日本人には「忠臣蔵」のファンが多いようです。
赤穂事件は、元禄14年(1701年)に、江戸城松之大廊下で吉良上野介義央に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭長矩が切腹に処せられた事件で、その後に亡き主君の浅野長矩に代わり、家臣の大石内蔵助良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央ら数名を討った事件です。
これらの刃傷事件と討ち入り成功後の切腹などは史実とされていますが、その詳細の多くは不明で、この事件を基にした様々な作品群の総称を「忠臣蔵」と呼ぶそうです。
史実は判りませんが、「忠臣蔵」では「吉良」の理不尽な行為に「浅野」は耐え忍んだ結果、刃傷沙汰を起こしたとされています。「浅野」の切腹後、赤穂四十七士が討ち入りを果たしました。
ところで、戦前のアメリカの日本に対する「謀略」が徐々に明らかになり、史実である「原爆投下」の動機はルーズベルトやトルーマンの人種差別主義にあった事も明らかになっています。
史実として、「太平洋戦争」では「ルーズベルト」の理不尽な行為に「東条」は耐え忍んだ結果、パールハーバー攻撃を起こし、死刑を宣告されました。 「東条」の絞首刑が実行され、GHQの占領統治が終了した後には国会決議で「戦犯の赦免や減刑に関する決議」が為されましたが、名誉回復に関しては国会答弁が有っただけです。
「東条英機」の名誉回復の為の「討ち入り」は未だ為されていません。それどころか未だに戦犯扱いをする人が多いようです。
日本人の「忠臣蔵」贔屓は欺瞞です。戦後の日本人はアメリカ人の「忠臣」で、日本はアメリカの「蔵」なのかも知れません。
質問。「米日忠臣蔵」での仇討ちの対象は誰なのでしょうか?
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