障害と英語と夢と

16歳で障害者になった40代主婦。
苦しみ続けた日々と人生を変えた独学英語について

3年間の屈辱

2016-09-10 19:22:10 | 私のこと
ブログを始めてから、過去のことを色々思い出すようになりました。

誰にも言えず閉じ込めてきた感情、こんな風に吐き出せる場があることを
不思議に感じながら、誰に宛てるでもなく書いています。



今だから分かることができる過去の自分と今の自分とのつながり。

今日は私の3年間のOL時代のことについて書きます。
タイトル通り、屈辱の3年間でした。



初めての就職


事故から約4年後、20歳の時でした。

無事面接試験に合格し、障害者採用で中途入社した企業は
大手の電機メーカーでした。



今はもう支店に合併されてありませんが、当時車で約20分のところに小さな営業所があったのです。


16歳から事故の後遺症とだけ戦って来たような私は
あまりにも無知でした。


社会のしくみや大企業で働くということを、ここで一つ一つ学んで行くことになりました。


それは、初めて口にする、苦い苦い薬ばかりでした。
(その苦い薬が今の私を作ってくれています)


喜んで入社したのも束の間、周りはエリートだらけでした。

有名私立大学や国公立卒業の営業マンたちと働くことになったのです。

私は教育熱心な家庭に育ったわけでもなく、そういう大学の名前を言われてもピンときませんでした。
(今思うと本当に恐れ多いです

営業事務として仕事をスタートした私ですが、直属の上司Aさんは某国立大卒の人でした。
天は二物を与えずと言いますが、その人は二物も三物も備えたような人で、
イケメンで背も高く、頭もよく仕事も出来、目立った存在でした。

その上の上司は某有名私立大卒で神奈川県出身のBさんでした。
関西出身の私にとっては異国の人に思えました

お坊ちゃま育ちの雰囲気を醸し出し、仕事は出来るタイプではないものの
プライドは超高い感じでした。

あからさまに自分のレベルの低さを突きつけられました

全国の支社や支店、そして得意先の企業も有名メーカーばかりなのでエリートだらけ。

そんな中に何も知らずに飛び込んだのでした。


私より半年前に入社していたもう一人の事務の女性は(彼女は短大卒)
そんな環境にも馴染み周りの人たちとも上手くやっているように見えました。

障害者で何のバックグラウンドもないどころか、当時の私は日曜日に
通信制の高校に通っていました。

交通事故したのか。可哀想に・・・
なんて言ってくれる人は一人もいなく、当たり前ですがみんな競争社会の実力主義で必死。

出来ない者はいらないのです。

私はのけ者にされているように感じました。


今まで大事に大事に保護されて来たことにも気付き、社会の厳しさを初めて知りました。


身体の自由も利かず、あまりにも自分とはかけ離れた世界にも対応できず、
こんなはずじゃなかった・・・と、自分の運命を恨み苦しみました。


それでも負けたくなかったし、3年は頑張ろうと辛抱しました。


あるとき、会社のBBQに誘われました。
某国立大卒のAさんです。

自分に相当引け目を感じていたので当然気が向かなかったのですが、
幸い、用事がありました。

「今、私日曜日高校に通っているので行けません。」


と返事したとき、Aさんはぷっ!と笑いました。

しまった恥さらしなこと言うんじゃなかったと後悔しました。


同じチームにちょっと変わったCさんがいました。
その人は毎日毎日、隅から隅まで日経新聞を読み、隣に座っていた私に、「3年後にはこうなるんやで」
とか経済界の動きや新製品の開発状況など、色々話してきました。

そして、毎日夜中まで誰よりも遅く会社に残り、エクセルで色々データを作り研究したりしていました。


また私を一人前に育てようと、色々世話を焼き口うるさく忠告もしてくれる人でした。
(当時の私はその優しさに気付けず、ありがた迷惑にさえ思ってました)


そのCさんがある日、私の交通事故について聞いてきたことがありました。
詳しくは思い出せませんが、その時私が通信制の高校に通っていることを「偉いな」
と言ってくれたことは忘れられません。

会社の中でそんな事を言ってくれた、たった一人の人でした。

そして、今になって気付くことがあります。


Cさんは工業高校を卒業し18歳で入社しています。
大企業に入社し、学歴のないことから給与や昇進などの待遇で悔しい思いを
いっぱいしていたのではないか?

だからこそ、何を聞かれても答えられるように誰よりも情報収集をし
夜中までパソコンのスキルを磨いていたのではないか?

その甲斐あって実際、AさんもBさんもよくCさんを頼って助言を求めている光景を
目にしました。


今になって思います。


自分が悔しい思いを経験しているからこそ、私のことも受け入れてくれたんだなと。


思い返せば悔しい思いのかたまりの人生でした。


でも今やっといくつかの「自信」と言う収穫も得られたように思います。



今日出会った素敵な言葉を一つ


" I can and I will.
Today is going to be a great day."




私は出来るし、やる!

これからもそんな自分でありたいです





リハビリについて(1)

2016-09-08 14:59:42 | 日記
今日は私のこれまでのリハビリについて書きます。

意識が戻り、数日後から病院のリハビリ室に行くようになりました。

16歳で初めてみる光景でした。

そして、みんなが私に注目しました。


若いのにどうしたの!?  かわいそうに・・・。

毎日毎日そういう言葉を浴びせられました。


周りの人たちは半身不随の私を見て、これは長期にわたる後遺症であることが分かっていたのですね。


当時の私は左半身がだらりと垂れ下がり、足に補助装具を付け杖をついていました。
頭の手術で髪は剃られ坊主頭。


リハビリもただ療法士にされるがまま、まるで赤ちゃんを世話されているような状況でした。


逃げ出したい・・・。そう思うようになっていました。

そんな時、父親がこんな話を持ちかけました。

長野県にいいリハビリ温泉病院があるから行ってみないか?

私は行くと即答しました。

ただ逃げ出したかったから。
誰にも私の姿を見られたくなかったから。
誰も私のことを知らない所に行きたかったのです。


長野県に行ってリハビリをすれば完治できる。
完治したらみんなの前に出て行こう。

そんな甘いことを考えながら、遠く離れた長野県の山奥のリハビリ病院に一人で入院することになりました。


結果。


初めて親元を離れ一人での入院生活。
周りは大半がお年寄り。

車椅子に乗せられ、重度にマヒした体などで皆の表情は暗く、
言葉に表せないような惨めさを味わいました。

そうして日に日に現実を理解するようになり、
私は心を閉ざし殻にこもるようになっていました。

2ヶ月くらい経ったころでしょうか、主治医から母に連絡があったようです。

この子をここに置いておいたらダメになります。
連れて帰って下さい、と



そして私は一ミリの回復もすることなく、逆に心に大きな傷を負い自宅に戻りました。


頭を激しく損傷したせいもあり、しばらくの間は知能レベルも低く、
幸い、現状を把握するのに時間がかかっていた訳ですが
この頃から知能レベルががはっきりと回復し始め、精神的に苦しむことになりました。


しばらく家に引きこもるようになりました。
友達との交流も全て断ち切り一人ぼっちでした。

何時何分単位で、テレビの全チャンネルの放送を全て把握しているほど
ただテレビを見ていました。(当時はインターネットもスマホもケーブルテレビもありませんでした。)


たまに出会う人が言いました。

日にちぐすりだよ。頑張れ。

そしてこの頃よく母が言いました。

天はね、その人に乗り越えられない苦難は与えないのよ。

黙っていましたが、私はそういう言葉が腹立たしかったです。
八方塞りの私には何の励ましにもなりませんでした。


2階の部屋の窓から、母が出て行く後ろ姿を追いながら妬ましく思ったり
そんな自分が情けなくて泣けてきたりしたこともありました。

事故後2年位経ち、私が18歳になる頃、さすがにこのままではまずい、と
再度近くのリハビリ病院へ外来で通うようになりました。

ひきこもっていたので、これもかなり勇気の要ることでした。



ここのリハビリでも現状維持にとどまるくらいで、身体機能の回復はさほどありませんでしたが、
ここで出会った理学療法士の方は、私の社会復帰に向けて色々と情報をくれました。

障害者手帳を申請すること、車の免許も片手で取れること、障害者の職業訓練センターのことなど。


ちょうど風の噂で「あの子がどこどこに就職した」とか「運転免許を取った」とかを
耳にするようになり、私も正直焦り出していました。


そして社会復帰したい!!

と思うようになります。


それから、車の免許を取得、通信高校への転入、職業センターでワープロ(古っ
を習ったり、秘書検定やワープロ検定などの資格も取りました。

そして、障害者採用ですが企業に就職することもできました。


こうしてリハビリが社会復帰へと変わって行きました。

以来、リハビリには通っていませんでした。


子育てもひと段落した三年ほど前、さすがにこれからの自分の健康、そして
少しでもよくなりたい、との思いから、約20年ぶりに病院の門を叩くことになります。



英語学習の産物

2016-09-06 15:24:23 | 英語学習
人生を変えたい!!

そう思って英語学習を始めた私でした。
ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、本当です。

英語を勉強して人生が変わる保証もありませんでした。

でも、英語をしゃべっている自分、教えている自分を
想像するだけでモチベーションになりました。

また、私の障害をカバーしてくれる何かが必要でした。


正直、苦しかったことも多かったです。
英語を楽しむなんていつのことやら、と思いながら、
上へ上へと一歩一歩目標を持って進んできました。

でも、人生、何か頑張っていると必ず産物というのが与えられますよね。
スポーツでもダイエットでも節約でもIT系やボランティア
どんなフィールドでも頑張って取り組めば結果として産物が与えられると思います。


当時の私はそんなこと全く気にしないでやってきた訳ですが、
ある一定量をこなしてきた後で、私にも産物がポンポンとやってくるようになりました。

そしてそれは言うまでもなくモチベーションになり、また私を英語学習へと
駆り立ててくれました。


まず、こんな言葉に出会いました。

学歴コンプレックスの私は非常に感銘を受けました。


"Education is the best friend
An educated person is respected everywhere.
Education beats the beauty and the youth."



「教育は最良の友だ。教育を受けた人はどこでも尊敬される。教育は美貌にも若さにも勝るのだ」



これだ!!


私は思いました。
あっという間に40歳、50歳、60歳と年をとる。
女性である魅力もなくなっていくだろう。
でもEDUCATIONは無くならない。ましてやRESPECTが得られる。


これは実ビジのquote-unquoteで取り上げられたフレーズです。


いつもはふむふむ・・・と聴いているだけなのですが、このフレーズはさささっ!とノートに書き留めました。



英語、がんばろう・・・。今でも支えになっています。





次の産物です。

リーディングが大の苦手(読書嫌い)の私は、当然壁にぶち当たりました。

避けて通れない道でした。

当時の私は英検に受かるためだけにリーディングに
取り組むことになります。

英字新聞の購読なども考えましたが、英検1級チャレンジャーの多くがTIME
読んでいるということを知り全く興味が沸きませんでしたが
仕方なく読むことにしました。

世界のありとあらゆる事情が難しい英文でズラーッと書かれています。

全く頭に入ってこず、ただ文字を追ってるだけ。
知らない語彙を調べ出すと相当な時間と労力がかかり、
TIMEを開くとすぐ眠気に襲われるそんな状態が続きました。


それでもしばらくすると状況が変わって行きました。

アメリカのドラッグ中毒者、性的マイノリティの心の闇、アメリカの兵士が戦争で負った心のトラウマ、
アフリカのレイプ蔓延の悲惨な事情、シリア難民たちの実情などなど・・・。

読みながら心がえぐられました。


こんなに知らなかったことがあったのか

世界のこの人たちと比べると、左手が不自由なことなんか、
ちっぽけなことかもしれないと思えてきました。

手足が自由に使えても私より辛い状況の人は山ほどいる。

アフリカでレイプの被害に遭い、妊娠させられたある女性は
VICTIMじゃなく、LEADERになることを決意し、現状を隠すのではなく
声を上げ、撲滅に向けて運動を起こしていました。


VICTIMじゃなくLEADER・・・

この言葉も私に突き刺さりました。


気持ちを高めてくれた記事ももちろんあります。





シンガポールの特集でした。





このスーパーツリーはあのマリーナベイサンズの周りのガーデンにあり、
夜にはイルミネーションでキラキラと輝きます。

しかも美しいだけじゃない、ソーラーパワーで発電していること、
雨水もためる機能があったり、さらに空気清浄機能や周辺の温度調節までしていることなど
紹介していました。


さらにドバイの世界一高いビル、ブルジュ・ハリファの建築家の記事



現在はもっと高いビルを建設中らしいですが、
記事を読みながら、この展望台から景色を眺めている自分の姿を想像しわくわくしました。






英検に受かったらお金を貯めて海外旅行に行こう!

あれもしよう、これもしようと考えるようになりました。


英語学習はただ英語が分かるようになるだけじゃありません。

世界を知ることが出来ます。
視野が広がります。


見えなかったものが見えるようになり、
聴けなかったことが聴けるようになります。




英語学習者はこういう産物に励まされ感化され、継続できているのではと思います。

共感してくれる方がいればうれしいです。




TOEICについて(3)

2016-09-05 14:37:50 | TOEIC
2016年7月、8回目のTOEIC受験。

今回は気合十分で臨みました。
いえいえ、いつも気合は入れていますが、いつも以上に気合が入っていました。

前回情けない思いをしたから。

私にはこのしょっぱい思いがないとだめなようです。

しょっぱければしょっぱいほどパワーが沸いてくるようです。

それの繰り返し 学習機能なし
しょっぱい思いする前に気付ける自分になれないものか・・・。



前回の反省点。


いっぱいありました。

まず、準備不足、勉強不足で臨んだ事。
英検1級合格したし、いけるだろうという甘い考え。


そんなこともあり、集中力が欠けていました。
120%くらいの気持ちでいかないとスコアが出せない自分
なのに。

当然ですが、リスニングでもだいぶ落としています。

全力で戦えなかった自分が本当に情けなかったです。


今回は必死でやろう!
そう思いました。


そして高得点を狙うためにこれを買ってみました。


CD-ROM付 [新装版]TOEIC(R)テスト BEYOND 990 超上級問題+プロの極意
クリエーター情報なし
アルク




あとこれも買いました。



新TOEIC TEST 出る単特急 金のフレーズ
クリエーター情報なし
朝日新聞出版




試験当日まで必死で取り組んだとまではいきませんが、気合は高まって行きました。


前回はPART7で塗り絵が8問ほどもあり、それが得点に反映されたものと思っていた私は、
作戦を変えました。

リーディングはPART7、6、5の順番で解こうと決めていました。



当日。

気合十分でした。
近くの喫茶店でモーニングを食べながら中村澄子さんの本を気休めに数問解き、





高速で会場に向かいました


リスニングは集中力が切れることなく、まずまずの手ごたえでした。


そして気合十分でPART7から取り組みました。

まずはTP(トリプルパッセージ)。

時間に余裕があったら簡単に解けるだろう
そう思っていました。

確かに英文は難しく感じませんでした。

でもどこに答えがあるか見つけ出せないのです。


飛ばして次に行けばいいものを、また意地がムクムクと顔を出し、絶対答えてやる!!
となってしまい、結果、相当な時間をPART7に割いてしまいました。


結局時間切れで、PART5のおそらく解けたであろう問題を5問ほど塗り絵し、終了でした。


結果。





自己最高をマークできたものの、たった10点・・・。

またもや惨敗でした。


でも今回は自分の弱点に気付きました。


英文を読む遅さはあるものの、何より答えを見つけ出すのが苦手。

たぶん私は、間違い探しゲームなんかも苦手だと気付きました。


すなわち、情報処理能力の欠如ですね。



問題はPART7です。
作戦立て直しです。


次の受験は10月!!

目標は900点


取れるまで頑張ります。


TOEICについて(2)

2016-09-04 14:14:34 | TOEIC
2012年3月、3回目の挑戦。


結果。




やったー!! 

ついに800点達成!!
ジャスト800、スレスレというところが何だか私らしく、思わず苦笑しました。


800点取得が3月、塾講師としてスタートを切るにもちょうどよく、
すぐさま履歴書を用意し、応募しました。


無事に塾講師にもなることができ、一気にスコアも100点近く上がったことに
すっかり気分をよくした私は、この調子でいけるかもしれない、そんな思い上がった気持ちで

2ヵ月後の5月、4回目を受験しました。


結果・・・。






がっかり・・・


思い上がっている時はいい結果なんて出るはずがありません。
800点取れた、という安堵感もありました。


英語学習は本当に頑張りと結果がよく反映されることを思い知らされます。


ただ、この辺りから私のリスニングに変化が現れます。


PART3、4の先読みが何とかできるようになって来ました。
それでも全力です。ちょっとでも油断すると溺れかけアップアップの状態です。


5回目の受験は2012年10月


結果。





何とか800は死守することができました。

もちろん満足はしていません。

TOEICに特化した訓練を積めば結果は出せると気づいていました。


ですが私にはそれはできませんでした。


日ごろの学習の成果としてスコアを伸ばして行きたいと思っていたからです。


6回目の受験は2013年12月。
前回の受験から1年が過ぎ、さすがにやばいと思っての受験です。


結果。





この時の私はAランクの860点を意識するようになっていました。

あと15点・・・

少し努力が足りない自分を物語っているような結果でした。


塾講師になり3年が過ぎ、日常生活も英語生活にも物足りなさを感じ始めていました。


目標を立てよう!!

まだまだこんなところで満足できない。
自慢できる英語力もまだまだついていない。
もっと頑張ろう!

そう思った私はTOEIC900点と 英検1級のどっちをとるか天秤にかけました。

そして究極の選択でしたが、英検1級を選びました。

これについては後日記事にしたいと思っています。


そして無事英検1級に合格することができました。
すっかり天狗になっていた私は、TOEIC900点なんてすぐ手が届くだろう。

完全に思い上がっていました。

そして、何とも驚きのアナウンス、

TOEICが変わる!!2016年5月から新形式になりました。


新形式スタートの2016年5月の受験を決意した私は
公式本を購入し、確認をしてから臨みました。


TOEICテスト公式問題集 新形式問題対応編
Educational Testing Service
国際ビジネスコミュニケーション協会



結果・・・。





えっ!

久しぶりの受験で、しかも新形式。
受験直後の感触で出来の悪さは認識していたものの、ここまでとは思いませんでした。

明らかに受験中の体感や空気は変わっていました。
先読みもアップアップ状態でなく、選択肢まで目を通せるようになっていました。

リーディングに関しては苦手ではありますが、分からない語彙はほとんどなく、文章自体難しい!!
と感じることはなくなっていました。

それなのに・・・。

甘く見すぎていた・・・。

ごめんなさい・・・。


そして2ヵ月後の7月のテストに申し込みました。

これが私の一番最近のテストになります。

つづく・・・。