某大手食品メーカーを退職する際、別に両親に特別相談はしなかった。
このとき26歳。
自分の進路くらい自分で決める歳だ。
ただ退職してこれから家で療養するとなると話さないわけにはいかない。
私は今までの経緯を両親に説明した。
母親は黙って聞いていた。
激怒したのは父親だった。
『なぜ勝手に辞めたんだ!』
大学院についても某大手食品メーカーについても、何も相談されずに辞めたことが気に入らなかったらしい。
母親がなだめる。
それでも父親の怒りはおさまらない。
昔から1度怒り出すと止まらない人だった。
『病気のこともあるし、なにより死ぬ直前まで頑張ったんだからもういいじゃない!』
母親はこう言ってくれた。
この言葉に対し、父親から信じがたい罵声が私を襲った。
『死にたいなら勝手に死ねばいい!!』
私は自分の耳を疑った。
血の繋がった父親が、娘に対して、死にたきゃ死ねばいい?????
そんな言葉いったいどこから出てくるのだろうか…
挙句の果てに父親は私にこう言った。
『○○(私)はそんな変な病気になるような子じゃない。強い子だ。今からでも遅くないから某大手食品メーカーに電話して退職を取り消してもらえ。』
双極性障害=変な病気…
確かに親の世代では馴染みのない病名。
しかしちゃんと双極性障害についての資料も渡してある。
強い子だから…強い子だからこそ我慢が重なりなってしまう、うつ病、双極性障害。
それよりなにより、実の父親から『死ね』と言われた以上、ここに安息の地はない。
私はその日のうちに置き手紙と貯金通帳と少しの着替えをボストンバッグに詰め込み家を出た。
ここから本当の私の療養生活への第一歩が踏み出されたのだ。