オメガねこ

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「女系天皇」 と 「天皇制」

2020年08月30日 | 歴史
天皇は皇統譜で「辛酉歳正月朔庚辰即天皇位於橿原宮是年為元年」と示されているように神武天皇が即位した時から現在まで繋がっています。神武天皇が橿原神宮で即位して神武天皇元年(西暦紀元前660年2月11日)に「日本国」が成立した事になっています。

西暦年号が正しいかどうかは判りませんが、日本の正史である「記紀」にも書かれているので、これを否定するには少なくとも科学的な証拠が必要になります。現在の法律でも「疑わしきは罰せず」なので、「記紀は作り話だ」との疑念を持つだけでは「事実」を否定する事は出来ません。

「記紀」の内容に矛盾を見つけたり、「天照大御神」を否定しても、それは「現在の感覚や知識」で言っているだけなので、「進化論」の絶対性を証明しない限り、過去を否定する事は出来ません。それは、単に2000年以上経過して現代人が劣化したせいで「過去の真実」を理解できなくなっただけかも知れないからです。

2000年前の日本人が「神」と言っていた「モノ」が何を意味しているのか、現代人には理解できないだけかも知れませんし、若し「記紀」を否定出来るのなら、「旧約聖書」や「コーラン」も否定できる事になります。世界に向けて「コーラン」のウソを証明できる人が「記紀」を否定するのなら、私は信じます。

ところで、
「天皇制」がウソである事は以前にも書きましたが、ウソっぽい昭和憲法でもそのような記述は無く、無理やりこじつけても「象徴天皇制」が精一杯です。

憲法第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

「象徴は天皇の地位」なので、これは「天皇の制度」では無く、「地位」が制度に組み込まれているだけです。

但し、「日本国民の総意に基く」には、二通りの考え方があり、一つは「既に基づいているので変えることが出来ない」と「国民の総意が変われば変更可能」と云う事です。何方にしても「ウソっぽい憲法」なので、考えるだけ無駄かも知れません。

最近、「女系天皇容認論」なる新機軸理論が蠢いているようです。神武天皇に代わって、新しい国家を創造する作戦かもしれません。「天皇」を英語に訳すと「皇帝」と同じ Emperor なので、英語通の人から見れば天皇は「男系」でも「女系」でも或いは「人間」ならば誰でも構わないのかも知れません。或いは「象徴ならイワシの尻尾でも良い」と左耳で聞いた記憶もあります。

憲法第二条
皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

皇室典範第一条
皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

「女性天皇」や「女系天皇」を認めるには「皇室典範」の改正が必要ですが、特に「女系天皇」の場合は「天皇の系譜の変更」に当たり、憲法の「日本国民の総意に基く」条項からすると「国民投票」によって、少なくとも「過半数の総意」が必要になります。それは、2000年以上続いた皇統では無くなり「天皇の定義」が変わるからです。

昭和憲法1条に書かれている「天皇」は「皇統譜」に書かれている天皇の事で、「皇統譜」では「男系」以外は天皇として認めていません。過去には「女性天皇」も居ましたが、総て「男系」で、
何れも「父系」を辿れば「天皇」です。また、明治以前は「男系(父系)」だった皇統が、明治憲法で「男系男子」に変更されましたが、これは「男系」を継承していて、皇室典範は明治憲法とは独立して存在していたので、昭和憲法とは違います。



6 コメント

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Unknown (151144itnagai)
2020-08-31 21:47:50
*いつも的確な持論を展開され感心して何かコメントを残そうとするうちに時が経って時宜を失うことがよくあります。
 『日本書紀』は720年に完成し今年は1300年目になります。書紀の編者は当時残っていた資料(史料)をもとにできるだけ日本の歴史を正確に記述しようと努めたと考えてよいと思います。ただし、当時の天皇家にとって非常に都合の悪い部分は無視して書かなかった可能性もあると思われます。
 書紀が大きく間違っている(曲がっている)のが各天皇の年代の比定です。“辛酉革命説”を信じすぎたために神武天皇の即位年をBC660年に持っていきました。これは天皇家の歴史を故意に古く見せるためになされたことではないと思います。
 もし、古く見せるためなら古代天皇の人数をもっと多くすればよいのです(多くすれば寿命が150歳を超える天皇などの存在を無くすことができます)。欠史八代とする研究者も少なくない綏靖天皇~開化天皇も、実在の天皇でしょう。
 古代天皇の実在性や年代の推定で最も妥当な説を出しているのは『卑弥呼の謎』の著者の安本美典氏です。彼の年代論(古代天皇の在位年数は約10年)に従えば、神武天皇の即位年は西暦290年前後になります。
もちろん、テレビ倒さん氏のここでの記紀に対する意見表明の趣旨は年代論を問題にしているのではないことは承知しています。
 書紀の年代を修正し、記紀の間の矛盾する部分などを勘案し、当時の残されていた記録(現存していない)の曲がりを修正すればかなり歴史の真実が見えてくるように思います。記紀は捏造の歴史を記述したものではなく、当時の学問水準と合理的判断によってできるだけ残された記録に基いて編纂した歴史書であると言って良いと思います。

 *参照:拙ブログ「中国はいつ国家崩壊するか」の“注1”と“注2”。

 
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Unknown (yk-soft-85)
2020-09-01 10:37:30
itnagaiさん、コメント有難う御座います。

私は「春秋1年(二倍歴)説」を支持していて、古代の1年は現在の半年で計算します。
https://blog.goo.ne.jp/yk-soft-85/e/33aca08f7f8c74eb3ee4fca283e99b94

「皇紀」で書くと、皇紀元年に即位し、皇紀七六年に一三七歳で崩御。
「西暦」で書くと、紀元前60年に即位し、紀元前22年に68才で崩御。

或いは、頭の体操として「古代の天皇の在位期間は、然したる功績の無かった(都合の悪い)天皇の在位期間を、後の代表する(諡号が贈られた)天皇に合算した」と考え、歴史から消失した天皇は単に諡号(追号)が贈られなかったのかも知れません。
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Unknown (刮目天 一(はじめ))
2020-09-01 11:11:02
横からお邪魔します。
>記紀は捏造の歴史を記述したものではなく、当時の学問水準と合理的判断によってできるだけ残された記録に基いて編纂した歴史書であると言って良いと思います。

このように断定できる根拠は何でしょうか?
貴兄のブログを拝見するとイデオロギー的にはナショナリストの私と近いものがあるのですが、日本の正史への評価については大方の方が、イデオロギーや信条的に是としているように感じられます。
例えば、神武天皇の即位を安本先生の推論から290年前後ということですが、安本先生は皇統譜が書かれた通りになっているというのが前提です。しかし、平均在位年数と日本書紀に記述された在位年数は極端に異なりますから、そのような前提は到底成り立つはずのないものだと思います。皇統譜が記紀で一致することが根拠とも受け取れますが、現存する古事記は9世紀に書かれた偽書であって、原古事記があったことは認められますが、それらの対応は定かではありません。もちろん一致する部分は私も推理しています。

そして、ヤマト王権が成立(初代天皇の即位)を考古学で調べると、纏向遺跡の布留1式土器の見られる頃で280年頃ですから、年代はまさにほぼ一致しています。そして、面白いことに様々な地方の土器がヤマトに集まってきているにも拘らず、その頃に九州からの外来土器がほとんど見られないのです(1%以下)。これは、九州から人々が大和で建国したというシナリオは成り立たないということです。神武東征や応神東征や邪馬台国東遷説は古臭い説になっているのです。

さらに、そのころ北部九州の畿内や東国からの外来土器が多数みられますから、大和とその連合勢力が北部九州の倭国を滅ぼして、大和王権が成立したというのが考古学から実証されることなのです。

さらに北部九州の倭国が単純にヤマト勢によって滅ぼされたのではなく、そこに何らかの経緯があったことも、楽浪郡と三韓土器の時期による出現割合が異なることから分かるので、建国の真相が見えてきました。
日本書紀では 歴史がほとんど改ざんされ、事実は隠ぺいされ(シナの正史との齟齬から)、相当歪曲されていることが明らかなのです。書かれていることが事実かどうかを科学的に検証し、史実と史実の間は推理するで解明できます。

このような実証主義で日本の現存する最古の正史「日本書紀」を眺めると貴兄のような結論は幻想だと思いますがいかがでしょうか?

よろしければ拙ブログ「古代史の謎を推理する」をご覧ください(^_-)-☆
https://blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/e5f3c79c776262d1ae311988f7e58e3e
突然、失礼しました。
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Unknown (刮目天 一(はじめ))
2020-09-01 11:20:02
yk-soft-85様
失礼します。二倍年歴は荒唐無稽な発想であることは論証されていますよ。
ただ資金、神武天皇東征説が復活して、その根拠の一つに使われるようになって、御存じない方は飛びつかれます。ネットでも直ぐに検索できます。
例えば、以下のものなど、いくつかありますのでご覧ください。
https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-1131.html
http://angouyamanoue.sakura.ne.jp/130821.htm

先に述べたように九州から人々が大和にやってきて建国した事実はないのです。
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Unknown (yk-soft-85)
2020-09-01 17:04:23
刮目天さん、コメあり。

先ず、紹介リンクの一つに「バカバカしい二倍年暦説」と書いていながら、その「バカバカしさ」が書かれていません。ただ「倭国だけが周辺地域と年の数え方が違うのは説得力に欠ける」と書かれているだけです。パンデミックが起こる前までは「日本人のマスク使用」は、世界に対しての説得力に欠けていましたが、これは「正史」です。

また、別の紹介リンクでは「季節の変動は太陽の運行がもたらす自然現象である。地球が太陽を一周する時間が太陽暦の一年となり、それが十二ヶ月にわけられている。」と書かれていますが、古代人が「地球が太陽を一周する」事を知っていた証拠は有りません。
「太陽は東から登り、翌日に再び東から登る」ことは間違いなく知っていたと思います。影の長さは日々変化し、「最短⇒最長」迄を(陽の)一年、「最長⇒最短」迄を(陰の)一年と考えても不思議は有りません。
また、「一収穫期(春耕秋収)を一年」としても、「未収穫期を次の一年」とする事にも合理性は有り、二毛作や二期作も考えられ、何なら「四分割」すらも可能です。

最も合理的な考え方は、口伝の年数である「二倍年の一年」を、記紀では「一年を1年に数えた」だけであり嘘や誤魔化しを書いた訳ではないと云う事です。

若し、古代日本で「春夏秋冬を以て1年とする」と云う証拠が有ったら教えて下さい。
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Unknown (刮目天 一(はじめ))
2020-09-02 06:55:19
yk-soft-85さん、いい回答をありがとうございます。
早速ブログの記事にさせていただきました。よろしければどうぞ(#^.^#)
https://blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/a6f033a4b32b29d9030d68801bf67dfc
どうも有難うございました。
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