日本は今、高齢者が4人に一人の時代にはいった。
それで、子供があまり生まれる状況が整っていないため、結婚しても子供を作らない人達がでてきた。
女性はキャリアを大切にしたいので、高齢期出産が多い。
アメリカでは老人だけの町があるそうです。
そこでは、普通の町と同じように、警察官、店員、病院の先生、などいます。
皆、老人で町を運営しているそうです。
中には認知症の人もいると思いますが、そんな人も元気な老人の関わりの中、生活できているのでしょう。
私の住んでいる団地は4階建てで1棟32軒、17号棟まであります。
ここは40年前に山をけずって、団地ができたようです。
そのころは、子供が多くいましたが、今は、子供が独立して、高齢者がほとんどで医療生協の在宅医療、いろんな病院のデーサービス、訪問介護事業所、やさしい手、猫の手、生協の訪問介護などいろんな事業所が入っています。
私が民生委員をして居る時は、70歳以上が100人以上いました。
そして、妻か夫が認知症になって、老老介護をしています。
2年前、老老介護をしていた1軒の家から火災がおこって、2人ともなくなりました。
今、国では2025年問題といって、そのころになると、認知症の人があふれて、その人たちを受け入れる施設もなく、家で家族がみなければならないということが叫ばれています。
これって、とても人の先入観に恐れをあたえていませんか?
其の為にどうすればいいか、今、多くの専門家が話し合っています。
私は、今、畳式のグループホームで週二,三回仕事しています。
そこでは、看取りもしています。
最近では、1番遅く入居して、1番若い人でしたが、若いといっても、80歳です。
その人が急に状態が悪くなり、食べられなくなり、お尻に褥瘡ができるなどして、1週間で亡くなってしまいました。
その人は認知症でしたが、自分で歩いてトイレにいっていました。そして、レクの時は大きな声で歌っていました。
家族も先生も、私達もそんな早く逝くとは思ってもみなかったのです。
脈もしっかりしていたし、DR往診の時、なくなる3日まえでもまだ、ターミナルとは言われていませんでした。
家族は私達の施設では、本人が食事が欲しいという意思がない時は無理にたべさせないという方針があって、そのことで、家族が不満におもって、施設をかえようかということを考えていたようです。
あっというまの、最後でした。
認知症になっても、大丈夫な地域造りをしていきましょうが大切です。
そこで暮らしていた人が認知症になった時、その人はそれまでは、その町で病院に通って、なじみの先生がいて、お店で買い物して、顔なじみのひとがいて、美容院に通って、顔なじみの美容師がいてというふうに、認知症になっても、そのひとが急に町の人達とコミュニュケーションがなくなってしまうことはないわけです。
徐々に最近の記憶がなくなっていくのですが、それまで、三〇年も生活した町の事はしっかり、脳に記憶されています。
生活習慣というのはそんなたくさんではないのです。
食べる、排せつをする、入浴をする、買い物に行く、散歩する、寝る、料理する、掃除する、人とコミュニュケーションをするなど人間が生活していくのに必要な行為です。脳の機能障害ですので、本人も訳がわからないけど、忘れっぽくなった、人との話す中で、同じことをはなしている、あった人の名前がおもいだせないなどだんだん多くなって、料理をする時火の始末ができなくなるなど、だんだん一人で生活できなくなるのが認知症です。
なので、親が1人で田舎で生活していて、息子は企業戦士として、会社で仕事をしていた場合、親の元気なことしか知らなかった人が、親が突然認知症らしいと知って、驚いてしまって、どうしていいかわからない場合が多いのです。
これからは、親がまだ元気なうちから、コミュニュケーションをとったり、親の知り合いと仲良くするようにしたり頻繁に親に会いに行ったりして、親が元気なうちから認知症になってもいいように心掛けていった方がいいですね。
団地の問題にはいりますが、日本には、45年前に立てて、私達と同じような問題をかかえた団地が多くあります。そこでは、もう、自治会も、管理組合もなく、水道、ガスも古くなるばっかで、団地の修繕もなく、高齢者の孤独死が1日何件もあるような所もあります。
私達の住む団地を高齢者だけの町のモデルとして、元気な老人が認知症にかかった老人をサポートしながら、生活していく、そんな街にできたらいいと思っています。
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