おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

ベルクソンがアインシュタイン論である『持続と同時性』を絶版にし、小林秀雄がベルクソン論である『感想』を中断したことから-小林秀雄とベルクソン哲学①-

2024-10-24 07:03:30 | 日記
小林秀雄は、ベルクソン論である『感想』を途中で放棄したことについて、『人間の建設』のなかで、

「書きましたが失敗しました。
力尽きて、やめてしまった。
無学を乗り切ることが出来なかったからです。
大体の見当はついたのですが、見当がついただけでは物は書けません」
と述べている。

ここで、小林秀雄が、
「失敗しました。力尽きてやめてしまった」
というのは、ベルクソンとアインシュタインの論争についてではないかと思われる。

おそらく、小林秀雄は、ベルクソンとアインシュタインの対立を最終的に解明することができなかったのではないだろうか。

言い換えれば、アインシュタインの時間論を、ベルクソンの時間論によって批判することができなかったのではないだろうか。

小林秀雄は、ベルクソンの時間は、人間が生きる時間であり、生きてわかる時間であるという。

これに対して、アインシュタインの時間は、第4次元の時間であって、いわゆる客観的な時間であろう。

小林秀雄は、ベルクソンとアインシュタインの対立を感情的なものと理論的なものとの対立として捉えているようである。

しかし、小林もベルクソンも、科学的真理を無視するような独断的な空想家ではない。

ベルクソンがアインシュタイン論である『持続と同時性』を絶版にし、小林秀雄がベルクソン論である『感想』を中断したのは、ここにおいてであると言ってよいのかもしれない。

柄谷行人は、『交通について』のなかで、

「小林秀雄のテクストはすべて管理されている」
と述べたことがあるが、その意味でいえば、小林秀雄のテクストのなかで、ベルクソン論である『感想』だけが、小林秀雄の管理の手をのがれ、意識家小林秀雄の意識をこえて、小林秀雄の手によっても、どうにも収拾のつかなくなった作品なのかもしれない。

小林秀雄は、ベルクソン論である『感想』を打ち切るとすぐに『本居宣長』の連載を開始し、『本居宣長』は1冊の長編評論として立派な本になり、晩年の小林秀雄の代表作としての地位を獲得しており、ベルクソン論で果たし得なかったことを『本居宣長』で果たし得たかにすら見えるだろう。

小林秀雄は、なぜ、あれほどの情熱と持続力をもって論じたベルクソンを投げ出し、ベルクソン論である『感想』を本にしようとはせず、ベルクソンから本居宣長に切り換えてしまったのだろうか。

小林秀雄には、ベルクソン論以外にも、初期の評論「『悪の華』一面」と題するボードレール論のように「未完」のままで、長い間全集にも収録されず、放置された作品もあるのだが、「感想」と「『悪の華』一面」とでは、その分量があまりにも違い、さらに、「『悪の華』一面」が、小林秀雄が文芸評論家として文壇にデビューする以前の、いわば、習作の域を出ない小品であるのに対し、「感想」は、文芸評論家としての不動の地位を確立してのちの小林秀雄が、いわば最後の作品、言ってしまえば、遺書のようなものとして書き続けた長編の問題作であるため、その重さは違うといわざるをえないのである。

しかし、このふたつの未完の評論は、極めて原理論的な色彩が強い作品であるという共通点があり、これは、小林秀雄の評論としては稀なことであると思われる。

江藤淳は、「『悪の華』一面」について、『小林秀雄』のなかで、

「この時期の小林の論文としては異常に論理整然としている」
と言い、全集にこの作品が収録されていないのは、「思弁的でありすぎるのを嫌った」のかもしれないと言っているが、この「論理整然」としていて「思弁的」でありすぎるという特徴は、そのまま『感想』にも当てはまるだろう。

小林秀雄には、彼自身、非常に「論理的」で「思弁的」であるにもかかわらず、「論理的」で「思弁的」な文章に対する非常な警戒感があり、その意味で小林秀雄にとってベルクソン論は極めて危険な作品だと言ってよいのかもしれない。

つまり、小林秀雄の本質が、小林秀雄の警戒心を押しのけて、一気に溢れ出てきたような作品が、『感想』であり、「『悪の華』一面」であったからではないだろうか。

もし、そうであるとするならば、これらの作品は小林秀雄自身の判断とは真逆に、小林秀雄という近代文学史上最大のパラドックスのひとつを解釈するにあたり、最も重要なヒントを与えてくる作品ということにはならないだろうか。

特に、その分量の多さと、その問題の重要さによって、『感想』は、その重要性を増してくるように思われる。

小林秀雄のベルクソン論である『感想』のなかには、小林秀雄の強みも弱みもともに含まれている小林秀雄がはじめて公開した原理論の書であるということができるのではないだろうか。

『感想』は、小林秀雄的思考の核心を、ベルクソン論というかたちで公開したものであり、そこには、それまで見せなかった小林秀雄の素顔があるようである。

『感想』の第1回目は、小林秀雄の母の死の前後の話から始まっており、母の死にまつわるエピソードのあと、ベルクソンの「遺書」の話に及んでいる。

そして、第2回目から、ベルクソンの哲学に関する詳細な分析が始まるのだが、小林秀雄の『感想』の特色は、ベルクソンを論じるときに、「生の哲学」や「非合理主義」といった、いわゆるもうすでに、よくあるような、既製品のようなベルクソン哲学の解釈ではなくて、ベルクソンの著書のなかの論理を具体的に、ひとつひとつ検討している点にあるのだろう。

その意味では、『感想』は、ベルクソン論というよりベルクソンを素材にして、小林秀雄がさまざまな思考実験を行った評論と言った方がよいのかもしれない。

「学生時代からベルクソンを愛読してきた」小林秀雄が、自身の批評の基礎原理に深く関わりすぎているがゆえに、ベルクソンについて、具体的に語ったことはあまりなかったし、ベルクソンの名前を出して具体的に語りはじめるのは戦後のようである。

小林秀雄は、原理的な思考に裏付けられた、極めて論理的、客観的な思索を得意とする人であったが、その原理論や原理的な思考そのものを人前にさらしたことはなく、常にその批評の原点は隠されていたといってよいのかもしれない。

そのように考えるとき、『感想』は小林秀雄にはめずらしく、その原理的思考の内側を、具体的にさらけ出した作品といえるのではないだろうか。

小林秀雄にとってのベルクソンを考えるにあたり、小林秀雄の初期の雑誌連載の文芸時評である『アシルと亀の子』に触れたいと思う。

中村光夫は、『小林秀雄初期文芸論集』の解説のなかで、

「昭和五年は、氏がはじめてジャーナリズムの表通りに出て、継続的に仕事をして批評家として印象づけた年であり、この四月から満一年にわたって『文藝春秋』に連載した『文芸時評』は『アシルと亀の子』という奇抜な題とも相俟って、たんに文壇の注目をひいただけではなく、広範囲の読者の関心を呼び喝采を博したので、これまで一般には未知の批評家であった小林氏が、はじめて人気の中心というべき新進文学者として登場したのです」
と述べている。

つまり、『アシルと亀の子』先立って発表されたデビュー作である『様々なる意匠』がどちらかといえば、批評の原理論であり、本質論であったのに対して、『アシルと亀の子』と題して『文藝春秋』に連載された文芸時評は、一種の情勢論であり、小林秀雄的批評の実践版であったようである。

『様々なる意匠』が読者にとって理解し難かったのに対し、『アシルと亀の子』は話題が具体的であり、現実的であったため、多くの読者を獲得し、このような連載時評の成功により、小林秀雄は批評家としての地位を確立したといえるのかもしれない。

中村光夫には、「奇抜な題」と言われてしまったが、『アシルと亀の子』は小林秀雄自身にとっては、十二分に考え抜いた末に選んだ、特別な意味を帯びた題名であったはずであろう。

この「奇抜な題」は、ベルクソンから借用したものではないかと、私には、思われる。

「アシルと亀の子」のパラドックスは、ベルクソン哲学の中心に位置する問題であり、「学生時代からベルクソンを愛読してきた」小林秀雄がこのパラドックスに関心を持ち、この題名を初期の連載時評に選んだことは、やはりベルクソンを通じててあると思われる。

私たちがよく、「アキレスと亀」と呼んでいるエレア学派のゼノンのパラドックスは、ベルクソン哲学にとって、非常に重要な意味を持つパラドックスであり、その哲学の独創的な展開の端緒を開く契機となったパラドックスである。

ベルクソンが、この問題に直面したのは、まだ、クレルモン=フェランのリセ・フレーズ=パスカルで教鞭をとっていた頃のことであったといわれており、ルネ・デュポスの日記によると、ベルクソンは、
「ある日、私は黒板に向かってエレア学派のゼノンの詭弁を生徒たちに説明していたとき、私にはどんな方向に探求すべきかがいっそうはっきりと見えはじめた」
と語っている。

以後、ベルクソンが、この問題を端緒にして新しい哲学的見解を示し、絶えずこの問題に触れ、その著作のいたるところでこのパラドックスを分析し、その哲学的思考の根拠としているようである。

ベルクソン哲学とゼノンのパラドックスはそのもっとも根底的なところで結びつけられている。

ゼノンのパラドックス、つまり「アシルと亀の子」のパラドックスとは、紀元前5世紀に南イタリアのエレアで活躍した哲学者であるゼノンが挙げた、運動に関する4つのパラドックスのうちのひとつであり、アリストテレスが『自然学』のなかで取り上げられたために、広く世に知られるようになったのだが、ゼノンにとっても、アキレスが亀に追いつくことは、自明のことであっただろう。

ただ、その事実を説明し、理解しようとすると、矛盾が起こってしまうのである。

ゼノンのパラドックスは、単純明快な内容と、その解決の異常な難しさのために、古くからパラドックスの代表的なものとされて、多くの哲学者を悩ませてきた。

ベルクソンは、このゼノンのパラドックスを解明することから、その哲学を開始したようである。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*見出し画像は散歩途中での景色です。昨日は曇りでしたね😌


最新の画像もっと見る