おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

独裁者にとって、純然たる真実ほど危険なものはない

2024-06-27 06:56:58 | 日記
ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いたディストピアは、現代世界をある意味正確に予測していたのかもしれない。

ビッグ・ブラザーと思想警察が、テレスクリーンを通して、市民のあらゆる動きを監視し、会話の一言一句を隠しマイクで聞いている。

自分の子どもを含めて至る所に密告者がおり、あらゆる思考、感情、人間関係について政府に密告する。

使用言語は「ニュースピーク」である。

この鏡の世界では、何もかもが見かけと反対になる。

例えば、平和省は延々と戦争を続け、真理省は党の偽りのプロパガンダとつじつまが合うように、過去の記録を改竄している。

また、愛情省は拷問を行っている。
......。

目下のスローガンは、
「戦争は平和である」
「自由は服従である」
「無知は力である」である。

党の方針に従わなければ、「思想犯罪」となる。

善良な市民は「メモリーホール」と呼ばれる深い穴に、危険で不都合な真実を投げ入れる。

党の正当性に反するものは「非実在者」として歴史から抹消される。

真実が偽りであり、偽りが真実ななのである。

これは、まさに、現在の世界においても、独裁的なところでは、日々、平然と似たようなことが、行われていることであろう。

さらに、オーウェルは、「すべての愛情は、ビッグブラザーに向けられなければならない世界」を描いている。

個人の結びつきは、国家に対する犯罪行為で各人の1番の弱点を攻撃する極めて特殊な拷問によって罰せられる。

思想警察は、主人公ウィンストンがネズミを極端に恐れ嫌っていることを知った上で、大型で獰猛な腹を空かせたネズミが入ったカゴを、彼の顔に押しつけるのである。

警察は、彼が助かるために、彼が言わなければならないこと、感じなければならないことを指示してはくれない。

しかし、まさにカゴの扉が開こうとしたとき、ウィンストンの頭に、その時に発すべき、正しい台詞が閃くのである。
それは、

「ジュリアにやってくれ」
である。

ジュリアは、彼の最愛の女性である。
愛する女性を「自ら進んで」裏切ったとなれば、ウィンストンの狂気は正され、彼が善良で信頼できる市民として、社会に再び迎え入れられるのは明白である。
(→当然ながら、ジュリアの方も、同じようにウィンストンを裏切ることによって正気を取り戻していた。)

党は、彼ら/彼女らの服従だけではなく、愛情も欲している。

物語は、ウィンストンが涙を流しながらテレスクリーンに映るビッグ・ブラザーを見上げ、彼への愛情を確認し、自らに対して勝利を収めるところで終わる。

最近まで、西欧の『1984年』の読者は、そこで描かれている薄汚い欺瞞が、常時行われる監視が、そして善意による残酷さが、自分たちとは違う世界、アメリカの敵国、特にロシアにだけ存在する特殊なものと確信し、ある種の優越感を抱くことが出来ていた。

文明世界に住む私たちは、全体主義に汚されず、それに支配される心配もない、と思っていたのかもしれない。

しかし、トランプの登場からアメリカ大統領就任、その前後からのツイートや記者会見が、「ニュースピーク」で行われているような気がする人が世界中で増えたことは、そのような考えを変えるには十二分なキッカケだったように、私は、思うのである。

「オルタナティブ・ファクト(もうひとつの真実)」という誤魔化しが、不都合な真実を掲載した政府のウエブサイトの一層が、そしてトランプとメディアとの戦いは、『1984年』を想起させた。(→実際、トランプが大統領になると、ディストピア小説の名作はAmazonのベストセラーランキングの上位に躍り出た。
オーウェルの『1984年』はもちろん、『動物農場』、ハクスリーの『すばらしい新世界』ルイスの『ここでは起こりえない』、アトウッドの『侍女の物語』、ブラッドベリの『華氏451度』など)

トランプにとって、最大かつ最重要な戦いはメディアとの戦いである。

トランプの恐れ、その結果として起きる怒りは、ファクトチェックを重要視する自由な報道機関によって高まっているようである。

これまでも、これからも、独裁者や独裁者になろうとする者にとって、純然たる真実ほど危険なものはないであろう。

また、いつであれどこであれ、独裁政府にとって、真実を否認すること、真実を語る勇気のある人々を否認することほど、大事なことはないのである。

トランプが登場する前から既に、スノーデンの暴露文章によって、アメリカ政府が巨大な監視機関となったこと、国民に真実を伝えていなかったこと、CIAが思想警察がとさほど違わない手法と精神のもとに、精神的・肉体的拷問を行っていることが明らかになったようである。

『1984年』のなかでオーウェルが描いた、ビッグ・ブラザーが人の心を読み取り、思考を矯正する手段は、独裁者になろうとする者が、今日利用することの出来る監視技術と比べれば、悲しいほどに未熟なものであった。

プライバシー、思想の自由、民主主義が、これほど独裁的に操られる危機にさらされたことは、これまでには、なかったのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。