@yonrinkun 1先ず、発達障害と言う言葉の使い方がこの数年間で急速に変化しています。以前は所謂自閉症圏内の広汎性発達障害を示すことが多くて特性も自閉症の特性を主体に語られていました。僅か6年前はそうでした。以前は愛着障害、パーソナリティ障害の文脈で語られたものが→
@yonrinkun 2→発達障害の文脈で語られています。仰ることが愛着、パーソナリティ障害の文脈ならば二次障害ですが…自閉症圏内のコミュニケーションの特性は二次障害とは別の特性でしょうね。寧ろ、二次障害ではなくて言葉、記号の把握の仕方の相違でそれらの二次障害とは違っています。
@yonrinkun 3→言語、記号、数の認知の仕方が愛着パーソナリティ障害などの生育環境の二次障害として立ち現れて来たものと、それらの認知の仕方の構造が所謂多数派とは全く相違してそれらの差異にコンプレックスを余り感じ無い発達障害者の像が1980年代迄の発達障害者像でした→
@yonrinkun 4→コンプレックスを感じて困惑しているのが周囲の人間だったのです。私はアスペ、高機能自閉症と言う概念が無かった時代から自閉症の甥と従兄弟と教え子に接して来たのですが、1970年代は二次障害としての自閉症・発達障害の否定派は孤立。80年代から自閉症は→
@yonrinkun 5.→自閉症は脳の機能の問題と理解される様になりましたが…最近はまた流れが変わって愛着、パーソナリティ障害の二次障害の生育環境の問題との問題提起がされ、発達障害障害概念の混乱に困惑しています。24時間彼らに関われない専門家は理解不足なのだと感じています→
@yonrinkun→6.私の経験ですが…支援者・専門家の意見に何度も呆れ果て仰け反ったことがあります!所詮、当事者の生活実態とは懸け離れた頭の中、書物の中の理解でした。今回は此処までにします。現在の発達障害概念とは全く出来損ないの寄せ集めの大雑把なものだと感じています。
@yonrinkun 7→一連のTWの最後にエピソードを付け加えます。70年代に関わった心理の学友は自閉症は懲りたと語って自閉症から撤退しています。何故なら、80年代に冷蔵庫マザーの影響の二次障害は否定されて脳機能の問題になったからです。しかし歴史は繰り返していますね(大笑)!
@yonrinkun 自閉症圏の発達障害者の二次障害は如何にしてもたらされているのかの連ツイを後程しますので読んで下さい。貴方へのリプライの形ではなく、呟きます。
【発達障害当事者の二次障害症状の再帰性】1発達障害当事者の子育てをしていると、周囲の感覚情報のステレオタイプの思い込みが当事者のパニック症状、心的不快を更に拡大する情況を何回も経験する。発達障害当事者の二次障害の特徴は、症状の再帰性だと思う。特に施設・学校環境で顕著な問題だ。
【発達障害当事者の二次障害症状の再帰性】2再び過去と類似あるいは似た情況での不快体験をすると過去の精神状態に立ち返りパニック症状、心的ストレスが以前にも増して拡大する。 当事者が自ら再帰症状を招来する場合よりも深刻な場合は周囲の人達の善意の支援が症状の再帰を仕向けることだ。
【発達障害当事者の二次障害症状の再帰性】3「仕向ける者」はあくまでも支援の意図での励ましの行為だと信じて疑わない。「 本人の成長のために」の障害に対する理解の欠如、無知ゆえの場合のほうが解決の途は遠くなる。 この精神的なトラウマ体験には再帰という現象が宿命的な問題なのである。
【発達障害当事者の二次障害症状の再帰性】4当事者はトラウマ、心的外傷の体験者だから、後遺症として一般の健常人だったら何ら問題とならない心地良い情況、快適に感じらる日常生活上の多様な聴覚、視覚、 触覚的な刺激を、自分を襲う刃のように感じることを理解しないと支援にはなり得ない。
【発達障害当事者の二次障害症状の再帰性】5我慢して乗り越えさせることが成長に繋がると言う支援の方針は支援者側の自己の価値観の押し付けに過ぎない。 自分に話しかけてくる他人の声、姿、耳に聴こえる周囲の生活音、音楽、テレビの音、心地良く温かな太陽の光、春先の揺らめく陽炎、→
【発達障害当事者の二次障害症状の再帰性】6→抜ける様な青い空の色、爽やかな微風などに至るまであらゆる感覚情報がパニックの引き金になる可能性がある。 健常者が快く感じているこれらの環境的刺激を、 ASDの障害当事者も同じように快く感じている、あるいは感じられる方が幸せになれると→
【発達障害当事者の二次障害症状の再帰性】7周囲が思い込む善意の支援指針からの環境構築を目指して幸せが満ち溢れている筈のこれも善意に基づいた社会活動の場へ誘導するとさらに症状の重篤化に繋がる。心的外傷被害というものが本質的に再帰性という特徴を持っていることからの当然の帰結である。
ただ、究極のところ、自分にとっての第一の他者が自分であるのなら、「自分自身で、共に」の当事者研究は自分ひとりでできなくもないのだろう。大変だろうけれども。私がセルフでスキーマ療法をやったときの大変さと似ているのだろうな。
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