気ままな糖質OFF生活

八ヶ岳南麓と東京の二地域居住しているオヤジのつぶやきです。長年、糖質OFF生活を過ごし、楽しく生活しているおやじです。

これは、あの地震の時に購入した懐中電灯だよね。

2020年04月17日 | 日記
2011年3月11日14時46分三陸沖を震源とするマグニチュード9.0、最大震度7の地震により東日本大震災が起きた。
地震の後、福島原発事故、計画停電と続く。

その時も物不足になったと記憶している。
そんな時期、ある取引先が大阪から取り寄せた懐中電灯を見せて、買っていきなさいと言う。
別に高値で売りつけるわけでもない。
明らかに、親切心からからだと思う。
それでも一瞬、私は買って良いのか迷う。
確か、家に懐中電灯はあったよね、と思う。
私が買うと誰かが困るかも知れない。
すると「これ、LEDで明るく、長時間使えるから決して損にならないから、持って帰って」と私に渡す。
取引先の好意なので素直に「ありがとう」と言って代金を払う。



「これは、あの地震の時に購入した懐中電灯だよね」
と言うと、「多分」という返事が戻って来た。
これは今でも、便利に使っている。

そして、急に今まで忘れていた記憶が蘇る。
あの時も色々あった。
思っていないことが次々と起こった。
その一つ一つが忘れてはいけない事だと反省。

あの時を分析した、あるレポートを見た。
10数%~数%の人が多めにモノを購入した段階で都市の物流は崩壊すると言う。
また、提供側が問題ないので「安心して下さい」、物資・燃料は十分に足りているので、「落ち着いてください」というメッセージより、「人々のニーズ・物資・燃料の被災(供給)状況の開示と「現状の対応」・これから、供給しようという「将来の見込」」が大切だという。

何だか、今でも思い当たる。

しかし、仙台に親族がいる同僚が大量の物資を大量購入して、車で仙台に向かった事を非難なんてできない。

しかし、政治家は相変わらずだと思う。
あの時も、民主党の菅総理大臣は混乱している現場に訪問。
突然の訪問に福島原発の吉田所長は難色を示し、人員の余裕がないので1人で対応。
松本復興大臣は、「知恵を出したところは助けるけれど、知恵を出さないところは助けない」と被災地で発言、その他命令口調で多数失言。
サッカーボールを知事に向かって蹴って、復興に向かって「キックオフ」と良くわからないパフォーマンス。
海江田経産大臣は、国会で問い詰められて、号泣。

それでも、この懐中電灯はしっかりと役割を果たしています。
日本のものづくり、あなた達にエールを送ろう。
本当の意味で、これからの日本を支えてくれるのは貴方達だから。


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