自主保育 ぼわキッズ

横浜市磯子区の『久良岐公園』を拠点に活動しています。当番制で預けあって子どもたちを見守っています。

今年度の遊び納め!

2020-03-24 23:07:00 | 2019年度
すっきりと晴れた今年度最後の活動は今日も久良岐公園。
天気のわりに、風が強くて寒いので、体を温める為、サッカーをしているとみんな寒いのか集まってきました。

サッカーをしていると山登りをしたいという声。
でもサッカーをしたいいう声も…。
じゃあどうするか相談して決めてもらうと、山登りということにまとまり、みんなで山登り開始。

前の秘密基地ごっこをしたところにいい棒を集めながら向かいました。

笹の林の迷路をぐるぐる散歩したり、また秘密基地に戻っていい棒をたくさん集めて何を作ろうと考えたり。

市電が展示してあるところの広場では何だかよく分からないけれど、それでもなんとなく一緒に遊びます。

そんなこんなで今日もいつも通り、過ぎていきました。

自主保育をしていると、お母さんと子どもの関係性とそれによってどんな風に育っているというのを見ることができます。

お母さんと一緒にいたいという気持ちをそのまま受け入れられて過ごした子は、他の子のこともすんなり受け入れて誰とでも仲良く遊べるようになっていたり、

子どものやりたい、やりたくないを尊重されている子は大人を信頼しているのを感じるとっても素敵に育っているのです。

我が家の息子は典型的な年少男子だけれど、一年前はもっと気の弱い感じだったから大分たくましく成長しました。

大きくなったらどんな子になるかぼわキッズの子どもたちの数だけ楽しみです。

byなお


私が自主保育をした理由

2020-03-20 23:22:00 | 2019年度
今日は私の送別会です。
料理と飲み物を持ち寄って、夕方我が家へ集合。

いつもは汚れてもいい服の母たちですが、今日はちょっとだけおしゃれをしていました。

会の後半、
「こまっちゃんって子ども好きなの?人好き??好きだから自主保育してるんでしょ??」と聞かれました。

我が子はカワイイですが、子どもが好きって程でもありません。人もそんなに好きではありません。ではなぜ、自主保育をしているのだろうか考えてみることにしました。

多分、人が好きでないから自主保育をしたのだと思います。

クラスのお母さんたちと当たり障りのない話をして、調子を合わせて「そうですよね…おほほほほ〜」
なんて、

私にとって努力が必要なことです。

だから、逃げた結果が自主保育なのかもしれません。


だけど、自主保育をやってくうちに、

絵本を読んだだけで「ありがとう〜」

工作をしただけで「素晴らしいね」

そんな言葉をかけられるなんて、子どもの時以来!!

何かをすれば褒められ、喜ばれ、感謝され…。

認めてもらえたのがとても嬉しく、ここが自分の居場所だなって思えるようになったのです。



その時学んだのは、

「居場所は提供されるものではなく、自らで作り出すもの。自分が懸命にやれば、周りが認めてくれて、自分の居場所になる」と。



だから、
「自分がやりたいこと自分のために懸命にやろう」
「自分が自分らしくいれる居場所を作ろう」

と思って自主保育をしています。


まるで、悟りを開いた人みたいになっていますが、

今と昔の自分はなにも変わっていません。

相変わらず人は好きではないし…。

どんなに仲良くても久しぶりに会うと緊張するし…。


だけど、今はちょっと変わった仲間たちに囲まれ、人が好きでないことを感じさせない程のグッと近い距離感の仲間に出会えて

最高に幸せです。


byこま









秘密基地に集結!

2020-03-18 02:56:06 | 2019年度
今日は久良岐公園。
天気はいいけれど、風が少し冷たい日です。

一通り遊具で遊んだ後、山の中で秘密基地ごっこが始まりました。
リュックやレジャーシートを持って行って行ったり来たりするうちに、
最初は二人だったこの遊びにみんな集まってきます。
子どもにとっては荷物を運ぶという事だけでもおお事で、荷物を運べる運べないというだけで一悶着。

秘密基地ではバーベキューごっこやいい棒探し、木登りや藪探検。
小学生のお兄ちゃんも一緒に遊びます。


やっぱり小学生ともなると木も高く登れたり、
荷物も持ってくれたり。
自主保育のいいところは異年齢の子たちが一緒に遊ぶこと。
近くで年上の子が遊んでいるのを年下の子は見ていて、
遊び方や振る舞い方を静かに吸収していくので、兄弟が来てくれるといい刺激になります。

年中のMは今日も新しくロープの遊び方を考案します。
上手な絵で図にして説明してから、ロープを木と木の間に張って遊具が出来ました!


そうこうするうち、そろそろお終いの時間。
我が家の2歳児Mはメンバー母が大好きで、今日は一人をひっそり独占していたのでみんなが探して集まってきました。

最後に絵本と小学生のY君が作ってくれたシュークリームのおやつ。

シュークリームはあまりの美味しさに余った分も一瞬でなくなりました。
満足して真っ直ぐ帰路につく子、パワーを補充して水遊びを始めてびっちょびちょになる子、寄り道をしておたまじゃくしを見つける子。
帰りくらいに調子が出てくる子も多く、ぼわの活動の後もそれぞれ遊びは続くのでした。

なお

私たちの「子ども」たち

2020-03-13 23:04:31 | 2019年度
今日は久良岐公園で卒会でした!!
私と娘は引っ越すので送り出されます。 


ぼわキッズを通してこんなことを思いました。

それは、私がまだピチピチな高校生だった頃。

保育の授業で、「こども」とはどう書きますか??

という先生の問に

もちろん「子供」と答えました。

すると先生は
「子供」の「供」は「お供え物」の「供」であり、「大人への供え物」ではない、こどもをひとりの人間として見なければいけない。保育を勉強するものは「子ども」と書きましょう。と。

その時は「ふ〜ん」と思ったくらいでした。


そこから数年たち私も母になりました。子育てをしてみると、子どもを「子供」として扱っていることに気付かされました。

例えば

言うことを聞かない…
やるべきことをしない…と腹を立てて。子どもを大人のペースに合わせてしまったり。

将来役に立つから…
これができればかっこいいから…って親の価値観を子どもに押し付けて、子どもの興味ないことをやらせてみたり。

親は子どものためにしてるつもりでも子どものためになっていないことって多々あるとかんじました。


一方で、ぼわキッズの子たちには選択肢がたくさんあります。

「今日ぼわに行くか?行かないか??」
から始まり

「何して遊ぼうか?」

「お弁当をいつ、どこで食べようか?」

「絵本を聞こうか?聞かないか?」

「あんころもちで手を繋ごうか?繋がないか?」

「まだ遊ぶか?帰るか?」

親は、「ぼわに行ってほしい」「絵本を聞いてほしい」「手を繋いでほしい」という思いはありますが、それができない、しないことに腹をたてることなく見守っています。
「いつかできるようになるだろう」と子どもたちを信じて待ち続けます。

子どものペースで、子どもがやりたいことをする。

これが、「子ども」を育てるってことなのだろう思ったわけです。



話を今日の卒会に戻すと…。


昼食はみんなで1品持ち寄って食べました。もちろん、「いただきます」をする前に食べちゃう子もいます。


母たちで作った「ちいさな妖精さん」というぼわキッズオリジナル紙芝居を披露しました。もちろん遊んでて見ていない子もいます。


カラーゴミ袋で衣装を作り「パプリカ」を踊りました。踊りよりスピーカーに興味のある子もいました。


最後に集合写真を撮りました。だけど全員ではありません。




自由な子どもたちのように見えますが、大人の思い通りにはいかないなが「子ども」です。

だから、これでよいのです。

これがぼわキッズのみんなで育て合った私たちの「子ども」たちです。



今年度も楽しい1年でした。来年度も楽しい1年になることを北海道から祈っています。

byこま



p.s お誕生日会もしました。3月生まれのおふたりさん、お誕生日おめでとう