復興伝える 復興釜石新聞と、石巻日日新聞・・毎日新聞メディア23面・・被災地 地域紙の2年

2013-03-09 17:32:22 | 3.11大震災・釜石

今朝の毎日新聞、23面です。磯崎さんのことが書かれているところだけ写メしてみました。読めるでしょうか。
----  先日3日の日曜日に都内牛込で開催された「釜石応援サミット」で、初めてお会いした堀さんから、9日土曜日の朝メールがありました。 
「釜石応援サミット」が始まる前に偶然、毎日新聞の青島記者から取材を受けました。またこの日は「復興釜石新聞」川向さんが、釜石からトンボ帰りの車運転だといって、会場に姿を見せていました。相変わらず精力的かつ真摯な取材ぶりです。埼玉から会場へ駆けつけた妹も、昨年の釜石市追悼式で取材を受けて以来のことでしたから、久しぶりの会話を交わしていました。

(北松戸整体院で昼の一仕事を終えて、早速近くのコンビニで毎日新聞を買って来たところです。)

東京都内で一堂に会している「釜石応援サミット」はことしが、二回目の開催。当日私が「復興釜石新聞」を手にしていたのをみて、こちらでも定期的に購読したいと思ってらっしゃる方が多いのに驚かされました。(実際は無料。釜石市役所市民課が窓口です)

紙上には、週2回発行で170号を超えた「復興釜石新聞」を手にした川向編集長。・・・思えば、震災があった2011年11月ことでした。新生釜石教会の礼拝に参列した翌日には、市内の仮設住宅へ“足湯マッサージ”ボランティアにいきました。その際に、復興釜石新聞社を尋ねてみようと思い立ち、見知らぬところを尋ね歩いて到着した”新聞社内”にいたのが、川向編集長さんでした。
「釜石のわが家では永年“岩手東海新聞”の読者でしたから、震災後に立ちあがりいまを頑張る「復興釜石新聞」の発行現場を見たかったのです」と切り出して、いろんなおはなしをさせていただきました。
市内住吉町のその場所は、線路から坂道を上がった木造2階建ての2階部分がスタッフの部屋。とても新聞社編集室とおもえる光景ではなく、いくつかのデスクが手狭に配置されていました。
“いまは、みんなで、やるんだ!やるしかない!”そんな気概が詰まっている現場に来てよかったと思いながら、午後のボランティア活動をした記憶がよみがえりました。その時に頂戴したバックナンバーと、その後に釜石市役所市民課から送っていただいている「復興釜石新聞」には、毎号目を皿のように接しています。いまの釜石を知ることで、釜石を離れている兄、妹らとの話のネタになっています。

また、写真家・藤枝宏さんは「かまいし便り」の写真連載していますが「できるだけ明るい写真にこだわり、釜石が元気になれるように、前を向けるように」と、この毎日新聞紙上にコメントがありました。
津波で亡くなった母からの手紙に、“藤枝宏作の絵葉書”が何枚かあること気づいていましたから、「かまいし便り」は、ファンです。写真と文を毎号楽しみにしています。
筆まめだった母の手紙のなかには、釣り好きな父がよく行った三陸海岸の風景写真の絵ハガキなどたくさん見られます。

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