オメガねこ

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「竹槍事件」 と 「竹槍訓練」

2021年05月14日 | ニュース
 最近の新聞で「ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戦えというのか。このままじゃ、政治に殺される。」と云う企業広告が流されています。全体の意味は兎も角、恐らく、この「タケヤリ」は無駄な抵抗と云う意味だとは思いますが、「三密(集・近・閉)回避」を揶揄しているようにも思えます。それなら最初から「竹槍事件」を利用しないで「三密回避で戦えと言うのか!」と書いた方が、的を射ていると思います。

 ここからは、この「タケヤリ」の比喩について書きます。大東亜戦争の敗戦を間近にして、「おんな子供にタケヤリで、爆撃機を落とす訓練をさせたバカ軍国主義者」と云うプロパガンダで、今でも騙されている人がいるようです。また、日本人の凶悪犯から身を護る「護身術」に対しては、「タケヤリ」の比喩は使わず、「正しい事」の様に報道します。

 「竹槍事件」と云うのは、戦中の毎日新聞がヤラかした「戦争煽り記事」が発端で、民間人に対する「武術訓練」を「陸軍に見立」て揶揄し、「海軍の軍備増強を主張」した事が原因で毎日新聞社が処分された事件です。

 敗戦国の惨めさは、敗戦経験の無かった当時の政府・国民でも、外国の情勢から知っていた事は明らかです。実際に、樺太や千島にソ連軍が侵攻してくる時や、米軍が沖縄上陸を目指した時に、多くの女性らが自ら命を絶った話が残されています。但しこれらの話は、日本軍の卑怯さや民間人の悲惨さを大きく取り上げて、敵軍の残虐さはサラッと流す程度なので、「日本軍による戦争の愚かさや悲惨さ」を誇張するのに利用されただけです。

 敵国に侵攻した軍隊は当然として、勝者となった「進駐軍」の残虐さは民間人でも知っていたので、当時の為政者が知らなかったとは思えません。敗戦を覚悟したからこそ「竹槍訓練」が敢行されたと考えるのが普通だと思います。この時の「竹槍訓練」は、婦女子が自ら敵軍(進駐軍)の理不尽な暴力から身を護る訓練と理解した方が、自然です。

 戦後になって「原爆の正当性」を主張する為にGHQが利用した「日本軍の愚かさ」の一つが「タケヤリ作戦」です。GHQの子飼いとなった敗戦利得者の多くは戦前は犯罪者か、逆に戦争を煽った輩です。「南京大虐殺」然り、「従軍慰安婦」然り、「731部隊」もその一例です。

 「731部隊」「南京事件」「強制連行」などの戦争犯罪とされる事案も、「中国帰還者連絡会(中帰連)」や「元関係者」とされる人の「証言」が殆どで、その「事実を示す証拠」は無いとされています。その事に対する証言者の「反論」は、「敗戦間近のドサクサに塗れて、証拠書類を焼却・隠滅した」です。しかし、敵軍の侵攻が始まった場合に書類を焼却する行為は「戦中に於ける関係者の義務」であり犯罪行為ではありません。

 実際に「犯罪の証拠」を隠滅したかどうかも含めて、その証拠はありません。無い事を有ったかのように言う事を「サヨク論法」と言い、有った事を無かった事にするのは「左翼論法」と言います。

・サヨク:思い込みや、上から言われた事をそのまま伝える、所謂「デュープス」。
・左翼 :現状打破を狙う思想家。現状否定を使命とする革命家。

 「左翼」は現状を否定する事を正義とするので、過去の自分に不都合な事は無かった事にしたり、未来の「頭で思いつく理想社会」を実現しようとします。

 「サヨク」は「ない頭で考える」ので、有った方が良いと思うモノは「無くても見える」能力が有るようで、洗脳され易い人たちです。但し、当人には悪気は無いので、取扱いには注意が必要です。

 その典型が「差別」で、日本人の「人種差別(生物学的には人株差別)」「女性差別(社会学的にはジェンダー差別)」「民族差別(少なくとも日本では、政治的には民族の定義はない)」など、定義が定まっていない事に関しては、尚一層「サヨク」には現実として見えるようです。

 理系の私には「無いモノは見えない」ので、単なる「論理的な推論」でしかないのが弱点です。個別に「見た事が有る」と主張する人には敵いませんが、個別事案を全体の事案として敷衍する事は、論理的・統計学的に間違いである事は証明されています。

 「日本人の一人がノーベル賞を受賞したからと言って、日本人全員が優れている事にはならない」と、云うのが「サヨク」の言い癖である事を思い出して欲しいと思います。現状を変えたければ、個別事案や聞いた話ではなく、学問的で統計学上「有意な証拠」を提示すべきです。




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