「目には目を
という考え方では、
世界中を盲目にしてしまうことになる」
というのは、マハトマ・ガンジーの名言だ、と、私は思う。
ペトリ皿にたっぷりの餌で培養されている数個のバクテリアの運命は間違いなく予測できるであろう。ペトリ皿のなかは、持続可能ではないからだ。
ダニエル・カーネマンは、ノーベル賞を受賞した研究をまとめた『ファスト&スロー』を発表した。
これは、層構造を持った人間の脳が日常的におこなう認知と、それがもたらす結果について論じている。
カーネマンは、フロイトと同様、意思決定の形態を2つに分類している。
システム1は、
素早く、自動的に働き、感情的かつ直観的で、人間に本来備わっている思考形態に近い。
システム1は、使いやすい形に凝縮された古来の知恵に相当する。
これは、当然のように私にもある。
例えば、もし妙な人がナイフを振りかざし近づいてきたら、じっくりと時間をかけて考え込むようなことは、私はしたくないであろうと断言できる。
システム2は、
もっと新皮質の機能に近い。
つまり、その思考は遅く、理性的であり慎重で、エビデンスに基づき、論理的法則に従った科学的なものである。
カーネマンによれば、人間の脳が日常的におこなう認知なので、私にもある「はず」だが、なぜか、しっくりくる具体例が出てこない。
冒頭に挙げたガンジーの深い思考から紡ぎ出されたことばを例にしよう......。要するに、人間の高度な思考形態に相当する。
両システムとも、
それぞれに相応しい場面においては、適切に機能する。
システム1の思考は、
人類が進化の戦いのなかで、
目立たないステージの片隅から、ステージ中央近くの座を得るまでの長きにわたって
生き残るための支えとなった。
だが、今では、自縄自縛というのか、私たちが私たち自身で作り上げた、しかし以前とは大きく変化した新しいステージは、このあと生き残って行く上での、大きな障害となっている。
システム1の思考は、現代の広く知られた新しい問題に対して、迅速かつ柔軟に使うことが出来ない。
自己中心的で、攻撃的、かつ原始的な本能は、賢い新皮質に大きく助けられつつ、数百万人というまばらな人口の世界から、混み合った70億人の世界へと私たちを放り出した。
だが、その70億人が共に平和に、持続可能な形で今の時代をどう生きることが出来るかを考える上で、そうした本能ほど、危険で時代遅れなものである。
システム1の脳を最新の状態にするには、少なくとも数万年という進化の期間が必要なのだが、私たちにはそのような時間的余裕はない。
私たちは今後、あらゆる点で、
最近発達した人間脳のシステム2による理性的思考が、
より原始的なシステム1の脳構造に組み込まれた反射的思考を、どうにかして、なんとかして、うまくコントロール出来るようにする必要がある。
ペトリ皿にたっぷりの餌で培養されている数個のバクテリアの運命は予測できるであろう。
間違いなく、バクテリアのは猛烈に増殖し、とめどなく餌を食い、やがて増殖したバクテリアで皿がいっぱいになり餌はなくなってしまう。そしてコロニーは完全に死滅する。
このペトリ皿のバクテリアが自らを消耗し尽くしてしまうのと同じような現象が人間の世界で起こることを「異化崩壊(catabolic collapsed)」という。
ガンジーのことばはそうなりつつある過程の私たちに訴えかけているように私は、やはり感じる。
私たちは、システム1の思考による良識への攻撃に抵抗し、システム2の思考で対抗しなければならない。
私たちが生き残りたいと願うとき、持続可能性に想いをはせ、理不尽な衝動や欲求実現の幻想を上回る、理性的な心の力を取り戻さなければならない。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。