ハッピー(吉田鍼灸指圧治療院から)

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自我(あなたとは)について

2023-04-26 13:31:16 | 本質

自我(あなたとは)について

あなたは自我であり、あなたは面であり、靄(もや)である。

そして、あなたは外界の刺激に反応して動く。

あなたがこの世界に生まれてきた時、あなた存在していない。まっさらですべてと繋がっている。

その無であり、空であったあなたは、両親が皮膚感覚を通じて、あるいは言葉を介してあなたの脳に情報をインストールしていく。

情報は育てる両親の自我によって変わる。それが生育環境となる。

その後、幼稚園や保育園、小学校と中学校と高校、大学、就職、自然環境、体験、経験。

あなたが何をインストールしたか、されたかによりあなたの自我が誕生し、そして自我を自分と認識する。

自我はインストールされた情報を基(体験、経験、教育など)に、外界からの刺激にそれぞれ反応し動く。

自我はインストールした、された情報を守るために誕生する。自我は自己防衛とサバイバル(生存)の為に存在するのだ。

大抵の人はこの自我を自分と位置付けている。

その自我は何をインストールしたのかによって、そのれぞれの個性が完成する。

そうやって自我を持った個人が完成する。

しかし、何をインストールしたかという事象だけにによって自我が完成する訳では無い。なぜなら、インストールする情報に耐えるだけの肉体や脳の容量によってそれは決まる。

容量の大きなアプリをインストールしようとしても、ハード(肉体)とメモリ容量(脳)が処理できなければ、インストールできない。

これは、先祖から伝わる情報(DNA)に違いがあるからだ。

だから誕生した瞬間から人間は違うことにより、これが自我の形成にも影響を与えている。

生まれた瞬間、両親や先祖に似ているのである。だからあなたの器の大きさは最初から決まっている。

だから、あなたはあなたの範囲内で精一杯、外界の刺激に対してきちんと反応して生きているのである。

器が違っても、何も劣ったところはない。

堂々と反応して、反射し生きていれば良い。

恵まれた肉体にずば抜けた頭脳を持っている方が良いという訳では無い。容量が大きいのと小さいこととは優劣とは関係ない。

サバイバル能力にも関係ない。

危機に際し、何も考えずフリーズしている方が危険を回避できることもある。

現世に誕生したことにより、あなたには何一つ欠けたところは無い。

すべては概念であり、虚構であり、虚像であり幻影である。

自我が苦しむのは、あなたを助ける為なのだ。それが過剰に反応している時には、自我を観察すると良い。

そうすると自我が可愛く見えてくる。自我に感謝の念が湧いてくる。

自我を観察できるということは、自我を観察しているあなたの存在があるはずだ。

その客観的に自我を観察しているあなたが、あなたの本体である。

もしあなたが自我と一体になっていれば、観察などできないだろう。

だから、あなたは常に観察者である必要がある。この世界を観察して、観察しながら体験する。これが現世における生きている理由だと僕は考えている。

そのこと以外に、現世に何の意味があるだろうか。

さてさて、自我とは一体なんであるかについて述べてきましたが、普段の自我はどうしているかというと、

注意を払って物事を行う時以外の自我は、オートパイロット状態でしかもスリープモードにある。

自我の所在は、まるで靄のように漂っている。

多少の外界からの刺激に対しては自動的な反射で機能して反応する。

これに外界からの刺激が加わると、そのもやもやだった自我は面となり、外界からの刺激に鏡のように反応する。

自我は注意を払わないときには、靄(もや)であり、注意を払うと面となる。

まるで粒子の振舞のようなのだ。

この靄の状態から面になる時、その面の部分が分厚い人もいれば、面が脆弱な人、面が柔軟な人、がちがちに硬い人など様々なパターンがある。

自我の強い人は、面が分厚く硬い、繊細な人は面が薄く、ピンと張り柔軟性が無く割れやすい。

臨機応変に物事を多面的に見ることが出来る人は、面が柔らかい。

外界の刺激に対する反応(反射)に大きな差が出る。

こうして自我が反射することにより、相手にその刺激(情報)が跳ね返ったり(伝達)、他の人に情報として伝わる。これを人間の間(あいだ)で行っている。

まさに鏡の法則である。

自我の我を捨てると、鏡(かがみ)は神(かみ)となる。

悟りや無や空はこの自我が無い状態を言う。現世に生きている以上は悟ることはできない。

悟りの手前まで行くことは出来るが、それは死の一瞬手前にしか存在しない。生きている間に悟ることはできないのだ。

もし生きたまま悟れば、その人は目の前から一瞬で存在しなくなるだろう。

自我の反射これはコンピューターの情報伝達のようにも見れるし、人間の細胞間での神経伝達として見ることが出来る。

このようにして、情報が伝達され人間が反応したり、自然界が反応したり、宇宙に伝達されそのシステムを全体として動かす。

僕ら人間は自分の目の前で起きた出来事に反応しているように見えるが、実際はその伝達は総体的に起こっており、その経過を見ている(観察している)に過ぎない。

人間は全体で何が行われているのかについては全く感知できない。

すべては総体として現れ、全体のシステムとして動いているので、実際はあなたはただ外界の刺激(情報)の伝達者(媒介する物体)に過ぎない。

というか、それはとても重要なシステムの一部として動いている。

世の中の動きはすべてシステムの働きによるものであり、僕らがもっている自我という範疇ではおそらく思考など存在しない。

それは膝蓋腱反射のように自動に行われているのだ(あなたが考えていると思っている思考は、自我の働きによるものであり、単なる膝蓋腱反射、あるいは脊髄反射と同じである)

だから、あなたは何事がおきても、それは起こるべくして起こったことであり、それは全体として必ず意味のある反応となっているのだ。

あなたが現世に誕生した瞬間から、何もかもが決められており、あなたが出来ることは、それを観察して体験して、自分の役割を果たすことである。

僕らはただ、すでに用意されたものを解読している状態であり、解読が終わると死(伝達者としての)を迎える。

だから、あなたは生まれた瞬間から、大船に乗っているので何も心配せずにあなたの役割を全うすればそれでいいのだ。

生きている間にあなたに、何かが起こっても、それはあなたの責任ではなく、すでにそうなっているものを解読して伝達しているだけなのだからね。

あなたの自我を、人生を観察して経験してください。

それがあなたの今生での役割であり、重要な働きです。

 

追記

あなたが考えたものなどひとつもない、それはすべて外から来たものである。

 


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