北海道に縄文人が暮らしていた頃には、恐らく「縄張り名」と「風景名」以外の「地名」は無かったと思います。当然、その「縄文人」の名称も20世紀になってから付けられた名前なので、その人たちは自身の人種などは知らなかったと思います。明治のころでも「北海道の先史時代の住民はアイヌやコロポックル」では無いかと言われていましたが、今では「縄文人」であるとされています。と、言うより科学的に「縄文人」が定説になっています。
若しも、北海道に住んでいた「縄文人」の直系の子孫が「倭人(縄文~弥生)⇒和人(大和時代)⇒コロポックル⇒アイヌ⇒日本人」だった場合、この内どれを「北海道の先住民族」とするかは、科学的には「倭人」ですが、政治的には「アイヌ」とされています。
確かに蝦夷には、「日本人」より先に「アイヌ」が住んでいたようにも見えますが、それは「倭人や和人を日本人と見做さない」場合に言える事で、「アイヌは先住民族」とするのは単なるレトリック(実質を伴わない表現上だけの言葉)に過ぎません。
「アイヌの物語」にですら、アイヌとは別の民族である「コロポックル」が住んでいた事が語られているので、アイヌ自信が「自分たちは先住民族ではない」と言っています。勿論、「コロポックル物語」を単なる作り話に過ぎないとして否定すれば、その部分では「アイヌは先住民族」と言えますが、これは「アイヌ文化の否定」になるので、「アイヌ文化振興法(1997年~2019年)」の趣旨に反し、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(2019年~)」の目的にも反します。
つまり、アイヌ文化とアイヌの先住性を認めても、北海道の先住民は「コロポックル」になり、西暦1300年頃に「アイヌがコロポックルの北海道に進入(侵入)」してきた事になります。アイヌの伝承には、その後の「コロポックル」が何処に行ったか語られていないので、「コロポックル」が逃げ去ったのか自然淘汰したのか、はたまた民族浄化されたのかは分かりません。
また、「コロポックル」が「倭人」だった場合は、本土の倭人も含めて民俗の違いはあっても「日本人が北海道を含む日本の先住民」になり、少なくとも「現在の日本国の先住民族は、縄文人から繋がる日本民族」と言えます。また「コロポックル」が「倭人」でなかった場合でも、誰かが「私はコロポックルの子孫」であると名乗り出て来ない限り、暫定的に「日本人は北海道の先住民族」になります。
それは、日本の「墾田永年私財法(743年~)」や「開墾地無償付与制度(1897年~)」では、「無主地の場合、最初に開拓した者がその土地の所有権を得る」とされていて、現在の国際法でも「無主地先占」の概念により、他の国家に属していない土地は、自分の領土として編入することが認められているからです。
「アイヌ」が国家を形成した史実は無く、それどころか、少なくとも「(現在で言う)アイヌ民族は5部族以上」あって、縄張り争いが絶えなかったようです。当然、耕作もしないので「開拓」の概念自体が有りません。縄張り争いを「侵略」の定義に含めるかどうかは分かりませんが、奪い取った土地を統治した形跡も無いので、単に「縄張りが増えた」だけと言えます。
日本人が統治する日本に住み、日本とは違う文化を継承する「現象」を以て「外来アイヌ系の子孫」を「先住民族」とするのなら、日本各地にある中華街の「外来華僑系の子孫」も「先住民族」になってしまいます。
若しも、北海道に住んでいた「縄文人」の直系の子孫が「倭人(縄文~弥生)⇒和人(大和時代)⇒コロポックル⇒アイヌ⇒日本人」だった場合、この内どれを「北海道の先住民族」とするかは、科学的には「倭人」ですが、政治的には「アイヌ」とされています。
確かに蝦夷には、「日本人」より先に「アイヌ」が住んでいたようにも見えますが、それは「倭人や和人を日本人と見做さない」場合に言える事で、「アイヌは先住民族」とするのは単なるレトリック(実質を伴わない表現上だけの言葉)に過ぎません。
「アイヌの物語」にですら、アイヌとは別の民族である「コロポックル」が住んでいた事が語られているので、アイヌ自信が「自分たちは先住民族ではない」と言っています。勿論、「コロポックル物語」を単なる作り話に過ぎないとして否定すれば、その部分では「アイヌは先住民族」と言えますが、これは「アイヌ文化の否定」になるので、「アイヌ文化振興法(1997年~2019年)」の趣旨に反し、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(2019年~)」の目的にも反します。
つまり、アイヌ文化とアイヌの先住性を認めても、北海道の先住民は「コロポックル」になり、西暦1300年頃に「アイヌがコロポックルの北海道に進入(侵入)」してきた事になります。アイヌの伝承には、その後の「コロポックル」が何処に行ったか語られていないので、「コロポックル」が逃げ去ったのか自然淘汰したのか、はたまた民族浄化されたのかは分かりません。
また、「コロポックル」が「倭人」だった場合は、本土の倭人も含めて民俗の違いはあっても「日本人が北海道を含む日本の先住民」になり、少なくとも「現在の日本国の先住民族は、縄文人から繋がる日本民族」と言えます。また「コロポックル」が「倭人」でなかった場合でも、誰かが「私はコロポックルの子孫」であると名乗り出て来ない限り、暫定的に「日本人は北海道の先住民族」になります。
それは、日本の「墾田永年私財法(743年~)」や「開墾地無償付与制度(1897年~)」では、「無主地の場合、最初に開拓した者がその土地の所有権を得る」とされていて、現在の国際法でも「無主地先占」の概念により、他の国家に属していない土地は、自分の領土として編入することが認められているからです。
「アイヌ」が国家を形成した史実は無く、それどころか、少なくとも「(現在で言う)アイヌ民族は5部族以上」あって、縄張り争いが絶えなかったようです。当然、耕作もしないので「開拓」の概念自体が有りません。縄張り争いを「侵略」の定義に含めるかどうかは分かりませんが、奪い取った土地を統治した形跡も無いので、単に「縄張りが増えた」だけと言えます。
日本人が統治する日本に住み、日本とは違う文化を継承する「現象」を以て「外来アイヌ系の子孫」を「先住民族」とするのなら、日本各地にある中華街の「外来華僑系の子孫」も「先住民族」になってしまいます。
私は、単なる勘ですが、年代は兎も角「千島経由」はコロポックルで、「樺太経由」がアイヌだと思っています。当然「東北経由」が縄文人で、阿倍比羅夫が「7世紀に蝦夷を服属させた」事から、それ以降に「移住」してきた民族(トビニタイ文化も含む)は「先住民族」とは言えないと思います。
この「思います」と云うのは、日本は曲がりなりにも「民主主義」と言われているので、法律で「アイヌは先住民族」と言われたら外形的には従うしかないのですが、「内心の自由」を行使しているからです。