「奴隷」とは、本人の意思に反する方法で労働力として個人的に「売買された人」の事ですが、ミクロ経済での「強制『無賃』労働者」と言えます。 「無賃」とは言っても、生きて行くのに最低限必要な「衣食住」は提供されているので、人権は別にして、経済整合性は取れているようにも見えます。
ここで言う「経済」とは「経世済民」の略語ではなく、「economy(エコノミー)」の日本語訳です。「理財」と言った方が良いかもしれません。
自分の意思による労働でも、労働の対価として得る可処分所得が「生活保護費以下」の場合は「奴隷的労働者」と言えます。それは、「生活保護費で健康で文化的な最低限度の生活の保障する」とされていて、これ以下の賃金では「文化と健康」は保障されない恐れがあるからです。
「契約派遣労働者」とは、本人の自由意思で、労働力として組織的に「売買された人」の事です。マクロ経済での「自由意思『実質無賃』労働者」と言えます。
「実質無賃」と言うのは、生きて行くのに最低限必要な「衣食住」は自分の自由意思で可処分所得の範囲内で調達できますが、マクロ経済で見ると外見上、統計では「奴隷的労働者」と言えるからです。但し、個々の社会的要素は無視しています。
「受入れ外国人労働者」とは、本人の意思で労働力として、国家の承認によって「仲介された人」の事です。この場合も多くのデータが示しているように、人材派遣業者が一枚かんでいて、受取賃金が生活保護費より少ない場合が見られます。これは、グローバル経済下での「外国籍自由『実質無賃』労働者」と言えます。
この場合は「無賃労働」とは言っても、自国との生活水準や為替レートの関係で、自分の「衣食住」に費やした賃金の残余を自国に送金すると、それなりの価値が創出される場合があります。
しかし、グローバル経済として見ると、受け入れた国側では「奴隷的労働」と言えます。
「非関税障壁の撤廃」や「無関税化」と共に、労働市場の自由化はグローバル経済の、取り敢えずの最終目的です。 他国の国民に「奴隷的労働」をさせると自国が儲かるようにも見えますが、これは間違いで、結果としてどの国も利益を得ることは出来ません。
ミクロ経済で見ると各個人が自由に活動しているかのような錯覚に陥り、マクロ経済で見ると各国家が自由貿易をしているように見え、その本質は「グローバル資本」に利益が集中する構造です。
グローバル経済とは、「国家」とは無縁な「グローバル資本」の経済手法で、地球全体の「自由労働者」を「奴隷」として働かせる、「世界共産主義」の完成形です。
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