言葉が生まれようとする瞬間を逃すことなく、僕は言葉を綴る。
それは今やって来て、今過ぎ去っていく。
僕は治療家である。
多くの人々を診て来た。
僕は治療家なので当たり前のことだと思われるかもしれないが、僕のところに訪れる人の多くは、病気や痛みを取り除きたい、治したいと言うことで訪ねて来るのだ。
この病気はどうすれば治りますか?そしてあなたは治せますか?と僕に尋ねる。
あなたに治せますか?
もしも僕が病気を治したならば、あなたは完全に僕の奴隷になるしかあるまい。
何しろあなたのその病気は僕が治したのだから。
あなたは自分の病気を自分で治せなかった。その病気を僕が治した。
僕は神に違いない。さあ、一回の治療に100万円支払いなさい。
ある治療家は病気を治せると言う。宣伝文句も素晴らしい。この病気はこうすれば治る。
巷で評判だ。
きっとその人は神に違いない。人の病気を治せるなんて。治った人は奴隷になるしかあるまい。
凄いことだ。
僕は治療家だが、残念なことに病気を何一つ治せない。
あらゆる人が僕のところに訪ねてきて、どうすれば病気が治りますか?と尋ねる。
僕は言う。
僕はあなたではない。あなたの身体はあなたのものだ。
そうすると、みんなガッカリした顔になり、また、次の治療家を探しに行く。
きっとどこかに答えがあり、あなたを治してくれる素晴らしい治療家がいると思っているようだ。
僕はそのような答えは知らないが、あなたがそうしたければ、僕はいつでもあなたのそばにいる。
あなたが去りたければ、去れば良いし、居たければ居ればいい。
あなたは去り、彷徨い歩き、そしてあなたは何処に行っても答えが見つからない事に気づくだろう。
何しろ答えを求めている限りは、答えなど何処にも見つからないのだから。
あなたが答えを求めることを捨て、自らを見たときに、あなたの病気も消え去るだろう。
僕はただそうしている。
※あなたとは特定の誰かではない。
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