おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

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理論(アシル)は現実(亀の子)に追いつけないということ-小林秀雄の「アシルと亀の子」にみるベルクソンへの想い-

2024-09-26 07:11:34 | 日記
小林秀雄にとって、ベルクソンとは、何であったのだろうか。

小林秀雄の初期の雑誌連載の文芸評論は、「アシルと亀の子」という題名を持っているのだが、なぜこの逆説の典型のような題名を連載時評に付けたのか、は小林自身がこの題名について詳しく説明していないため、いまだによくわかっていないようである。

中村光夫は「小林秀雄初期文芸論集」の解説で、
「昭和5年は、氏がはじめてジャーナリズムの表通りに出て、継続的に仕事をして批評家として印象づけた年であり、この4月から満1年にわたって『文藝春秋』に連載した『文芸時評』は、『アシルと亀の子』という奇抜な題とも相俟って、たんに文壇の注目をひいただけではなく
広範囲の読者の関心を呼び喝采を博したので、これまで一般には未知の批評家であった小林氏が、はじめて人気の中心というべき新進文学者として登場したのです」
と述べている。

この中村の発言からもわかるように、「アシルと亀の子」と題された文芸時評は、小林秀雄の出世作となった評論である。

「アシルと亀の子」先立って発表されたデビュー作である「様々なる意匠」が、どちらかといえば、批評の原理論であり、本質論であったのに対して、「アシルと亀の子」という文芸時評は、一種の情勢論であることから、話題が具体的、現実的であり、いわば小林秀雄的批評の実践版であったため、「様々なる意匠」よりも多くの読者を獲得したのである。

ただ、「アシルと亀の子」という題名は、小林秀雄にとっては、勿論、十二分に考え抜かれ、特別の意味を帯びた題名だっただろうが、中村光夫が、「奇抜な題」と言っているところを見ると、意味をよく理解されていなかったようにも思われる。

当時もまた、中村光夫のみならず、ほとんどの人に、小林がなぜこの題名を使用したかに関しての理解はあまりされなかったのかもしれない。

中村光夫がいうところの「奇抜な題」は、ベルクソンから借用したものだと考えることもできるだろう。

「アシルと亀の子」のパラドックスは、ベルクソン哲学の中心に位置する問題であるし、少なくとも小林秀雄がこのパラドックスに関心を持ち、初期の連載小説に選んだ理由もベルクソンを通じてであると推測することはあながち飛躍ではないように思う。

「アシルと亀の子」は、「アキレスと亀」といわれているエレア派のゼノンのパラドックスは、ベルクソン哲学にとって非常に重要な意味を持つパラドックスであり、その哲学の独創的な展開の端緒をひらく契機となったパラドックスでもある。

ルネ・デュポスの日記によると、まだ、ベルクソンが、クレルモン=フェランのリセ・フレーズ=パスカルで教鞭をとっていた頃
「ある日私は黒板に向かってエレア派のゼノンの詭弁を生徒たちに説明していたとき、私にはどんな方向に探求すべきかがいっそうはっきりと見えはじめた」
と語っていたようである。

実際、以降、ベルクソンが、この問題を端緒に新しい哲学的展開を示し、絶えずこの問題に触れ、その著作の至るところでこのパラドックスを分析し、その哲学的思考の根拠としている。

単純明快な内容と、その解決の異常な難しさのために、古くからパラドックスの代表的なものとされ、多くの哲学者を悩ませてきた「アキレスと亀」のパラドックスを解明することから、ベルクソンは、その哲学を開始したのである。

ベルクソンの『時間と自由』以来、『物質と記憶』、『創造的進化』、『道徳と宗教の二源泉』、『思想と動くもの』といった一連のベルクソンの主著においても「アキレスと亀」の問題への執拗ともいえる言及が見られるのである。

やはり、「学生時代からベルクソンを愛読してきた」小林秀雄にとって「アキレスと亀」のパラドックスは大切なものであり、「アシルと亀の子」という題名はベルクソン哲学の影響の下に小林秀雄が在ったことを示していると言ってもよいだろう。

しかし、小林秀雄は、「アシルと亀の子」と題する文芸時評を、「文学は絵空ごとか」という題名に変えてしまっているのである。

以後、1回ごとに題名は変えられているのだが、「アシルと亀の子」という題名を変更したことについて、小林秀雄は、「文学は絵空ごとか」のなかで、
「毎月、『アシルと亀の子』なんて同じ題をつけているのも芸が無いから取りかえろと言われて、なるほどと思い、偶々、正宗白鳥氏の文芸時評を読んでいたら、文学はついに絵空事に過ぎぬといい嘆声に出会ったので、今月は、多くを語りたい作品もなかったし、ただわけもなくこんな標題をつけて了った。
だが、私にとっては、依然として、アシルは理論であり、亀の子は現実であることには変わりはない。
アシルは額に汗して、亀の子の位置に関して、その微分係数を知るだけである」
と述べている。

「アシルと亀の子」という題名によって、小林秀雄は、理論(アシル)は現実(亀の子)に追いつくことが出来ないと言いたかったのであろう。

実際的な経験の世界においては、アシルが亀の子に追いつくことを私たちは、知っているのだが、それを私たちが、理論的に説明しようとするとき、アシルは亀の子に追いつけなくなってしまうのである。

ベルクソンによれば、それは理論が運動を運動としてとらえるのではなく、運動を空間のなかで、空間化してとらえようとするからである。

分割不可能な運動を、分割可能な空間の1点として、とらえようとするからである。

しかし、私たちは、日常生活において、時間を空間のなかで数量化して考え、運動を空間的な点の集合として考えることに慣れきっている。

言ってしまえば、私たちが常識として信じ込んでいる考え方は、一種の空虚な観念論に過ぎないということを、ゼノンのパラドックスは教えてくれているのかもしれない。

時間を空間的な量として考え、運動を空間のなかで数量化して考えている限り、ゼノンのパラドックスを避けることは出来ない。

つまり、そういう常識に依拠している限り、運動は存在しない、という奇妙な結論に辿り着かざるを得ないのである。

しかし、実際には、ゼノンのパラドックスを信じる人はいないだろう。

私たちが、この理論と現実の矛盾をひりひりと感じるわけでもないのは、都合の良いときだけ理論を信用し、都合が悪くなると現実を信用するという、論理的な不徹底性のなかで生活しているからであり、理論的な分析や説明というよりは、直接的経験のなかに生きているからである。

小林秀雄が、文芸時評の題として「アシルと亀の子」を選んだのは、ベルクソンの影響であると同時に、小林秀雄の主な関心が、
理論(アシル)と現実(亀の子)の矛盾、というところにあったからであろう。

小林秀雄はあくまでも理論の人として、その理論の可能な限りの極限を目指した人であり、その理論の極限において、あらゆる理論がそのパラドックスに直面して崩壊してゆく様を見た人でもあるのではないだろうか。

小林秀雄のベルクソン論である「感想(53)」のなかに、
「それなら、ハイゼンベルグが衝突したのは、あの古いゼノンの、ベルクソンが、そのソフィスムに、哲学の深い動機が存する事を、飽くことなく、執拗に主張したゼノンのパラドックスだったと言って差し支えない」
と書いている。

小林秀雄が、ハイゼンベルグが量子物理学で直面した矛盾が、ゼノンのパラドックスに他ならないと言っていることは、なぜ、小林秀雄が「物理学」にこだわったかが理解できる助けになるように思われる。

小林秀雄にとって、「物理学の革命」も、ゼノンのパラドックスのなかに在り、それに対するひとつの解答が量子物理学であったのであろう。

小林秀雄が、「アシルと亀の子」という題名に込めた「アシルと亀の子」は、マルクス主義に対する批判がテーマであったが、そのマルクス批判は極めて根底的な批判であり、理論的な思考そのものへの批判であった、ということが出来るのではないだろうか。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。