アメリカの憲法が銃の所有を認めていることは、一般の人びとにとって、実際に身の危険が迫った時には必要かも知れません。しかし、銃を犯罪の為に使う側には常に好都合です。アメリカが原爆を所有する考え方もほとんどそれと同じです。大多数の人は人に銃口を向けようと考えることはありません。しかし、向けられたら同じように相手に向ける。映画ハクソー・リッジでは、第二次世界大戦中、戦場で国の為に奉仕したいという若者デズモンド・T・ドスが汝殺すことなかれという宗教的心情と、自身が幼い頃、誤って銃で兄を殺しかけた体験が基で、軍隊での射撃訓練を拒否し、あわや軍法会議にかけられそうになりながらも、最前線で75名の重傷の兵士を救い出すという、実話をもとにしたストーリーが描かれています。確かに衛生兵だからと言って、敵は容赦なく銃撃してきます。ドスが初めて前線に出る時、上官から衛生兵の赤十字が入ったヘルメットを脱げと言われます。敵はそれを狙って撃ってくるから、と。ドスの行動はまれに見ることだから映画にもなり、賞賛もされますが、戦争で亡くなられた方の方が多いのです。では、やはり、銃所有を容認する憲法は正しいのか。憲法による人権を考えた時、銃を所有する権利を奪うことはできません。しかし、人命を損なう権利は誰にもありません。銃所有を容認する憲法が銃を手にする犯罪者を保護しているとも言えるのです。これは、今日本で憲法九条に対する議論についても言えることで、憲法に明記することで、必ずそれを盾にして行動しようとする考え方が生じます。正しいか正しくないかではなく、それは必然なのです。