哲学をする猫∧_∧
7年前15歳、支援学校進学時の娘の覚書より
自ら考えて知ることだけが、「知る」ということの本当の意味だ。
情報を受け取って持っているだけの状態を、「知る」とは言わない。
正しく生きるとはどういうことか、生きているとはどういうことかという、人生にとって最も大事なことについての知識は、新聞にもネットにも書いてない。書いてあることもあるけれども、それを受け取って持っているだけで、自ら考えているのでなければ、あくまでもただの情報だ。
情報は知識ではない。ただの情報を自分の血肉の知識とするためには、人は自分で考えなければならないんだ。
「存在する」ということは、奇跡だ。存在するあらゆることが奇跡であり、したがって謎なのだという絶対の真理を手放さないのであれば、君は、これからの人生、この世の中で、いろんなことがあるけれども、悩まずに考えてゆくことができるはずだ。
そのためにこそ、人間には、考える精神があるんだ。考えたいけどうまく考えられない、そういう人だって、かまわない、生(ある)と死(ない)の謎を感じて、その謎を味わいながら、大事に人生を生きてゆけばいい。
『14歳からの哲学』(池田晶子)より
7年前15歳、支援学校進学時の娘の覚書より
自ら考えて知ることだけが、「知る」ということの本当の意味だ。
情報を受け取って持っているだけの状態を、「知る」とは言わない。
正しく生きるとはどういうことか、生きているとはどういうことかという、人生にとって最も大事なことについての知識は、新聞にもネットにも書いてない。書いてあることもあるけれども、それを受け取って持っているだけで、自ら考えているのでなければ、あくまでもただの情報だ。
情報は知識ではない。ただの情報を自分の血肉の知識とするためには、人は自分で考えなければならないんだ。
「存在する」ということは、奇跡だ。存在するあらゆることが奇跡であり、したがって謎なのだという絶対の真理を手放さないのであれば、君は、これからの人生、この世の中で、いろんなことがあるけれども、悩まずに考えてゆくことができるはずだ。
そのためにこそ、人間には、考える精神があるんだ。考えたいけどうまく考えられない、そういう人だって、かまわない、生(ある)と死(ない)の謎を感じて、その謎を味わいながら、大事に人生を生きてゆけばいい。
『14歳からの哲学』(池田晶子)より
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