世界が統一され、誰もが「自由に好きな所に移動できる地球」を理想とする思想を「グローバリズム」と定義します。その「グローバル社会」では、当然「土地の占有権」は保障されません。何故なら、「国家」とは、支配者に土地の占有権が有る状態を云うので、占有権を認めると「グローバル社会」が成立しなくなるからです。
民主主義国家では、国民が「国家の所有者」なのでグローバル社会とは相性が悪いのですが、共産主義の場合は共産党が国家の所有者になり、世界を単一の共産党が支配した場合は、グローバル社会が完成した状態になります。
また、若しも「個人の完全な自由」が認められると、その究極は、世界が一人の覇権下に置かれる事も容認する事になるので、必ずしも「共産主義」だけが「グローバリズム」とは言い切れない事は明らかです。
「世界」の「界」は「この世」と「あの世」の境界を意味し、この場合の「世界」には「あの世」は含まれません。つまり、死んだら終わりの世界です。その「グローバルな世界」では、自由往来が保障されているので少なくとも「土地の所有権」は規制され、精々「居住権」が与えられるだけです。
現在の国際社会では、国家ごとに土地には所有権があり他人が自由に(許可なく)往来することは出来ません。また、個人の居住地も決まっているので、国家として住民税や固定資産税をその「縄張りの長」が徴収するのに便利です。
ヒトを除く「動物社会」では、土地の所有権が無いので「先住権」を優先させ、早い者勝ちになりますが戦いに負けたら追い出されます。この思想は古くからあり、と言うよりも動物の世界では当たり前の法則なので「グローバリズム」とは言っても、有史以前からある自然則とも言え、「知能が未発達」なら誰でも思い付く思想と言えます。
この「バカ思想」の代表例が「大侵略時代(通称、大航海時代)」であったことは以前書きましたが、これに終止符を打ったのは「大東亜戦争」です。世界を民族別に分割統治をし、対外的には平等な貿易関税で「国際社会」を安定化させる役割を持つのが「国際連合(戦勝国連合ではない)」の筈でした。
しかし、この「平等」が曲者で、決して「公平」ではなく、強い者が勝つと云う現存の「戦勝国連合(通称、国連)」が誕生していまいました。近い将来、正義感から「民族自決の為の大世界戦争」が勃発するかも知れません。
それは兎も角、「消費税」は貧富の差も居住地も関係なく、人なら誰でも消費をする特性を利用した平等な課税方式なので、「グローバリズム」には最も適した税制と言えます。「グローバル社会」の人民は、決まった土地に住む必要もなく、「この世」なら何処でも移動は自由ですが、「誰かが生産したモノ」を買うか盗むかしなければ生きて行くことは出来ません。
買うと「消費税」を負担しなければなりませんが、盗むと「あの世」に逝くかもしれません。
農家にしても「農地の所有権」は無く、誰でも使用可能で、結果として「強い者が占有可能」となり、生産に従事するのは「この世」の人民です。当然、盗み食いも自由ですが「あの世」に送られるだけなので、「この世」では何の問題も起きません。
現在の様に、国境のある「国際社会」の場合、「消費税制度」で得をするのはドロボー(或いは輸出企業)か、消費税の安い国へ行く事の出来る富裕層なので公平とは言えません。「グローバル社会」なら、何時でも何処でも消費をするたびに同じ税率を負担しなければならないので、消費性向を無視すれば平等と言えます。つまり、「グローバリズム」と「消費税」は最も相性の良い平等な税制と言えます。
当然「輸出関税」も無く、自由競争で強い企業が生き延びる事が出来る、合理的で平等な社会システムと言え、人民は自然界の野生の動物の様に暮らす事が出来ます。
これこそが人類の自然な姿であり、歴史が繰り返す理由です。
また、若しも「個人の完全な自由」が認められると、その究極は、世界が一人の覇権下に置かれる事も容認する事になるので、必ずしも「共産主義」だけが「グローバリズム」とは言い切れない事は明らかです。
「世界」の「界」は「この世」と「あの世」の境界を意味し、この場合の「世界」には「あの世」は含まれません。つまり、死んだら終わりの世界です。その「グローバルな世界」では、自由往来が保障されているので少なくとも「土地の所有権」は規制され、精々「居住権」が与えられるだけです。
現在の国際社会では、国家ごとに土地には所有権があり他人が自由に(許可なく)往来することは出来ません。また、個人の居住地も決まっているので、国家として住民税や固定資産税をその「縄張りの長」が徴収するのに便利です。
ヒトを除く「動物社会」では、土地の所有権が無いので「先住権」を優先させ、早い者勝ちになりますが戦いに負けたら追い出されます。この思想は古くからあり、と言うよりも動物の世界では当たり前の法則なので「グローバリズム」とは言っても、有史以前からある自然則とも言え、「知能が未発達」なら誰でも思い付く思想と言えます。
この「バカ思想」の代表例が「大侵略時代(通称、大航海時代)」であったことは以前書きましたが、これに終止符を打ったのは「大東亜戦争」です。世界を民族別に分割統治をし、対外的には平等な貿易関税で「国際社会」を安定化させる役割を持つのが「国際連合(戦勝国連合ではない)」の筈でした。
しかし、この「平等」が曲者で、決して「公平」ではなく、強い者が勝つと云う現存の「戦勝国連合(通称、国連)」が誕生していまいました。近い将来、正義感から「民族自決の為の大世界戦争」が勃発するかも知れません。
それは兎も角、「消費税」は貧富の差も居住地も関係なく、人なら誰でも消費をする特性を利用した平等な課税方式なので、「グローバリズム」には最も適した税制と言えます。「グローバル社会」の人民は、決まった土地に住む必要もなく、「この世」なら何処でも移動は自由ですが、「誰かが生産したモノ」を買うか盗むかしなければ生きて行くことは出来ません。
買うと「消費税」を負担しなければなりませんが、盗むと「あの世」に逝くかもしれません。
農家にしても「農地の所有権」は無く、誰でも使用可能で、結果として「強い者が占有可能」となり、生産に従事するのは「この世」の人民です。当然、盗み食いも自由ですが「あの世」に送られるだけなので、「この世」では何の問題も起きません。
現在の様に、国境のある「国際社会」の場合、「消費税制度」で得をするのはドロボー(或いは輸出企業)か、消費税の安い国へ行く事の出来る富裕層なので公平とは言えません。「グローバル社会」なら、何時でも何処でも消費をするたびに同じ税率を負担しなければならないので、消費性向を無視すれば平等と言えます。つまり、「グローバリズム」と「消費税」は最も相性の良い平等な税制と言えます。
当然「輸出関税」も無く、自由競争で強い企業が生き延びる事が出来る、合理的で平等な社会システムと言え、人民は自然界の野生の動物の様に暮らす事が出来ます。
これこそが人類の自然な姿であり、歴史が繰り返す理由です。
共産主義は人民統治に有利な制度なので、政党名の違いは兎も角、共産主義は拡がっています。
自由意思で投票したつもりでも選挙結果は投票前から決まっていたり、言論統制の自由が保障されています。
現在は、共産主義の縄張り争いのお陰で、外見上の自由が保障されている様に見えるだけだと思います。