「狂気は個人にあっては、稀有なことである。
しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である」
(フリードリヒ・ニーチェ)
15世紀に出版された『魔女への鉄槌』(Malleus Maleficarum)は、
悪魔についての教義をまとめたもので、当時の精神障がい者の異端尋問に合理的、法的な根拠を与えた。
そのようなものの下での社会のなかで、精神障がい者は無慈悲で冷酷な官僚的方法と非科学的な根拠だけにより魔女や悪魔であるという判決を下された。(いわゆる魔女裁判の原形のなかのひとつ)
ヨーロッパにおける精神病の治療は、ローマ帝国の滅亡(5世紀)から、フィリップ・ピネルの登場(18世紀末)まで、先に挙げた『魔女の鉄槌』などがある種の社会規範になるような暗黒時代になる。(→時代や地域により明暗はあるが)
8世紀頃から16世紀頃のアラブ世界は対照的であった。
アラブ人は今日私たちが用いている記数法を利用して、世界ではじめて計量的な実験科学を導入し、代数学、球面幾何学、三角法を発明した。
また、ギリシャ、インド、ペルシャの科学の精髄を継承、統合し、さらに独自に発展させていた。
アラブ世界はその過程で、学問としての精神医学と独立した専門職としての精神科医生み出し、ヨーロッパでは、19世紀まで見られなかった水準にまで、診断と治療と理論を洗練させた。
また、コーランは精神病に対して進んだ見方を持っており(精神病は、人間的、人道的な枠組みのなかで扱うべき現実の問題だと捉えており)、
ユダヤ-キリスト教やギリシャ-ローマの伝統にあった侮蔑的な悪魔学とはかけ離れていた。
コーランには精神障がい者に
「衣食を与え、親切にことばやさしく話しかけなさい」
とある。
重度の精神障がい者には財産関連の決断をさせてはならないという実用的な忠告もあるが、
敬意と思いやりを持って精神障がい者を扱うように求めているのだ。
このことが、宗教とは切り離された、深い洞察を伴う臨床アプローチをもたらした。
精神障がい者は、管理の行き届いた病院で保護観察介護を受けられた。
患者の問題を記録し、理解するのも病院の役目だった。
705年、精神障がい者を専門とする最初の病院がバグダードに開かれ、800年にはカイロがそれに続いた。
やがて、他の大都市の多くもそれに続いた。
イスラム教の病院は、しばしば当時のヨーロッパ世界では考え難かったことだが、ユダヤ教徒とキリスト教徒の医師を雇い、大きな外科患者診療所と薬局を備えていた。
ヨーロッパでは、この1000年後になってようやく、独立した精神病院が設立されたのである。
また、アラブ世界では、精神医学における分類も活発に考案された。似たような状況の下、西洋で同じことが行われたのは19世紀である。
アラブの精神医学は、ヨーロッパではもう1000年も待たなければならなかったような道徳に適った細やかな全人的治療を先取りしていた。
そのとき、西洋では患者が鞭打たれ、拷問され、火あぶりにされていたのである。
アラブ世界の精神医学はまた、心身の健康は密接に関係していて、互いに影響しているとみなしてもいたため、認知心理学、知覚、精神療法、神経科学についての高度な知識も積み重ねていた。
我が国はとかく欧米に倣いたがるが、様々な時代や地域を比較検討しないどころか、自国の歴史や風土にすら無頓着であるように私は、思う。
そのような日本人、とくに欧米に軸足を置くことを「アタリマエ」または「アタリマエ」以上の価値を見出している日本人には、「なぜそう思うのか」問いたい。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
今日は、描きながら、大学時代の話ですが、
『七人の侍』を観たこともないのに、
「僕はそんなありふれた、よく知られた映画を観たくない」
と、はじめは頑として言っていた米国留学前の同級生の優等生を想い出していました。
もしかしたら、劣等生の私なんかに、
「黒澤明監督の『七人の侍』と『蜘蛛巣城』、留学前に観とくと良いんじゃないのかなあ、図書館で一緒に観ようよ。」
などと、差し出がましいことを言われたのが癇に障っただけで、作品に罪はなかったのかもしれませんが、いくら優等生でも、自国の文化にもう少し貪欲であっても良いのになあ、それとも学科ばかりが優先事項なのだろうかなあ、と、悲しくなったことを記憶しています。(留学前には観てくれて、彼なりに考え、感動するところは
在ったようです。)
ところで、土曜日が23℃予想に驚きました。
東京には冬がない、ですね......今年は。
体調に気をつけながら過ごしたいですね。
今日も頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
*1度、見出し画像変えました。