オメガねこ

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「緊急事態法」と「戒厳令」

2020年03月26日 | 法律
 「統治行為論」と云う言葉が有りますが、これは「長沼ナイキ事件」の裁判で「自衛隊の合憲性」が問われた時に、札幌地裁が「統治行為論」を判示して、裁判では違憲かどうかを争えない場合があり「司法自制の原則」を認めたものです。

統治行為論:国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、「司法自制の原則」によって司法審査の対象から除外するという理論。

 つまり、(民主主義国家に於いては)国会議員は国民から直接選ばれ、その国会議員が承認した「行政府」の権限の内、国家の存続(の危機)に関する事項については、国民から直接選出されていない司法府の裁判官はこれを超えることが出来ないと云う事です。

 また、行政府には「裁量行為」が行政権の範囲内で認められたり、時々「超法規的措置」も行われますが、これらは法律に拠らない行為ですが、(慣例で)「違憲ではない」とされています。

 ここで「武漢肺炎」等で、例えば国民の10%以上が死亡する可能性のある事態が予想される時に、法律にない(当然、憲法違反の)「戒厳令」を布いた場合、裁判所は「統治行為論」を判示し事実上黙認します。勿論、「戒厳令」に関する法律は無いので「緊急事態」のうちに数多の不合理が生じますが、「戒厳令」が解除された後に、個別に裁判で補償される事も有り得ます。

 この「不合理」を予期できる範囲内で合理化し、法制化するのが「緊急事態法」です。「戒厳令」が布かれてから「緊急事態法」を制定するのは本末転倒と言えますし、平時に「緊急事態法」を制定する法的根拠も有りません。平時は「国家の存続の危機」ではないからです。

 「戒厳令」に関する法律が無ければ、政府はいつでも「統治行為論」を以て、適正に「戒厳令」を布くことが可能になります。

 政府の「無謀を防ぐ」のが「緊急事態法」の目的で、その法的根拠は今の所、

憲法第一二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

です。本来は、憲法を改正して「緊急事態条項」を追加する必要が有りますが、「憲法改正」自体を憲法違反とする野党もいるくらいなので、裁判所の「統治行為論」を利用するのが近道なのかも知れません。

 「権利」や「公共」等の、緊急事態における許容範囲や制限可能範囲を規定しなければ現在の憲法では、たとえ緊急事態宣言が「違憲」だとしても、裁判所は「憲法判断の範疇外」とします。

 憲法を改正して、事前に「緊急事態法」の合憲性を担保し、事後には総括的な過剰執行等を裁判で争える体制を整える必要が有ります。たとえ裁判所が「憲法判断」は出来なくとも、「緊急事態法」に違犯しているかどうかは判断できます。




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