おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

西田幾多郎先生も、また、人間でありました

2024-07-28 05:58:56 | 日記
「三食のほか、ものを食うべからず」

あるお酒がほとんどいけなくて、甘いものを食べる習慣をやめられない28歳の男性が、書いた日記です。

そのひとは、32歳になっても、日記に、
「無益のもの、食ふべからず」
「心きたなくも、ものを食ひたり」
「パンを食ふ、一時の気の迷いなり」
と、日々、記していました。

なんだか可哀想になる心の葛藤ですが、彼は、30代半ばで、なんとか、おやつを食べたい衝動を克服したようです。

おやつを食べる習慣は、だらしなく、身体にも良くないなあ、とわかりつつも、その習慣をやめようと決意しても、なかなかに実行出来ない己の不甲斐なさを嘆き、それでも、なお、努力を重ね、やっとの思いで乗り越えたようなのです。

そのとき、はじめて、
おやつは身体に悪い
という知識と、
おやつをやめよう
という意思と、
そして、
実際におやつをやめる
という実行が、一致したのでしょうね。

これが、日記ではなく、
『善の研究』
という哲学書になると、
「純粋経験の事実としては、意志と知識の区別はない。......真に知足行である」
などと、難しく書かれてしまうのでしょうか。

「明治以降、日本人がものした最初のまた唯一の哲学書である」とまで評価された、しかし、大変に難しい内容の哲学書である『善の研究』を発表した方と、おやつ日記の書き手が、同一人物なのは、本当に素敵だなあ、と思ってしまいます。

どんなに立派だと言われるひとにも、隠された弱点、秘められた傷、人知れず悩んでいることが在るのでしょうね。

しかしながら、人間の素晴らしさは、まさにそのような弱点や、傷や、悩み、のただなかからこそ、生まれてくるのかもしれませんね。

日本が、世界に誇る西田幾多郎先生も、また、同じ人間なのだと、ほっ、といたします。

難しい哲学的な文章をお書きになる西田先生であっても、日記の文章は、とても、わかりやすいのですから。

ただ、西田先生は、日記が、公表されて、人目に晒されることになろうとは、思わなかったのではないでしょうか。

死後に、手紙や日記を含めて、全集を出版されるほどの有名人は、大変ですね。

西田幾多郎先生に想いを馳せてみました。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

【追記】
代官山の書店のトークショーで、尊敬する先輩にサインを貰ってから、頑張れる気がしています( ^_^)