一説によると、古代の日本では年齢の加算は、生まれて直ぐに一歳になり最初の春分か秋分を過ぎると二歳になります。これは、この時代は暖かくて一年に二回の(米の)収穫が出来たからだと思われます。つまり、今の二倍の速さで年齢が増える事になります。運が良ければ(?)春分直前に生まれたら、すぐに二歳になり、秋には三歳、来年の春分を過ぎると四歳になります。
今の感覚で言うと、生まれて一年と少しで四歳になるのですが、この風習は「皇紀千二百年(西暦540年)」頃まで続いたと思われます。これは、「皇紀千二百年」以降の日本の歴史と世界(シナ大陸)の歴史の年号計算がほゞ一致している事が判っているからです。恐らく、日本での歳の数え方を「皇紀千二百年」以降に「世界標準の1年一歳」に合わせたのだと思います。
この事から考えると、「皇紀」の元年から千二百年頃までの年の数え方で2年間は、西暦年で言うと1年間(二倍年)なので、今の数え方では半分の600年になり、皇紀元年は(西暦)BC.60年頃になります。これを概算式で書くと、
西暦540年以前は: 皇紀=(西暦+60)X2 --- (但し、西暦≠0。皇紀≠0。)
西暦540年以降は: 皇紀=西暦+660
西暦540年以降は: 皇紀=西暦+660
と、なります。
つまり、「皇紀元年」は「西暦の、-60年(BC.60)」と云う事です。「記紀」での歳の扱いが1年で二歳増える事は「真実」ですが、後の学者が知ってか知らずか「歳の数え方を、年の数え方に当てはめた」為に、年数が合わなく成ったと思われます。「年」と「歳」とは、本来は意味が違うと云う事です。
「古事記」によると、神武天皇は「神武元年」に天皇に即位し「神武七六年」に137歳で崩御されたと書かれています。
「皇紀」で書くと、皇紀元年に即位し、皇紀七六年に一三七歳で崩御。
「西暦」で書くと、紀元前60年に即位し、紀元前22年に68才で崩御。
「西暦」で書くと、紀元前60年に即位し、紀元前22年に68才で崩御。
これは、皇紀千二百年(西暦540年)以前の年齢と年数を、今の年数の2倍で数えたからです。
一説によると、神武天皇以来「日本二千六百八十年の歴史」は、西暦で言うと「2080年の歴史」になります。
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