今、イエスキリストの映画や旧約聖書にでてくる、モーセの出エジプトの映画など、神様の関係の映画やっている。
場所は渋谷の西部デパートのA館とB館の間を入って、隣のビルお7階でやっている。
ちょうど、後藤健二さんの事もあって、日本中のクリスチャンが後藤さんの救いのために神様に祈っていて、日本の国としてどう対応していいのかもわからない状態の中、神様が祈りに応えて下さることを信じて、多くの教会で祈りがささげられた。
神様の子のイエス様の生涯、生まれてから、十字架にかかって死んで、3日目によみがえったこと、イエス様がいろんな奇跡をおこして、神様の教えを聴く人々に自分は神の子だと伝えながら、病気の人をいやしたり、かいいんした女を石をぶつけて罰を与える行為に対して、「最初に罪をおかしたことがない人がこの女に石をぶつけなさい。」といったら、みんないなくなった場面、イエス様は、女に「もう罪をおかさないように」といって、罪をゆるした。
嵐の中で、弟子たちが船にのっていたら、遠くからイエス様が海の上を歩いてきて、弟子のペテロに私の元に歩いてきなさいといって、ペテロが海の上を歩きだしたが、大きな波をみて、恐れて沈んだ場面などが見ることが出来た。
イスラム教とユダヤ教とキリスト教の宗教の話題が今、新聞をにぎわしている。
キリスト教は人間の罪の為にイエス様が身代わりに十字架にかかって死んでくださったこと、死んでから3日目によみがえったことを信じて、信じた人は神のことされ、永遠の命をえることができると約束されている。
そして、イエス様を信じる人の心に聖霊さまがともに住んで下さり、祈ることで直接、天地創造の神様とお話ができるのです。
イエスさまが人間と神様との橋渡しをしてくださったのです。
罪あるままでは神様とはお話はできません。
イエス様が私達の心にある、罪を取り除くため2000年前十字架にかかって、身代わりに死んでくださいました。
旧約聖書のころは、人間が罪を犯すたびに、動物のいけにえを祭壇にささげ、燃やしました。
ユダヤ教はただ一つの場所で、いけにえをささげることがきまりでしたが、その神殿が立っていたところは、今はイスラム教のモスクがたっていて、たとえ、罪をおかしても動物のいけにえをささげることができないようです。
なので、嘆きの壁というところで、神様に許しをこうyほうです。
神の民とされた、ユダヤ人が3000年まえから、旧約聖書で救い主がお生まれになると予言されていたのにもかかわらず、本当の救い主がこの世に来た時、それをうけいれられず、イエスさまを十字架につけてころしてしまったのです。
興味のある人はぜひ、映画をみてください。
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