「自殺したいのなら、他人を巻き添えにしないで、自分一人で死んでほしい。」と言う人を非難する人がいます。
非難する人は「『・・自分一人で死ね。』は、とんでもない発言だ。」と、言葉の一部を切り抜いて更に、字づらを変えて批判する人が多いようです。
憲法第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
享有:生まれながら身につけて持っていること。
条文の意味からすると、外国人は兎も角、「日本国民に対する基本的人権の享有は、憲法によって保障され、与えられている。」という意味になります。 つまり、人権は天賦のモノではないと云う事です。 アメリカ人が考えた憲法なので、当然と言えば当然ですが、原爆殺人を犯した国だけあって非人道的な文章です。
「基本的人権」とは、憲法が有ろうと無かろうと元来「天賦のモノ」であり、それ故に「享有」と言えます。
憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」とは、公共の福祉に反する権利の行使を否定する事になります。
「自死する権利」が無い場合は、自殺は権利の行使では無いので、公共の福祉に反しても「憲法違反」にはなりません。 憲法には「生きる義務」は書かれていないので、「自分が死ぬ時は、何をしても良い」ことになり、「道づれ殺人」は憲法違反にはなりません。勿論、憲法の下位法である「刑法」には違反しているので、行政上は「刑法」が優先して執行されます。
「『・・自分一人で死ね。』は、とんでもない発言だ。」は、憲法擁護者に有りがちな言動です。
「自死する権利」がある場合は、自殺も権利の行使と言えるので、憲法上「公共の福祉」に反することは出来ません。これは道徳的・倫理的規範とも合致します。 つまり、「道連れ殺人」は「ヒトでなし」の仕業である事が確定します。
「自殺したいのなら、他人を巻き添えにしないで、自分一人で死んでほしい。」は、「自死する権利」を認めた場合の当然の言動となります。
憲法云々などと関係なく、頭にもなく、
「自殺する=一人で死ね」なんですが、
そもそも、日本の親子心中なんか、
アメリカ人から見たら「クレージー」と思われる」と。
今回叩かれ出した、
「一人で死ね」も、あれこれとこじつけた屁理屈と、
言葉刈りにより、
言ってはいけない風潮になりそうですが。
私は道徳心が薄いと言われようと、「自死=一人」でと思います。
まぁ、集団自殺を選ぶ人もいるのですが、
それは、群れて死にたいタイプの集まり、巻き添えなしならオケです。
「一人で死んでほしい。」と言う人は、道徳心と倫理観のある人だと思います。
「一人で死ぬ人」は道徳心が残されている人だと思います。
「集団自殺」をする人は倫理観がある人だと思います。
「道連れ殺人」をする人は倫理観を失った人です。