「3・11 釜石のあのとき~現状」

2014-03-09 01:32:34 | 松戸
聖徳大学オープン・アカデミー 震災復興企画
あの日から3年 東日本大震災

8日土曜日の開催会場へダッシュ(朝日新聞でみたとき、なんで釜石からなんだろう?)(とにかく、行くしかない!!)

同大学の末崎生涯学習課長の開会のことばをきいて納得。本日講師の釜石市教育委員会事務局総務課長・村井大司(だいじ)さんとは、釜石南高校同期生、吹奏楽部で活躍した仲だった。今は無き釜石南高校は当時昭和51年、吹奏楽コンクール全国大会出場した。
村井さんは現在、釜石市民吹奏楽団団長を務めている。

、「3・11 釜石のあのとき~現状」
撓(たわ)まず 屈せず 復旧・復興の歩み
(平成26年1月発行)

開口一番、「人前で語るのは初めてですから、話し中に何が起こるか分かりません」と。
あの日は、開会中の議会テレビ中継をみていた。大きな地震ですぐに停電になった。当時は広聴広報課長として、津波避難呼びかけに市内へいこうしたが、スピーカーがついた広報車が一台も無いことがわかった。もしあのときに、市内へ飛び出していたら職員二人は犠牲となった。

  

鵜住居防災センターで約200人が犠牲になったがこのとき、市民を避難誘導した女性職員は以前の職場で一緒に仕事をしていた。その職員も亡くなった。

海水が引いて海の底が見える。異様な光景。「津波って水じゃない、(黒い)塊りで襲ってきました」

あのとき、何をしたらよかった? あるいは、何が悪かったのか!
ありがたい支援と。予期せぬ厭な支援も。



地震の概要 
  平成23年3月11日(金)14時46分頃
  震源 三陸沖(牡鹿半島の東南東130キロメートル付近)
  マグニチュード9.0  震度6弱(市内中妻町)
津波の概要 
  第一波 3月11日14時台  -119センチメートル
  最大波   11日15時21分  9.3メートル
  ※気象庁(釜石港湾合庁の痕跡等から推定した津波の高さ)

《参考》土木学会東日本大震災特別委員会総合調査団の資料
    9.2m (釜石湾平田漁港付近・浸水高)
   19.3m (両石湾両石漁港背後地・遡上高)
   15.4m (大槌湾釜石東中学校近くのがけ・遡上高) 





釜石市の被災状況
=人的被害=
死亡者数 888人(身元不明者8人)
行方不明者数 152人(H25.1月現在)
避難者数 市内避難 9,883人
     内陸避難  633人

=家屋被害=


=産業関係=




昔を知るおとなたちは地震が来ても避難しない。これを変えるのは子供たちから!津波50センチの怖さ。平成16年から、群馬大学の片田敏孝教授の指導を受け、教師や児童生徒の意識改革に努めてきた。

“釜石の奇跡”私達はこの言葉は使わない。犠牲者がいるのに腹立たしいおもいだ。表現を変えた・・・「 ?   」 (“津波てんでんこ”かな?)
地域を支える学校の整備と防災教育の推進
参照::



音楽活動のこと
私自身のこれまでの音楽活動
釜石市民吹奏楽団のこと


この話を始めたあたりから俄かに、村井さんの表情が明るくなって・・・(ほっとしました)。しばし会場も和やかな雰囲気に、と思われましたが、「ふるさと」の歌の話になると急に涙ぐんでしまいました。誰もが引き込まれる村井さんのストーリーに、現場を体験した生の力を感じさせられました。とてもいい表情でしたよ。
休憩時間には、聖徳大学に駆け付けた釜石南高校卒業の先輩後輩らと歓談されていました。

大型商業施設イオンタウンが、来週3月14日オープン。11日追悼式の翌日は、プレオープンは見られないかな?





「被災地を訪問して」
活動報告 ミニ・コンサート  =気を新たに・のちほど=















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