小沢一郎民主党幹事長は、2009年に中共訪問団として626名(内、民主党議員143名)を引き連れて中共の胡錦濤主席に会い「こちらのお国(中国)に例えれば、(日本)解放の戦いはまだ済んでいない。人民解放軍でいえば、(小沢は)野戦の軍司令官として頑張っている。」と語ったそうです。
人民解放軍の野戦軍司令官である小沢一朗氏は、今は敗走中ですが安心はできません。過去の「日華事変」では、蒋介石は南京から敗走し、毛沢東も敗走しましたが見事に復活しました。
支那大陸では1927年から1937年までの国共内戦があり、毛沢東が延安に敗走後、「日華事変(日中戦争)」が1937年から1945年まで続きました。「日華事変」は日本と中華民国(蒋介石)の戦いで、中国共産党(毛沢東)も僅かながら戦いに加わりました。間もなく蒋介石は敗走し1940年には親日の中華民国(汪兆銘南京政府)が成立しました。一方、蒋介石は米国の力を借りて重慶で復活しました。
この時のドイツは、日本と日独防共協定を締結していながら、蒋介石に軍事援助をしていました。ところが日本軍は、日独関係の悪化を憂慮し、鹵獲したドイツ製の武器を「ソ連製または某国製」と偽って公表したそうです。
1920年頃から中国の紅軍を援助していたソ連は、終戦間際の1945年8月8日に本格的に参戦し、予定通り毛沢東は復活しました。そして、日本との戦いで弱体化した蒋介石軍をいとも簡単に打ち破り、支那大陸を手中にしました。
一方、蒋介石は台湾に逃げ延びて、台湾を「中華民国」と言い張り、元日本人である台湾人を弾圧した為、古くから台湾に住んでいた本省人は「犬が去って豚が来た。犬はうるさかったが番犬としては役に立った。しかし豚は食うばかりで役に立たない。」と日本時代を懐かしんだそうです。
話しが逸れ過ぎました。
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