私を教会に導いてくいださった、友人が年賀状に昨年、パウロの足跡をたどる、ギリシャ、コリントにいかれたと書いてあった。
そのご主人はブラジルへ日本語教師としてボランテイアでブラジルまで行った人だ。
パウロが牢屋でくさりにつながれて賛美していたら、天使がきて鎖をはずして、逃がしてくれた牢屋も見れたとはなしていました。
小さい牢屋だったといっていましたが、実際にその場所にいって礼拝もしたそうです。
ギリシャは遺跡のまちだといっていました。
パウロがあるいて伝道した道は石畳の道だったとのことです。
最初はキリスト教を迫害していた人が、クリスチャンをひっつかまえて牢屋に入れていたパウロが馬に乗って道を歩いているとき、。突然目も見えなくなるほどの光りがパウロにふりそそいで、パウロは何が起こっているのかもわからずいた時、「パウロ、パウロなぜ私を迫害するのか、私はあなたが迫害しているイエスです。」という声がきこえてきたそうです。
そして、その時からパウロは目が見えなくなったのです。
それから、イエス様が導いた人の所につれていかれ、その人によって、目が開かれたのです。
そして、パウロは回心して、イエス様を信じて、イエス様を皆に伝える人となったのです。
その姉妹は私の父が私の母とお見合いをしたとき、世話になった父の母親のお姉さんの匂坂さんという
家のそばに家があったようです。
清水市といえば、追分羊羹が有名で、それを作っている、工場の近くに家があって、私の親戚のさぎさかさんもすぐ、近くだった。
私が5歳の頃、そのお祖母さんに兄と二人で世話になったことを思い出します。
父が早くなくなって、しばらく、そこの家で世話になったのです。
たくさんの下宿人がいて、そこの奥さんに足をくらべられ、「私と同じふとさだよ」といわれたくらい、私は当時太っていました。
ご飯に卵をかけて、食べるのをおいしそうだとおもいながら、下宿人の人の朝ごはんを見ていました。
当時、卵は高級品でした。
そんな事を思い出しました。
大川従道先生のお父さんの教会も清水お船越にあるようです。
あの、有名な大川先生が同じ郷里だと知って、感無量になりました。
いろんな方法で、イエス様に導かれますが、私も、姉妹の導きがなければ、教会に行かなかったでしょう。
そして、横浜の看護学院に入学しなければ、バイブルクラスにでれなかったし、頭の悪い、私が叔父さんの推薦で、学校にいれていただいて、寮生活をして、中退して、看護婦にはなれなかったけれど、教会の牧師さんの暖かい励ましで、洗礼を受けて。46年前に神の子とされ、永遠の命があたえられ、聖霊様がいつも、私と共にいてくださり、神様の導く、わざをするものとかえられたのは、本当に奇蹟です。
パウロは馬に乗っている時、驚くばかりの光りの中で、イエス様にであったのですが、同じ聖霊様という三位一体の神様がイエス様を信じたその時からそれぞれ信じた人の心に住んで下さり、正しい道に導いて、死ぬまで私はあなたと共にいる、決してあなたを見捨てない、私が選んだので、私が責任を、おって、あなたを導くと約束してくださってい、ます。
あなたは、いままで、祈ったことはなかったけれど、私に祈りなさい。そうすれば、かなえてあげます。と約束してくださっています。
祈ったことはかなえられたと信じなさい。
これは聖書のみ言葉で、イエスさまが信じたクリスチャンに約束してくださっていることでしす。
神様との祈りは、直接、神様に届きます。
お正月に神社にお参りに行って、願い事をおねがいしなくても、毎日、困ったこと、夢がかないうよう、経済的な困難、育児の問題、心配事、自殺したくなるほど、生きるのがくるしい時、私はイエス様に祈りました。祈りはすぐには答えられなかった事もあったけれど、信じて祈り続けた事は全てかなえられました。神様は全て、ご存じです。
イエス様は私達の心の罪の身代わりに2015年前に十字架にかかって、身代わりの死を遂げました。
私達のこころにある、うそをついたり、人のものをとったり、人を殺したり、姦淫したり、偶像の神様をおがんで、ただ一人の神様を信じなかったこと、人のものを欲しがったり、父母を敬わなかったりすることを罪と言いますが、皆さんの中で私は絶対罪をおかしていません、という人がいたらその人は神様をあざむいていると聖書ではいっています。
自分に罪があったとおもったら、イエス様に自分の罪を赦していただきましょう。
イエス様、私はこれまで、多くの罪を犯しました。お許しください。
といって、具体的に、両手を合わせ、頭を下げて、神様にお話してみましょう。
最後にイエス様のお名前によって、お祈りしますと言ってください。
その祈りはイエス様が聴いていて、あなたの罪jは許されます。
私は、46年前、自分の罪を赦していただきました。
あなたの若い日にあなたの創り主を覚えなさい。
聖書
神はその一人子を賜ったほどにこの世を愛された。それは、御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためです。ヨハネ3章16節
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