の遠いミライケイ察っせよという太さ。
野村さんは野村ノートしか読んだことないし、発売当初遅れて読んだのでそれほど記憶も薄いけども、稲尾さんのパッケージでのダンマクの神のインフラをマー君に使用したという推察で、24勝無敗のシーズンというかイオナズン、イーグルスにとってはベホマズン、年寄りのおっさんらの年季の一つではインフラの交通安全。何がすげぇのか私が分かるようではすごくないわけだが、プロスピで確かにマー君のスライダーが特にすげぇ。サイン入りマー君のSランクカード大当たりしたから文句はねぇが、24勝無敗シーズン版マー君じゃないとちょっと。
井端さんの動画を拝見したら、グラブの拘りの講釈があったけれども、まっすぐさを生きる勇気のような人格権と社会権の講釈にも思った。
稲尾さまもマー君も、それは西鉄にとって、イーグルスにとってのそのゲンザイであって、これからという人々という部分においては、西鉄のそれは社風なのか熱狂的ファンの根性か知らんけど、人類も概ね皆様そんなようなもんだから、特にそういうのは鉄転がしてんのと、野球という部分に背負わせとくインフラはその生命体としては、稲尾さまというリミテッドとマイノリティのりょうしききかんとりょうしききかんとりょうしききかん。くたばる前というかせいぜんせつによる神という困難、それは俗だとインフラだけれども、稲尾さまが神なのか、ダンマクが神なのか、野球場が、私の記憶(私の記憶というのはそれを何で知ったのかの記憶はないほどだけど。)ではレフトスタンドの全体主義が神なのか。
稲尾さまが神ならば、多神教、一神教あれども、神がインフラ、神に値しない部分による神の誕生、創造、或いは坩堝、段々畑、勿論消滅、欠落、二重構造
社会通念で上というより神だと、キリストとか仏陀とかアッラーとかが超有名どころだろうけども、神の子のそれとそれをそれというのも穏やかな言葉運びではないけれども、何故アダムとイヴがあれか、同じように個人的にアブラハムがあれかで多様性になるほど人類の繁殖力の、二重構造の充実化、
そういうのより、何故稲尾さまがとか独りで勝手に思ってるのみが楽ではないが、楽な部類だから、それをGodとか間延びgoodとかではお忙しい日本語版の人類にはインフラとして困難だから、日本語版としての神の一択でダンマクかましたのはその当時の根性だろう。マイノリティとリミテッドというラブ、ライフ。セックスとかマスターベーションも反論も汎神論もなかろうけども、何らかのサクセスとサクセスによるサクセスという生命体のイマというかゲンザイというかのタンキタッカンというぶぶんは、
神という単語、言語に依存することによって、稲尾さまという神が際立つぶぶんは、それがマイノリティとリミテッドの時空間、ワクチンでも、リベラルあぁつごうであっても、その創造がそれなりに発達した社会においては、基本に立ち返るほどにオメマメロの発達もあるからそれ以外に、要は豚へのアイコンが人類は可能か、もっと書くと必要か、そのアイコンによって多様性が発達していく人類の発達は、豚というより個人的に牛乳ファンなので牛へのアイコンも人類は果たせるかということになるならば、それは例えば恋人だとか友人だとかは、その都合が衝突していくわけで、
恐らくクソガキどもは、豚との関係性を解決していくまでは生まれてきちゃっただけのそいつらの縦軸の成果がどこかで成し遂げるにしても、それまでの人類のインフラは半端じゃねぇから、りょうしききかんとしてそれにすらそれに本質を今日日インフラにしちまうとということではなくて、それらもクソガキどもが、他の神とか、特に上とか上方はインフラによるインフラあってポリティカルビタミンというもので語らない、もっと書くと語る資格がそもそもりょうしききかんに存在しないわけだから、稲尾さまが神ならば、大変な努力家は間違いないわけでも、そもそもりょうしききかんのハブではそれは西鉄、野球、何らかの、それは他の神よりゃぁ稲尾さまの方がよかばい、どこに神が他におるとかというのは、それほどそいつらのクソガキどものしんがくがかかってようがかかっていまいが、神の社会通念としてのインフラを、荒人神という上方違いで、鎌倉だとかだとそれはエンセイシュギとか、それなりに書籍を読んでも一枚岩でもない独自性があるから、遡りに歯止めはないということで、どこにりょうしききかんをとなると、室町ったって、最近購入してちょっと読み進めてる日本史のミカタという新書でもそういう一般主義というかの困難に取り組んでるような論説は、本日、その学者さんの能書きで、大学生の時に教授が吐いた「広域暴力団北条組」というのは、最近個人的にヒトリゴトを細心の注意を払ってしている、カエサルゴロツキ論と、ポル・ポト青二才且つポル・ポト愛情有り難みワクチンポコワク論を展開しつつもしてるかも知れない私は、ちょっと成る程というか、ほとんど帝国主義というよりはそれは生命論理が教授というかそれは学生への交通安全に依存、信託、或いはそれが全くオカマい無しとしての知識というかそれもまた適当な一言だと思ったけれども、個人的にカマクラかけてる違いのワクチンのぶぶんは、朦朧の紺ヘルの私はそいつらとは異なるので、私がそいつらのお門違いの一撃を読むほどお人好しでもないんだが、広域暴力団北条組なることも、りょうしききかんだから、りょうしききかんからして、もっと具体的に書くと、基本父親と母親とは、そいつらもだが、何人もりょうしききかんで、クソガキというより人間、人類を創造するということにおいては広域暴力団というより、全域暴力組合ながらの、豚への暴力に依存、勿論そのブンギョウザに、そして発達によっても豚への暴力なしに、豚ではなくて中身を、そしてそれは、プライバシーとしての困難中の困難である膣内射精が、プライバシーというか完全なリミテッドとマイノリティというタシャの愛を消滅せしめるせいこうとせいこうによる、そのリミテッドとマイノリティとしての愛のたかまりならばそれなりにおめでてぇしおめでてぇしおめでてぇわけだが、それよりも、昨今は、130才になったクソガキどもを思い煩いしてるかも知れなかった私は、六歳ですら人類は未だ、6年間ですら人類は未だに、そんなことははなからはなまでやってねぇというか、運動という稼働のポテとポジの社会性の一般主義が生命論理というか、カタワらのまっしぐらで、ゲンザイをまだいきてるわけといういいわけというか、
鬼にゃんまが未だ当たらず。
どっちか言うと、白青と黒青の、フォノウというのとか、そのガチャガチャの枠のが良いのではないかと思った。
プロスピでのゴールドカードより、にゃんこ大戦争のゴールドカードは、プロスピでいうSランクに相当する超激レアが当たると思った。それほどガチャガチャ回してないけど、一度ガチャガチャで超激レアが0っくすっの時は、プロスピでSランク限界突破コーチガチャガチャで私はたぶん一度もSランクカードが当たらないよりもがっくりした。でもずっとというか1年間以上でゴールドカードでは五度位はSランクカード大当たりしたから良い。バウアーは既に出ないのだろうか。チョウゴウキンにしてぇとまだ時々思う。里崎選手は突破カード二枚必要だから、一枚必要選手優先で、折角TSOBガチャガチャ選手で奇跡的にチョウサン可能しかも最早当シーズン終わりかけながらも時々思うというか悩んだね。
数値化がないので、めっぽう強いとかで、どっちが良いというかよく分からないし、タップに忙しい(ネコムートは強いのは強いと思ったけど、直ぐに倒されちゃう時が多くてそういう時は寂しい気分になる。10年位行ってる人々にもちょうど良い進行形があるという部分では、最近はツバメンズが超つぇということと、EXとかレア限定戦闘モードが、第三段階まで成長してないと、それぞれの属性もそれに則してないと勝てねぇなぁとかの時期に私はある。)ので、実際の戦闘モードよりは、新しいにゃんこ当たったとか、パワーアップ出来るとか、マタタビとか最近だと石とかにゃんこ砲強化の素材だとかが当たったとかに、ルーチンワークとして、はなからやらなきゃぁ全く違う時空間にしかならんもんを、何となくそれなりに人民のせいこうというか、
ヒトリゴトながら、カエサルゴロツキ論は、ローマ帝国の方が分かりやすいし、最近読んでる動物霊魂論の新書で敷衍という単語を繰り出すワードパワーインテリの枠では、カエサルが、カエサルも、カエサルで、カエサルに、カエサルを、カエサルは、とか、カエサルこそ、カエサルだから、カエサルながら、カエサルだけど、カエサルとして、カエサルらしく、とか、みもふたもねぇ話になるというか、アレはあっちの年寄り違いの年寄りのおっさんにしてはまだまだ若手とは言えないほど年寄りのおっさんが、全体主義の勇気のゆうしょうのびとしても一応大変なドリョクショウの人間のインフラ?がそっちはあるかも知れないから、アレキサンダー論は、私がカエサルを語るも未熟なのは、何処までいっても何人も、たぶんそのピンポイントの勇者でも、キョウドアイ、それは日本語では多様性が異なる部分があっても、例えばローマの市井の人々のカエサルだとかでも、何らかのカエサルをインフラにしてなんぼというか、それがその人々へ、これからの、勿論これからのクソガキどもが豚の中身の美味を今までの平均主義として味わわせてやりてぇ一新という、確かに豚がナチュラルならば、虎なりライオンなりによって生産がないし、足りるというか淘汰がどうなるかでは、鹿とかよりは豚の肉厚が、勿論豚は豚で対応が不可能ならば絶滅するわけで、それは最早豚を豚として捉えるわけで、人間を人類としてというか人間として捉えるということなれば、
私は暇なので一時1日妊婦さんをどうでも良いからやってたら、吐き気しかしなかったけれども、そのてめぇが吐き気だというのはさておき、それを昨今思い出して精査してる風を装ってたら、私が仮に人間を産めるとしたら、もっと書くと女性で男性の中出しの可能があれば、逃げ惑うのではないか。
確かにそれを加味してもマンコは女性は気持ち良いだろうし、男性もマンコにチンポ入れるのは気持ち良い。それらもそれなりの枠のマイノリティとリミテッドとしてのどうでもイミヅケの可能なコトガラも多様性の運動というか活動というかのりょうしききかんのずれこめゃアンジンテェゼでしたという、今さらカエサルがどうだってんだというか、カエサルを知らん方がまだましというか、カエサルも一桁代でも極論では40才以降でもうまくないというか、てめぇらのそのりょうしききかんが欠落、
豚のテロの有無とはどういうことか。
平和主義と世界大戦が神話という側面の人類史ならば、豚との人類史が神話、勿論人類史というリミテッドとマイノリティとしての、極論では神話になるのみということはどういうことか。先月だったか初めて観賞会した映画「トンマッコルへようこそ」は猪だったけれども、トンマッコルはベジタリアンかビーガンかを私は見てなかったけれども、それなりのマイノリティとリミテッドというか、発達過程でのそれがそれなりにシュウキョウべびーぶーむらっけとしては、豚の美味しさの幻想とでも言うべき、豚の美味しさをまっとうにいきるりょうしききかんの人間性と社会性のりょうしききかんは、にゃんこ大戦争でもいらっしゃるクロサワ監督の名画、一応撮影の名画、しかし映画の創世記の段階でも既に役者とか背景というか道具というかもモノクロのインフラだけど、あそこまでをカラーというのは別物映画になるというか、映画はりょうしききかんとしてはモノクロだから、りょうしききかんであったものが、より大規模なリミテッドとマイノリティとしてのカラーというのも、恐らくは未だフィルムのカラーというかトーンで見事に異なるとしか思ってない私は、羅生門を藪の中という八百長というか羅生門と藪の中をシュウキョウべびーぶーむらっけかという、二重の基準の発達過程という、基本の棚上げ、逸脱性での優雅というかマイノリティとリミテッドというのも、便所と書くよりは水路が、ナチュトジェノによる例えば七人の人類ならばそのナチュトジェノはナチュトジェノだから水路の発達過程にならぬナチュトジェノ、不要過程のナチュトジェノによって、ナチュトジェノがほぼ獲得、狩猟というナチュトジェノが水路としての人類のマイノリティとリミテッドのナチュトジェノがそれこそ生命論理というかだから、
2024.2.27
どう思い込んでも、プロスピは、私のような何でバウアーチョウゴウキンまで当たらねぇんだといういちゃもんのはっせいをしょてる。
にゃんこ大戦争も、名選手ほどよく分からんながら、鬼にゃんまが何で当たらねぇんだよとか、白青とか青黒にゃんこが当たらねぇんだよとかいういちゃもんのはっせいが基本原理にあるということをしょとると書くと、恰も勇気があるか、ばかにしてるのかは大したぶぶんでもないというか、そのていどがりょうしききかんとしては、人類史としては平和主義の快挙のりょうしききかんとしてみもふたもねぇりょうしききかんせつだけども、最近はジャイアンツ吉村さん当たらなかったなぁというより、アダルトビデオでの吉村さんすげぇなぁとか思いつつ、スワローズ吉村さんをちょっとしょぼぎみのわかぞうのりょうしききかんだし、りょうしききかんからしてそのりょうしききかんになるまでが大変なわけだけれども、ちょっとしょぼぎみSランクカードへBランクカードをコツコツと、思い込みしたら、そのように思い込みも然程つまらんというわけでもないし、ペルドモ選手がしょぼぎみながら、今期すごかったのですごかった版のSランクカード大当たりしつつ、意外としょぼぎみペルドモ選手でさえもしょぼぎみペルドモ選手版をしょぼぎみSランクカードへBランクカードをコツコツ育成中。友杉選手が、単に打率メンバーだったので、三名も意味なく揃えるも、Bランクカードがとことん当たらんといういちゃもんもプロスピはしょっとるわけだ。基本原理としては、それがわりに、それより何かやりゃぁよかっぺという達観というかナチュトジェノのいちぶにしかなりようがないぶぶんか。それ以外にスウマンネンゴはひとつひとつ何らかがよくなっていくことにたいするりょうしききかんとしてのりょうしききかんというのは、どうしてもいきぐあいとくたばりぐあいのりょうしききかんとしてのぶぶんは、例えば、バウアー選手が当たらんと言えども、私はサイン入りバウアー大当たりしたのみでも、そして普通バウアー選手すらも大当たりして、Aランクカードが1枚も大当たりしなかったというそのインフラでのいちゃもん体質があるわけで、200年前も200年後も、そのぶぶんは、とるにたりんけども、
2024.3.1
本日、何気なく感覚で、初めてというか最初で最後の、プロスピガチャガチャを驚き桃の木なほどというか、9回ガチャガチャした。
既にBランクカードでもというか、Bランクカードだからこそだけれども、井端選手大当たりしたし、ファンではないというか、よく知らないというかながらの私は、イベントでもガチャガチャでも、せめてAランクカードと一瞬も思いもしないほど、取り敢えずBランクカードは大当たりしたので、今後プロスピを行っても、いちゃんもん瞬間はつきもののスマホアプリゲームの、それはそれら以外を、スマホアプリゲーム内にとどめるりょうしきも瞬間としては多様性あるんだろうけれども、今回のイベントを最後まで行うとSランクカード1枚獲得で、ガチャガチャあり得ない9回で、5枚の日本代表Sランクカードが大当たりしたものの、各名選手がミキサーはちょっといもひく。
案外と、井端選手のみをBランクカードで勿論チョウゴウキンというのも、主義はヒトリゴトというか、思い込みしてるそのぶぶんの納得で、それよりも、何故かワールドガチャガチャを9回ガチャガチャしていくのが賢いというか。
2ヶ月食費ゼロながら、メルカリで、来月スマホ払いでも、家賃を支払ってスマホを停止活動に入るかだと、包装米飯買えなくなるなぁとかぼんやり思い込む。
goo案棚もも、中途半端はどこまでいってもながら、より中途半端になっていくようにも、ちょっと思い込む。
あっちも遠いし、あっちも遠いし。
そのやる気のなさが、私の自覚と無自覚。
国語が心配で算数が覚束ないとか、理科を忘れることの不安で社会にとか、国語算数理科社会とかでのそういう奴等のときとかひととかばになってる時空間もあるんだろうけれども、そういう奴等のそのぶぶんをステージにしちまうと、その欠落に着目するわけだから、あるぶぶんでは、それ以外でしか、そいつらのその時空間は実現不可能だけれども、クソガキどもに、りょうしききかんからして、国語算数理科社会というりょうしききかんではない、そのりょうしききかん
と書いたら、平仮名だと、りょうしき気管とか、りょうしき器官とか、りょうしき機関とかがあるわけか。
ききかんというのと、きかんは、期間、基幹、旗艦、奇観、そして個人的にクソガキどもとインテリどもが好きな帰還ときかんは難しいけれども、きかんよというりょうしきがりょうしきとりょうしきというか、りょうしききかんにりょうしききかんはあってもりょうしききかんなんぞのりょうしききかんというりょうしききかんの不存在というか、りょうしききかんでは、りょうしききかんがりょうしききかんにすらなりえないとか、みもふたもねぇことをいつのときだったか、それほど昔というより、近年思い込みしてるようなしてないような。
プロスピでは私はVロードという、リアタイでも落伍者でも、私ほどの腕前で、二年もやってるようなのはほぼ不存在ではあるのではないかと思い込みつつも、当たってくれるなと思い込みしてたジャイアンツの年寄りのおっさんが、Sランクカード当たり、当たってくれと思い込みしてたジャイアンツ吉村選手とか、ホークス門田とか、何故か門田は、カルビーカード持ってたから、呼び捨ての私ながら、当たってくれと思い込みつつ、1枚も当たらず、そしててめぇでもいもひいたのが、懐かしい思い出に浸れる幸せな瞬間。四番サードは動かさないこととして、1年後には、Vロードで、惨敗ロードに行くのみなので、それは井端選手の役目として、幸いBランクカードでもあり、早速スタメンスタイルにした。(括弧内以下、数時間健康的な睡眠後、この件をたったお1人様でも間違えて読んじまってるのも、しんがいかくめいだから、悪までも、個人的なVロードでのことなので、カチイクサとしてのテツガクのねぇショウブシはいねぇから、勿論年寄りのおっさんの真似事は出来ないし、無意味なので、ハンシンフズイという世界初の野球というか、ありゃぁ天覧試合があってもだろうけども、ややもするとハンシンフズイというのが、りょうしきでも、それほどにというぶぶんがあるにせよ、それに励むよりは、そのしんしなしせいというか、でんとうとかくしきは、ある意味独自性というか、どこまでいってもどれほどの数量でも孤独のパッケージでのぶぶんでも、惨敗ロードに取り組む人間としゃかいせいなんぞがないというか、それでも惨敗ロードに取り組んだ人間としゃかいせいなんぞがないから、それはやらないし、それはやらないんだが、Vロードで年寄りのおっさんのSランクカードが大当たりしてしまったら、四番サードを、どれほどの名選手が確かにスピリッツならば、半期で生命体としての人間としゃかいせいでのこうせいようそのゲキヘンになる当たり前ながら、変えるわけにいかんである。というような、負け犬根性のような、しかし私は覇王ランクにまで行く身分でもないながら、覇王ランクにまでいっちまって、トロフィー獲得したから、どうでも良いという納得あれども、ほぼ日本代表監督というよりも、野球そのものが、年寄りのおっさんの現役は、あっちの年寄りのおっさんの現役もりょうしきでもりょうしきでもぜんりょうしき(こういうのは、何人もだけども、赤ちゃん時代とか、おっぱいに夢中時代というか母乳への目的意識の一貫性とか)でも知らなくて良かったぁとしか思ってないと同じ程度に知らない私は、リアタイよりも、特殊試合とか、Vロードっての、トロフィーでは、コンボとか試合数とかか。となるとVリーグ?どうでも良いが、年寄りのおっさんらの登場は、ちょっとやりづらいので、
なるほど、惨敗ロードったって、リアタイで、私ほどの惨敗ロードはなかなかお目にかかれねぇレベルだから、私とはりょうしきからして違う、ドリョクショブンの人間としゃかいせいのりょうしきのあるとき、ひと、ば、とかに私のようなのががらにもなく思い遣りの思い込みのぶぶんに注意を払っても然程無意味であったから、まぁ良い。
そしてお昼から夜中まで再び寝て起きた。
年寄りのおっさんを、私はテレビで何度か放送されたパンダカラーのホームランなのかファールなのか、結局はハンシンフズイは天覧試合により、ハンシンフズイの筋の不存在がはなにあることによって、ハンシンフズイをかませたというか、ハンシンフズイまでやらんでもよかっぺが、野球最初で最後のチャンスが、いくらなんでもハンシンフズイやらんでもと思い込みつつも、それ以外の人間なんてのも、人間というかその集合体なんてのも、そういう類いのりょうしききかんというぶぶんがあるから、やらんといかんかったのは理解出来るけれども、現役を全く知らないわけでもないのは、あっちの年寄りのおっさんらの現役も、雑誌の中の、漫画になったぶぶん、しかも1話のみ、しかも漫画どころか雑誌自体も一冊のみ読んだのみということでの現役を全く知らないということでもないと思い込む。)
バウアー選手も特殊MAX、特訓MAXのチョウヨンピル達成し、スタメンスタイル達成。
最初からプロスピ行ってる人々は、背番号なしの数合わせだかの選手がいて、良いなぁと思い込みした瞬間あったけれども、選手枠が恐らく足りないから、所有は、続ければ続けるほど、早々とコインか経験値だとかになってるというか、そのためのカードというりょうしききかんだと、随分生存者への配慮がプロスピのりょうしききかんにあったのかと思い込む。
ガチャガチャ回して当たらねぇといういちゃもんの発生率よりは、そういうのは、りょうしききかんからして、はなからやらんか、適度というか、あわないだろうと思い込む。
リアタイのもさもさは、各名選手が、もさもさの能力によるという自己実現のステージが強いと思い込む。
私は、私の下手よりも、各名選手が、撃たねぇなぁとか、撃たれたなぁとか。リアタイだと、撃たねぇなぁというより、当たらねぇなぁとか、当たりはしたなぁとか、撃たれたなぁというり、ベストピッチずれやがるなぁというか。
と、無自覚というか、非公開ページで暇人として書いてたら、公開していたようだが、読まれてはいなかっぺということで、これから眠るので、一晩公開しとくが、モロハノツルギではあっても、私はプロスピで、どうちの素晴らしいバランスドリョクショブンの名選手はいらんから、どうちは他にやっといて、1名のみをと思い込みしつつ、そんなことは意味がないんだが、それでも一応Bランクカードは1枚大当たりしたから、一切文句かますわけにもいかんから、そして食費ゼロの2ヶ月になるから、ひっそりとおとなしく、どうちのたしゃへの交通安全を祈願しつつも、全く意味がなかったとは思えんな。Bランクカード1枚大当たりしたわけだから。
今回のガチャガチャにどうちがいるのかいないのかも興味がないながら。
どうちはコンボ大切だけども、極各球団愛とかいうコンボ出したかったなぁというおめでてぇ思考回路な49才の私。
獲得カードはちょっともさもさっぽい私は、バファローズ、ファイターズ、マリーンズはスタメンメンバーとベンチメンバーをオールSランクカードに到達。面子だけなら超強ぇ。タップが私でさえなければの留保付ながら。(以下2024.3.3今日は楽しい雛祭り?
どうちいらんから、獲得お一人様目的意識というのが、どうしてもマイノリティとリミテッドの都合というか、そのマイノリティとリミテッドからの都合、目的意識の発生、りょうしききかんのワンコンプが、いきぐあいとくたばりぐあいというか、てめぇのあいでもなけりゃぁてめぇらのあいでもない。
真実の類いのワンコンプのぶぶんになる。
ローマ帝国に真実があるといえばあるし、そんなもんははなからはなまでないといっちまえばないというぶぶんと同じぶぶん。
人間というか人類も、あくまでもリミテッドとマイノリティとして、46億年前に真実があるといえばある、人類みあたらなかったという真実は別として。その当代の人類が、果たしてその人類に真実があるかないかの人類としては、人類の真実がないといえばはなからない。
地球のパッケージではなかろうか。
確かにローマ帝国というのは、勿論生命体としては地球のパッケージとはことをいにするという地球からの逸脱はあるといえばあるけれども、
今日は嬉しい雛祭り?だから、あまりこういう私の性分でもないそれもまたどうでもよい性分を思い込みしてるかも知れないぶぶんを思い込みしてるかも知れないぶぶんよりは、昨日、紙幣では二千円あったので、まるちゃんデカ盛り味噌ラーメンを購入して久しぶりに食べたら、美味しかったなぁと思い込むぶぶんと、アパートのごみ捨て場のペットボトルと缶が、風と容量超過で、飛ばされていたのを、中途半端にリバースしつつも、クソガキとインテリってのは、それよりは、再び風に飛ばされないことに着目というか重点があるから、ごみのリバースの動力よりも、如何にしてその風に飛ばされたペットボトルと空き缶が、私のようにリバースは再び同じ状態になるということではなしに、それはあるいみでのナチュラルで、それが完全な状態というゲンザイイシキとして、そういう場合は、ちょっと思い込むと、ペットボトルと空き缶を足で潰すなりで、ゴミ箱のかさにあった、近年カルビーポテトチップスの能書きで学んだ食後の折り畳み式パッケージによるゴミの圧縮というか空間の保持活動なれば、ペットボトルはちょっと難儀でも、空き缶はぺったんこにしていくことをしていけば、随分そのゴミ箱で風への対応は可能かとちょっと昨日、雛祭り前日に思い込みした私だった。
雛祭りで思い込むと怒られるが、母親も、ばぁさまも、娘さんも、雛祭りというか雛ではなかったというか、雛というマイノリティとリミテッドだけれども、そういうりょうしききかん、りょうしききかんの有無のマイノリティとかリミテッドもありつつ、雛ではないてめぇ、てめぇらというりょうしききかん、勿論りょうしききかんのマイノリティとリミテッドの本質は、例え雛であっても、野郎の玉袋からというサイクルもだから、あるいみでのりょうしききかんとして、雛祭りのようなていさいてんへの、平和主義としてのほこりのようなものが雛祭りに内在してるとか書き始めると、これまた怒られそうではあるんだが、そのマイノリティとリミテッドは、それ以外のそれが必然的にマイノリティとリミテッドという多様性での条件にまで達しうるぶぶんのようなものを、雛祭り当日に、雛祭りなるものを思い込みしたのは人生で初めての数分である。
男の子は鯉のぼりか。
あれは男の子というかこどもの日ではないのか。
こどもの日ならば、男女の区別は不存在ではないか。
よく知らないけども、鯉のぼりというのは、一匹以上ならば、男というかオスが上だけれども、最近、人間と他の、特に哺乳類は、せいこうとせいこうに男でなければりょうしききかんにならざるぶぶんを思い込みしたら、それは神話、神話扱いにするしかなかっぺとか、いきぐあいとくだばりぐいのりょうしききかんとかというよりも、近年読んだビラヴドを思い込む。
そのぶぶんでも、人類は魚類とはせいこうたいしょうがいのりょうしききかんがる。
それらは、霊長類と、ジュゴン、マナティの生物学というより神話的というかの差異になっちまってるのかもなぁと思い込む。
鳥類だと、必然的に天使と悪魔というぶぶんぶぶんのインフラというか。)
毛色の違う生意気通り越し過ぎと思われるから、やはり非公開にしとこう。
いらんこと書き過ぎ通り越してたね。私は。このページ分はという限定では。
流し読みしたら、格段にというか、書き過ぎ通り越しなほどでもないけれども、書き過ぎ通り越しとしか思われないほど、読むに値はしないという部分ならば、全く書き過ぎどころか、一端を一端、一旦書き過ぎを怠ってすらいるという自覚しか私はないね。
2024.3.3
プロスピで、ドラゴンズ版井端さんではないものの、日本代表版井端さんのBランクカードは大当たりしたものの、SランクカードはおろかAランクカードすらもかすらず。
Sランクカード日本代表版を五枚ミキサーにしてSランクカード井端さんを本日獲得。
Bランクカードで文句は出ないというヒトリゴト、思い込みはあるものの、Sランクカードが大当たりしてない以上、中庸として、モノホンの歌ってのは、どういう歌かってのを、誰にも望まれてないまっさいちゅうでも、相当音質、音程、音楽が貧弱、無知でも、歌ってのも、丹田というかハラさんが大切だと思い込みもあるものの、モノホンの歌が貧弱になるから、モノホンの歌は、社会通念としては、CDになるようなものではあるけれども、それも、どうしてもモロハノツルギというか、それほどにどうでもいいかんじが、そのぶぶんにそそぎこまないとならん、つまらないというより、つまらねぇことをつまらねぇこととしてつまらねぇことにつまらねぇことをつまらねぇこととしていくわけで、特にそれそのものが、いきるということがあることに支離滅裂があるわけだから、せっかくなので、井端さんのBランクカードは大当たりしたということで足りるというマイノリティとリミテッド、都合はそういう運動会の奴等でよいので、それでも大当たりは大当たりだから、Sランクカード大外れでもないけども、井端さんが大当たりしなかったという大外れとしては、99歩引いて一歩モノホンの歌の私の納得、正当化という、それは寧ろ99歩はモノホンの歌を高らかに作成も満更でもないけども、その大人気なさと大人気なさながら、モノホンの歌ったって、例えばクソガキが、誰かたった1人のクソガキへの歌ほど、モノホンの歌があるのかないのかというリョウシキキカンセツのしゅんとしゅん、しゅんとしちまうとしゅんみんぞくというのもりょうしききかんだなぁとか思い込む。
ちょっと真剣に一応思い込むのが誠実だろうか。
万が一、マイノリティとリミテッドが、そのぶぶんのみにあるクソガキとインテリがいないとも限らん。
となると、Bランクカードでこそ、井端さんのはくしゃというか、それ以外はSランクカードでしか満たされない欲というかしゅんかんを、Bランクカードで可能ならしめるところに、井端さんのはくしゃをかけてるクソガキどもがいる可能性もある。
井端さんというより、それでもとしての何事かのインフラとしてでの人民のあいといのちとせいこうとかもあるか。
そういう思い込みの全ても、マイノリティとリミテッドではあるけれども。
でも今回のプロスピガチャガチャは、ワールドガチャガチャを、リアタイとかでの向上心に起因する、超凄い選手カード獲得頑張ろうとしてる輩は頑張るときではあるのが大半だろうと思い込む。チョウゴウキン困難だけど、数年間行ってる輩は、ファンではなくても揃ってるのみでチョウゴウキン可能状態もいるだろうなぁとかも思い込む。
そしてちょっと眠り、喫煙のために朝食を採りつつ思い込む。
兵馬俑に欠落している、欠落していく、欠落していた全てが、兵馬俑ですらのマイノリティとリミテッドと、兵馬俑というマイノリティとリミテッドと。
兵馬俑だから、お名前通りの完全さだから、それは、国語のマイノリティとリミテッドに対して、算数やら理科やらを持ち込むいちゃもん万能細胞というなよながら、それをやってるというか、それをやれたというか、その完全さは、その完全さが生命体というぶぶんの生命体というのがやはりあるだろうことでも、それよりも尊ぶべきことが可能だったらとか、重んじられてそれが重んじられることこそが重んじられるような生命体だったらりょうしききかんからしてはなからやっとるというか、それでも兵馬俑のリミテッドとマイノリティは、兵馬俑のマイノリティとリミテッドというマイノリティとリミテッドだから、それ以外の、敵味方というよりは、そうじときんじ、それまでとそのため、ぎりとぎりぎり、とか。
兵馬俑の作者群は、世界的芸術家の資格満点だが、万里の長城が宇宙のどの距離でなら肉眼で見える人工物が知らんけども、兵馬俑はそもそも宇宙から見えないというりょうしきがある。
となると、万里の長城が、構造物というか、外的要因から、芸術品に早変わりの様相の枠組みのフレッシュヒューマニズムというポストモダニズム段階の瞬間なるものは、それはそれまでとそれからとしての(以降は書くの大変だから止める。)
しかし日本語を母国語の輩は兵馬俑がどうでも、活版がどうでも、そして極論では漢語というか漢文の素養だとか学力がどうでも、中国語の格調というのに、はなから兵馬俑は役には立たん。基本の言語として、使用という部分だから、中国人にそれがないというか、その無自覚が大前提ながら、日本語は中国語に接近中なほどでしか格調は今のところ不可能ではあると思い込みしつつ(と書いたら、確かに漢字の使用のみでも、平仮名と片仮名よりは字面も、そして漢字体系は意味が圧縮、意味が完備ということでも、漢字そのものでも格調が出ちゃう出ちゃうというぶぶんもあると思い込む。)、古文というのは、格調というより、逸脱というか、しせいにはんするというか、勿論現代文と同じ活用だと意味が正反対といういわくつきの、そしてしまりのわるさの流麗とでもいうか。カルビーノさんとは異なるけども、軽さというのに、儚さとすら受容可能を含めやがる軽さに現代文からならばなると思い込む。軽さから滑稽さへの変節も思い込みながら。
そして数分だけね♥️兵馬俑を思い込み続ける。
資本なりの集中力によって、仮に現在でも兵馬俑の作成が可能ならば、現代人は兵馬俑を作れると思い込めば、それはマラドーナがその時代に不可能だったのをマラドーナがやったわけで、その時代に不可能というより、兵馬俑をやろうとは皆様思いもしないよということとしても、活版を超えとるというか、記述の変質というか、勿論ピラミッドとは違うインフラのぎりごとさんぶさくがあるのか知らんけども、或いはその瞬間の姿そのものが平和主義という達観すらも匂わせるかも知れないけど、兵馬俑。
兵馬俑知ったかぶりの知識で、個人的に書いてるから、数分間違えて公開しとこう。
とか書きながら、インターネットで五十嵐なつちゃんの傑作アダルトビデオが観れて、数日に一度の大切なナオナニーを終えさせて頂いた後、再び追記。しかもマイオナホールがたぶん五年物という、物を大切にしている私。
しかし、人類愛に震撼した私は、淡路島までまぬけさらしまるだしでいっちまったものの、淡路島までいけるとも思ってもいなかったながら、いくらなんでも人類愛という三文字熟語を繰り出す社会性を知らないけども、ある意味では、朦朧の紺ヘルが、何かを思い込み過ぎると、淡路島までいっちまうということでは、目的地までいけるというかいけたということは、目的は未達ということをあっちの年寄りのあっさんらだか、若者らが知らんし、そもそも私は朦朧の紺ヘルだから、そういう類いでもないという枠はいるにせよ、あっちのど真ん中にぶちこみの未達と、最近それもやる気がないから計画的というより、それまではかくよという時空間は私にあったというのみの朦朧の紺ヘルとして、あっちの1割台のこうもんあいとぺにすらぶのいいきみがぱうろってるやつのどたまに、そのどたまがいるにしてもそのどたまにぶちこみの未達を、それはやれることとやれないことがあるんだが、朦朧の紺ヘルは、それを思い込みとして、やる気もなけりゃぁ、やらない気もなけりゃぁという社会性ではなくて、やれない気がないということを思い込みしてるのみを、目的地にまではいっても、よはねはそこにいねぇよということは、相当先見の明がありすぎるわけで、私は欲張りと、りょうしきとしては思い込みしてないので、あっちのど真ん中までお船でも出してくれりゃぁ、一応こっちでぶちこんでやろうということもほぼ一瞬も脳裏を過らないし、人類愛というワードも、独り言かまして思い込みしてないと、そういう人格や社会性が私は皆無し、生命体にちょっとそれはそれをやってない常態というのが健全で、それを行うような平和主義の実現の乱立そのものが、それを行うにならぬことでもって、恰も人類愛、そして怒ってやりたいぐらいでも、人類愛を、基本から異なる論理で使用という、人類愛もというより、人類愛の不存在に基本があることでの、人類愛という、それらがよっぽどの反人類愛の有り難みとおめでたみという、ことを近年学びつつあるが、脳裏を過らない。というより、無心というか無心。基本朦朧の紺ヘルなので、違う意味では、基本無心なんだが、皆様の基本というか生命論理でそれをそれなりの大昔に、
以下、数時間後追記。
直近のプロスピイベントで、相変わらずパンダカラーは1枚もかすりもしねぇんだが、ホークス村上選手を、それはジャイアンツ川上選手に思ったのと同じとは言わないけれども、超凄くないというか、超凄いと思い込みしてたので、確かに超凄いけれども、超凄い中で超凄くないんだが、それはどうでも良くて、何処かでそのようなぶぶんを書いた私は、仮定として誰かが読んだとして、それで、私は村上選手もパンダカラーの一員にして書いたから、ワールドガチャガチャではなくて、OBガチャガチャにしてある村上選手に何らかのマイノリティとリミテッドの真意があるにしても、それは深緑というか濃緑と灰ということが一見パンダカラーではあるし、私のスマホ画面がそもそも汚いということもありつつ、お肌の色で一応パンダカラーではないけれども、イベント中途半端に頑張って、Aランクカード村上選手が大当たりしたのは、前回のガチャガチャの頃には、私は既に誰がどうでもというか、茶野選手がチョウゴウキンまで後1枚なのに当たらねぇなぁとか程度と、VリーグかVロードのトロフィー、それは勝ち負けよりも、盗塁トロフィーと、満塁ホームラントロフィーが難しいけれども、その獲得への目的意識の高潔さ、そしてリアタイトロフィーは、逆立ちしても逆立ちしなくても、逆立ち出来ても逆立ち出来なくても、何らかの細胞レベルで段違いの奴等の枠組みでの戯れだからトロフィーゼロまっとう中ながら、そういう個人的妄想を書きつつ、こういうのを読むほど人間と社会は暇でもないし、非生産性でもないと書くと、私が恰も非生産性と思われると反論の瞬間の芽生えのせつな、そういうことしか49年間、勿論生命論理にそれが大前提という瞬間の時空間の多様性とかあるけれども、そういうことで前回ホークス村上選手が大当たりしたと瞬間的に思い込みしたら、ちょっと面白かったと書くとそれも穏やかではないけれども、率直な瞬間。
ローマ帝国を瞬間とみるか、みるところをどことしてみるか。
例えば、ありがとうとか、がんばろうとか、その瞬間を、
というよりは、村上選手と言えば一昨年偉業の三冠王獲得されたスワローズ村上選手は、チョウゴウキンしかもチョウプラまでの1枚あるものの、いたのともちゃんが、スワローズの選手と御結婚されたことは知ってる私は、あんまりスワローズに印象派ではなくなる嫉妬心がちょっとこじつければあるものの、それ以外の、社会性としての大ニュースを、ほぼ知らない私は、それよりも、スワローズは古田選手の打力も特にミート君超凄いけども、守備力が人智を超えてるなとプロスピでしか私のようなのは知れないし、知ろうとしないけれども、前回のガチャガチャのライオンズ伊東選手の補給線も人智を超えてると思ったね。
セカンド守備力Aがいないから、センターラインだかのコンボが出せねぇなぁとか、思い込みながらも、今日観賞会始めた映画「R.R.R」は、超大作らしく、DVDのみか休憩が厳かにある所が瞬間処理されている部分まで観て、ジェニーさんのお名前を覚えるシナリオは私には初めてのニュースソースなので、面白いシーンながら、インド映画というのを観た記憶がないほど、私はインドの映画、これがインドの映画かは、それはそういう尺度ではないとは思い込みつつも、インドの映画としてならば、インドというと、私のようなのは、先ずガンジーしか真っ先に思い込みはないんだけれども、カレーとか、数学とか、宗教とかも思い込みつつ、この映画もインドイコールになり始める私は、それでもガンジーが、ガンジーとガンジーのまわりちゃんと安易に書くほどでもないんだが、ガンジーがガンジーになるにはガンジーはガンジーにとって手遅れというガンジーというマイノリティとリミテッドを思い込むと、ガンジーはコクがある。コクしかない。
そのガンジーだからというガンジーが、然程人間にとって、コクのぶぶんが、ガンジーのコクが必要と不要がやはりあって、
ガンジーは偉い人だから、あまりかくのはよそうと思い直した。
2024.3.5
げんごはったつしょうがいとはどういうことか。
2024.3.6
まだ6日か。
なげぇなこんげつ。
私は30代にちょっとひん曲げて、あれこれしつつ、割礼ちんぽのツートンカラーを、1年間たまぁにお部屋で日焼け作業に取り組みしていたけれども、ばしょが違ったというか、こくどうが違ったというか、じきが違ったというか。