震災後地元で初試合:釜石シーウエイブス:道の駅やまだ

2011-06-05 16:34:10 | 3.11大震災・釜石
ヤマハ発動機ジュビロとの一戦は、5日日曜日の午後一時がキックオフ。
地元釜石では震災後初試合とあって、グラウンドには  この日を待ちわびた地元のファンが。ちびっこ連れの家族も多く、晴れあがった陽射しの下、グラウンドの緑の芝生で繰り広げられる試合に、声を嗄らして声援を送っていた。

試合の結果は、釜石シーウエイブのHPで。

昨日は、釜石教会で母の葬儀。大平公園墓地の「磯崎家の墓」に13年ぶりに父實さんと一緒のお墓に・・・・。<合掌>

一夜明けてこの日は、釜石教会の隣にあるのぞみ病院・避難所に叔母さんを訪問し、10時半からの日曜礼拝へ。その後小佐野へ、母がお世話になった方のご霊前にお参りしてから・・・、試合会場の陸上競技場グランドへダッシュ。(新日鉄グラウンドは、仮設住宅に提供されたのでしょうか?くい打ち作業の準備がしてありました)
マリンホテルの朝食以降、飲まず食わずでしたが・・・、何とグランド周辺に、あの牛どん・吉野家の車があるではないか。列に並んでワンコイン出そうとしたら、「本日は震災?サービスです!」と来たもんだ。お隣のヤクルトさんにもサービス戴きました。どこでどう救われるか判らないもんですね。これまでも、インターネットでシーウエイブ・グッズを購入しようとしていましたが、震災発生で不能(銀行振り込み手続きの遅れ?)だったので、釜石入りした際に、現地でサポーター登録をしようと決めていた。葬儀の翌日に運よく、初試合があるということでした。Tシャツと一緒にこの日、サポーター登録をした。
幸いにも、昨日母の葬儀にご列席いただいた親戚の方々と一緒に、応援することができました。

このあと、災害対策本部に行ったが、<土日祝日の窓口相談は休>

市内を無料で走るバスで、17時57分発・釜石駅前から両石・鵜住居・吉里吉里、浪板海岸、山田方面へ。道の駅・やまだまでの23キロを往復した。釜石駅へ戻ったのは、午後7時半。(名物のわかめソフトクリームは、残念ながら閉店してました。)
行きのバス車内は、高校生や大人の人ら地元の人たちの乗車があり文字通り生活の足でしたが、18時50分発・道の駅 やまだからの帰路は、男性3人だけで途中乗車はゼロ。日も暮れかかって暗闇となった車窓は、怖いほどの光景で、廃虚と化した現地は、余りに惨い。(バスで走った災害地レポートは別項で)
釜石駅のキヨスクは18時閉店。駅食堂は19時30分閉店。
周辺は、真っ暗闇のゴーストタウン。帰りの夜行バスの発車まで、時間が余っていたので「天神町」バス停で下車してまちを歩こうと考えていたが、とんでもない!真っ暗の中をひとりで歩いていたら、火事場泥棒か不審者に間違われること、疑いなし。
仕方なく、駅前のコンビニ行って、浜千鳥・つまみ・ネバネバそばを購入。買い忘れたビールを買いにまた、ハロ-マートへ。
池袋への夜行バスは、21時41分釜石駅発。それまでの約2時間、磯崎家5人・われわれのほかは誰もいない駅待合室で、小食事のときと、相成りましたが、駅利用者はゼロ、でした。

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