おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

ナポレオンを拒んだピネルの勇気-ピネルが目指した、鎖からの解放の意味 -

2023-10-26 06:02:55 | 日記
パリのサルペリエール病院で、いまも使われている精神科病棟の構内には古い建物があり、その壁には、鎖の留めてあった跡が残っている。

フィリップ・ピネルは、これらの鎖から、精神障がい者を解放したことであまりに有名だ。

ピネルが活動するころ、精神障がい者の生活環境は悲惨になる一方だった。

産業革命、人口の増加、都市化により、
家族と村と聖職者が、大部分の責任を担っていた古い社会管理体制は崩壊した。

それに伴い、新たな重圧にさらされた労働者階級の家々は以前ほど寛容ではなくなり、精神的に障がいのある家族を支えられなくなった。

そしてはるかに遠くにあることが多かった施設へと送り出す決断をすることが増えていった。

精神障がい者は、孤児、犯罪者、不治の病とされていた病にかかっていた人々と一緒にされ、そして監禁された。

施設は営利目的で運営されている場合が多かったし、治療や科学をつとめとはしていなかった。

施設の収容者は悪人だと見なされ、その症状は堕落によるものと決めつけられて、医学の対象になることは少なかった。

精神医学の専門職はなかったし、診断や分類に繋がる臨床研究もなかった。

ピネルは放置された人々を救うべく、西洋世界で精神医学の専門職を創始した。

ピネルは、患者の抱える問題を考察、研究する際には、患者を然るべき尊厳を備えた人間として扱うように教えた。

その延長線上にピネルが精神障がい者を鎖から解放したことで有名になった事実がある。

さらに、ピネルは、悪魔つきであるから、と、怖れられ、中傷され、無視され、さらには火あぶりにされるべきだとした中世の迷信という鎖からも、精神障がい者を解放した。

ピネルのおかげで、
精神病は内科の病気と同じく完全に自然の原因から生じるのだと、(ほぼ)誰もが納得した。

非人道的な施設に代わり、快適、安全な環境で、敬意を持って治療するという「精神科病院」のケアの新たなモデルをピネルは打ち立て、
やがて同じ理念の下、ヨーロッパやアメリカの各地にも「精神科病院」が次々と生まれた。

現代の特に日本の「精神科病院」は、どうであろうか......。

ピネルは患者を人間として敬い、まさしく人間として治療した。

ピネルは侍医としてナポレオンに随行するか、患者のもとに留まるかの選択を迫られたとき、権力者ナポレオンを拒んだ。

(そのピネルとピネルの元患者かつ第1助手の闘いの歴史は次回に描くことにしている。)

ピネルが現代の医療を見たら、どのように、思うのだろう、と私は時折、考える。
人間の扱いは、また、退化した、と、嘆くのではないだろうか。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
おかげさまでだいぶ回復しましたが本調子ではないため、ちゃんと描くために文章の半分は次回にしました。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。


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