【錯視画像】
昨日のフォント錯視は基本的に↓のカフェウォール錯視と似たメカニズム。
象、模様が白地の細い水平方向の線を縦方向に僅かな傾きの印象を与え象=像を創る訳ですね!
象→像、像は?(にんべん)で解る様に人為的なカタチです! twitpic.com/e2jxmh
昔[医]は[醫]と表記。もっと前は[醫]←[毉]。
「巫」って巫女、呪術の[巫]です。昔は病気を治すのに呪術に頼っていた。その後に薬酒を使うようになり、[巫]→[酉] (酒) に変化。
古の医者がクスシと呼ばれていた所以です。奇しとは怪し、不思議な草=くすりと同語源の言葉。
医の旧字 「醫」の上の部分は医+殳。此れに良く似た字には区+殳の殴がある(笑)!
医は匸(隠し構え)の中に矢、尖端で突付いたりすれば鍼、殳は棒で叩く意味だ。身体に物理的な負荷を与え、更には薬で身体の不具合に対応する行為が 「醫」。
巫女的対応をすれば「毉」療が成り立つ訳です。
私が小3まで漢字の書き取りテストが白紙だった理由を思い出した昭和33年頃はまだまだ 医?醫も混在。旧字の意味に興味津々。[医]と略字を得意気に書く同級生が愚かに思えた。書き取り→愚民化だと考えていたと思う。
藝→芸と木、土、丸が省略された手抜きの味気なさ。書き取りより観察。
藝の字は園芸の藝、艸=?に
花木や土を相手に矯めたり、丸めたりの作業を云=気の塊魂(かたまり)で遣る作業。雲だって雨の基になる気の塊魂(かたまり)=でマスターすれば小3では白紙の子どもが小6ではスラスラに成り得る。学習障害の支援・対応にはこの視点が欠如していないだろうか?
@CookDrake
偏頭痛との関係を私も提起しようと考えていました!
先日、黄さんにそれとなく質門したのですが…(^_-)-☆
私は書くと言う作業の強制乃至は矯正指導が学校教育の最大のネックになる問題だと考えています。書か(け)なくても物事を何らかの方法で説明出来て、解明可能な能力の発達指導に教育目標をシフトする視点が必要ではないでし
ょうか!書く作業に徒に時間を割く授業は創造性を欠くアナクロニズム教育。
@Koukakurou では、担任に匸(隠し構え)の名称と
殴るの匸+メ+殳の意味を解説させて下さい(^_-)-☆
殳(ほこづくり)の名称と殳を含む例えば役の成り立ちと戦闘が何故西南の役の様に役と言うのかを説明させて下さい(^_-)-☆
多分、白目を剥くかな(笑)!
→
@Koukakurou
→殳はほこ=batで英語の
battle=戦闘の語源がbatに来する関係と同じなんで(^_-)-☆私は小3までは漢字書き取りは白紙でしたが漢字を観察していました。だから、小6の時はスラスラでしたが、ドリルで力を付けた訳では有りません。一生の宝の知識です。
@Koukakurou 小3白紙の私が小6の時は未学習の漢字を
含め殺、穀、設、疫、毀、撃、投、股、搬、……
と書けるまでになったのは全て観察したからです。撃は車+殳の下に手で車に乗ってバットを手にしました撃つのイメージで書けます。殺は簡単なイメージですね(笑)!
@Koukakurou
例えば、裁、栽、載の覚え方。別々に[裁、裁…]と書いて覚えない!裁は[衣を断つ]→[裁く(さばく]→[裁判・裁断・裁縫]
[栽]は[木を植え育てる]
→[栽培・盆栽]
[載]は[車上に置く]→載せる→[連載・掲載]の発想で一挙に3文字制覇ですね!
思考力が身に着かない書写は無駄です。私は一切拒否
。観察して思考して実験して行くと字も図形も何時の間に
身に着きます!
RT @Koukakurou 意味のない事は覚えられない。文字ではない図形を覚えて書き写す事が苦手。知らない漢字なんて苦手。意味と絡めて覚える方が近道ですね。
@yone_oki5 @kodomoonbuz 学校に通う=子ども幸福は或る意味では価値観の強制です。学校に通えない不幸と学校に通わない幸福←子どもの学び方の選択肢表明。学校に通わされる不幸と学校に通わされない不幸←大人の強制に対する子どもの抗議表明。子どもの意思尊重の論議が本筋
@yone_oki5 @kodomoonbuz 大人の価値観を押し付けられる子どもの困惑が全く語られない異常な論議が不登校問題の不毛性。マーク・トゥエインの児童文学の本を読んで頂きたい(笑)!
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