です。
千年以上前には蝦夷に「アイヌ」はいなかったのですが、「土人」は居たようです。「蝦夷」の「夷」の字は、支那大陸での中華思想で言う「四夷」の一つで、中華民族が当時の日本には「倭国の東に東夷が住んでいる」と考えていた事から、「蝦夷」と名付けたそうです。漢民族は差別的に「漢字」を用いていたかもしれませんが、「和人」が自らを支那大陸では蔑称である「倭人」と書いていた事から考えても、「日本人」が取り立てて「蝦夷」や「土人」を蔑称として扱っていなかった事は容易に想像が出来ます。
一方、「民」は
・「漢字」本来の意味は、目を針で突いてその視力を失わせた奴隷を表す。
・近代になってからは、君臣民での「民」で、一般民衆の事。
・最近では、主権を有する国民。
・近代になってからは、君臣民での「民」で、一般民衆の事。
・最近では、主権を有する国民。
です。
明治になり、徳川慶喜は江戸時代に直轄管理していた北海道(蝦夷地)に、徳川家由来の「元武士」を土着させ、北海道開発の力になりたいと明治政府に提案しましたが、完全には受け入れられなかったようです。つまり、旧徳川武士が北海道の「新しい土着民(新土人)」になる計画でした。元々居た「古い土着民(旧土人)」は今で言う「アイヌの人々(民族ではない)」です。
明治政府は北海道に「開拓使」を積極的に送り込みましたが、同時期にはロシアが樺太に大量の兵隊を送り込んだため、明治政府は北方警備と開拓とを兼任させる「屯田兵制」を開始しました。最初から慶喜の提案通りに「旧徳川武士」を送り込んでいれば、あわてる必要は無かったかも知れません。
北海道が安定してくると、アイヌからの訴えも有って「旧土人保護法」が制定されました。ここで「旧土人」としたのは、「土人(土着民)」には、内地(本州)由来の新土人と区別する為であり、当時としては当然の書き方ですが、今の「昭和憲法」では違憲となります。
憲法第一四条 第一項
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
ところが、「アイヌ新法」が制定され、「旧土人」を「アイヌ」に変えたのは時節柄当然としても、この法律には「アイヌは先住民族」と書かれていて、「日本国民」を分類しています。「人種の差別は許されない」との主旨は、「人種」には「民族や種族・部族」等も当然含まれると云うのが常識です。
「土人」は差別的で「人民」は民主的だと云うのは、単なるプロパガンダで、「・・民主主義人民共和国」がその名を以て「民主主義国家」とは言えないし、「旧土人保護法」がその名を以て差別的でない事も明らかです。
「ポリティカルコレクトネス」は、真実・正義を逆転させる為の方便です。
小平次です
記事とは直接関係ないのですが、放送禁止用語の一覧、笑えますね
私も随分前にこれを調べたことがあるんですが、こういうのがまさに今の世を象徴しているように思います
ありがとうございました