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「植民地」 と 「開拓団」

2022年04月13日 | 戦争史
 満洲(マンジュ:女真)民族の住む「満州(まんしゅう)」は、清朝の聖地でしたが、日清戦争で敗北した清朝の弱さを見たロシア帝国の南下が激しくなりました。暫くして「日露戦争」が勃発し、日本帝国が勝利してロシアの「満州」での租借権の一部(南部)を日本が獲得しました。

 ところが、日本に敗北した「清朝」と「ロマノフ王朝」は共に革命によって消滅し「中華民国」と「ソビエト連邦」が成立しました。大陸文明の法則では「前政権が締結した条約」には紙クズの価値も無いので、「満州」を巡って混乱が起きました。

 この時代の歴史経過は複雑に絡み合っていますが、支那大陸中心部から追い出された元(もと)清国民の受け入れ先として、「満州」を開発する為に日本からも「開拓団」が政策として送り込まれました。

 欧米の圧力も有り、「満州」の権益を日本が独占することはできず「和(日本)・韓(半島)・満(女真)・蒙(モンゴル)・漢(支那)」の五族協和を目指していましたが、太平洋戦争で敗北した後に「中華人民共和国」と言う名前で「中共」の支配地域に組み込まれ、現在に至ります。

 この「満州開拓」を
国際的な定義で「植民地」と言えるかどうかは、私には分かりませんが、その実態は「日本の東北・北海道の開発を犠牲にした海外援助による開拓」です。他にも「南洋諸島」の開拓・統治を国際連盟により押し付けられた(委ねられた)事も有り、日本本土の開発が遅れる事になりました。これが本来の、西洋列強の狙いだったのかも知れません。

 「植民地の定義」にもよりますが、江戸後期の頃の世界は、日本と支那大陸を除き、シベリアやアメリカ等を含めて、大半が白人の「植民地」でした。その「植民地」に捕虜や犯罪者などの「開拓団」が送り込まれて開発が進み、大東亜戦争を含む第二次大戦が勃発し、敗戦したと謂えども帝國日本の大義が叶い多くの独立国家が誕生しました。

 それはさておき、「捕虜」や「犯罪者」の他にも「奴隷や拉致された民間人」も未開地の開拓に利用され、何食わぬ顔で「自国領」とするのが昔ながらの世界のシキタリのようです。


・バビロン捕囚 ;
バビロニア(イラク・サウジ北部)によって滅ぼされたユダ王国(イスラエル)の民(ユダヤ人)が、戦争捕虜として移住させられた。

・新大陸発見 ; 
無知な欧州人が新大陸を発見したと思い込み、アメリカ大陸と名付けて原住民を虐殺し、アフリカから黒人奴隷を持ち込み「開拓」された地域。

・アメリカ流刑地 ; 
英国の「流罪植民地」として利用された地域で、その後独立を勝ち取ったと嘯き、成立した国。

・オーストラリア流刑地 ; 
英国の「流罪植民地であるアメリカ」が独立した為に、その代替地として犯罪者が送り込まれ「開拓」された地域で、後に独立したとされる国。

・シベリア抑留 ; 
シベリアは、ロシア南部のウクライナ地域で活躍していた私兵集団(コサック)が東進し、ロシア領とした後にロシア帝国正規軍が送り込まれ、流刑地として利用された。日露戦争に敗北後、革命によってソ連が成立してからも反革命分子を政治犯として送り込まれた。大東亜戦争後にもシベリア抑留された日本人(約60万人)がシベリア開拓に利用され、その内5万8千人が死亡したとされる。


 「植民地(colony)」の定義は不定で、略奪(アメリカ)、戦争(シベリア)、委任統治(南洋諸島)、併合(韓国)など広範な解釈が成り立ちます。また、そこに「入植する人」の定義も不明で、犯罪者からボランティアまで含んでいます。

 勿論、現在の世界の支配体制を維持する為には、「植民の定義の確定」は自己崩壊を招く恐れがあり難しく、第二次大戦後は「武力による国境線の変更は認めない事で一応収まっています。但し、常任理事国による武力行使の場合は、「拒否権」が認められているので国際法上は合法です。

 常任理事国による「国境線の変更」は勝者に認められた特権なので当然と言えばそれ迄です。大戦前、これに抗った大日本帝国は滅ぼされ、それを良しとする日本人が多数を占めているので、止むを得ないのかも知れません。




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