「民族」とは、新しい概念である。
「民族」とは、
19世紀以降、すべての差異を塗りつぶし、普遍化していくような近代主義が出現してから、
そのような近代主義に抵抗して、
「違う。そうではない。
私たちは画一化などされないし、画一化できないはずだ。
私たちには普遍化から守るべき独自性があるはずだ」
という想いから出てきた考え方だ、といっても過言ではないであろう。
「そうではない」
という否定から始まっているから、私たちが積極的に「民族」を定義することはいつも難しいのかもしれない。
生きてゆく中で自覚的・無自覚に育まれてきた、明示不可能な世界観というものが、どうやら「民族」の概念の中心にあるようである。
アルメニア生まれの作曲家、アラム・ハチャトゥリアン(1903~1978)は、政治にも思想にもあまり興味はなかったのだが、ハチャトゥリアンの卓越した才能を時代が見逃すわけはなかった。
時代や政府当局が、ハチャトゥリアンに期待したことは、西洋音楽の語法の中にアルメニアをはじめとする少数派の民族の音楽を取り込んでしまう、という政治色の強いことであった。
あまり政治に関心のなかったハチャトゥリアンは、純粋に故郷アルメニアを中心に民族音楽を集め、研究をするのである。
そしてその結果、政府当局者が予想だにしなかった、極めてアルメニア的な、決してソビエト連邦的な「労働者の勝利」などという普遍的イデオロギーとは、結びもつかない、
民族の魂や郷愁に訴える曲が出来たのである。
そのような曲のひとつにいわゆるハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲がある。
曲は冒頭から西洋的ではなく、荒々しいリズムではじまり、西洋でも、東洋でもない、コーカサス地方独特の感性に満ちている。
騎馬民族特有の激しいリズムがあるかと思えば、嘆き悲しみ点に吠えるがごとく哀切極まるメロディーも出てくる。
この音楽を聴くとき、私は、
政治が一瞬に見えてしまうほど、芸術は永遠なのかもしれない、などと、思うのである。
さて、実際のところ、ハチャトゥリアンのこの曲に困ったのは、ハチャトゥリアンの芸術を政治的に利用しようとしたソ連当局者たちで、結局、この強烈に民族色溢れる音楽に、1941年「スターリン賞」を与えざるをえなかったのである。
アルメニアに近いグルジア出身のスターリンがこの音楽をどう感じていたかは伝えられてはいない。
しかし、スターリンの言葉や著書は、忘却の波にさらわれていく一方、ハチャトゥリアンのバイオリン協奏曲は今でも愛聴されている。
やはり政治は一瞬かもしれないが、芸術は永遠なのかもしれない、と私は、思うのである。
確かに、私たちは、前大統領のトランプが壁を国の周囲に建設してはじめて再び偉大になれる、と言ったり、
マイノリティに向けた恐怖や嫌悪を選挙で勝利を得るための争点にしてしまった事実や明らかなレイシストを、政権の中でもきわめて大きな権力を持つ地位に任命したという事実を前にしているし、そのような世界に生きている。
人種の優位性に関わる一部の考え方が、これほど深く広範囲にわたって維持され、
アメリカ国内に、また、他国の人々との関係に大きな破壊をもたらすということは驚くべきことである。
これは、戦争と同様に不必要な行為で、世界は、そのようなことをしている余裕はないはずである。
そもそも私たち人類は、7万年前に起きた壊滅的な火山の爆発(パンデミックという説もある)をなんとか生き延びたほんの2000~3000人の男女から始まった。
そのため人類全体は生物学的には非常に近い親戚であり、他の種と比べれば遺伝的にずっと同質であるといえる。
人類の違いは目に見えないほど僅かなもので、数個の遺伝子が違うだけだが、正確に説明することは難しい。
細かい地理的変動による差異を省けば、私たち人類は、大体において外見がいくら違っていても、遺伝子的に同質であるといえる。
また、遺伝子の違いはきわめて小さいだけではなく、その違いが現れたのはごく最近のことで、およそ、6000~1万年前まで、地球上の人間はすべての茶色の目をしていたのである。
「民族」や「人種」などということばを超えて、芸術が心に響くのは、私たちの歴史や遺伝子の観点からも理解できる現象であると思うのである。
やはり、政治は一瞬かもしれないが、芸術は永遠なのかもしれない。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
先ほど、関東で地震があり、私も揺れを感じました。
能登半島地震の教訓を忘れず、落ち着いて、できる限り対策を見直したいと思いました。
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。