
「生き残るのは、
最も強い種ではなく、
最も知的な種でもない。
生き残るのは、最も変化に適応した種である。」
(チャールズ・ダーウィン)
5万年前に、
人類が生き残るため、
必要な能力が備わるように適応した結果得たものは、
今、私たちが、生まれながらにして身についているすべての反射的行動である。
その後、その能力を用いることにより、世界は大きく変わったが、人間の本能はほとんど変わらないままだ。
私たちの脳は、驚くほど複雑な現代世界を創造するのに十分なほど大きく発達したが、
そうした世界がもたらす新たな難題に最適な対応が出来るほど、常に柔軟であるわけではない。
5万年前に、
素晴らしい決断をした脳の神経回路は、
今ではひどい決断を導くことも多い。
個人としても、社会としても、
最も強く、素早く、満足を求める私たちの心に、感情よりも思考を、短期的視点より長期的視点を、利己主義よりも協調心を備えることにより、持続可能な世界を維持する術を考えなければならないと、今朝もニュースを視ていて考えてしまった。
さて、(?)
ジョージ・サンタヤーナは、
「過去を知らない者は、過去を繰り返す運命にある」
と述べた。
認知バイアスが願望的思考を強化してしまう理由も、過去に見出すことができる。
5万年前に、
私たちの祖先は、
自分が住む世界を、
ほとんど支配できなかったどころか、
機械論的に世界を理解することも出来なかったため、
願望的思考や儀式、神話を使って、
自らが世界を支配しているという幻想を作り上げ、
精神的な安心感を得ていた。
例えば、私たちの祖先が、雨乞いのために儀式舞踊をしたり、獲物となる動物を誘き寄せることを期待して洞穴の奥に絵を描いたり、病気を治すために、ジャーマンと共に霊界と呼ばれる世界を訪れたりした。
現代に生きる私たちもまた、人口爆発音が戦争、飢饉、疫病を引き起こし、化石燃料の燃焼が危険な地球温暖化を進行させる一方、他者の居住域を攻撃しても自他共に何も救うことなど出来ないという事実を無視している。
かくも深くに、願望的思考は、私たちの遺伝子に入り込み、私たちから、厳密な論理や科学的事実を頑としてはねのける。
しかし、
その昔、
雨乞い踊りは、意味がなかった。
そして、今、
人類生存の脅威や危機が、無くなること願い、それらが、なんとか、魔法のように消え去ることを思い描き、
最後の最後に、奇跡か、神の摂理か、ハイテクによって救いの手が差し伸べられることを、座して死を待つように、おとなしく「待って」いることに、意味は、ない。
願望的思考は、確かに、気休めにはなる。
しかし、願望的思考のみでは、実際に在る問題を解決する現実的なステップを踏むことが出来なくなること、そのことが、将来世代への責任を放擲することになることを、私たちは自身の裡に確りと留意する必要があるのではないであろうか。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
何だかただの偉そうな長文になってしまいました。
読んでくださりありがとうございます。
良い文章というか、説得力があったり、他人の胸を打つ文章までの道程が厳しく遠いなあ、と、今朝も痛感しました。
しかし、ことばにして、描いていきたいので、温かい目で見守っていただけるとうれしいです。
本当に読んでくださりありがとうございます。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。