うウォーキングを、やってます。

楽しく歩いてますが、小糸川河口から、下湯江、君津駅前方面を歩いています

ウオーキングやってます

2020-09-28 13:13:50 | 日記

アルジェリア

1970年代、北アフリカ、アルジェリア・スキクダへ。仕事で旅した。

私が30代中頃。季節は、日本人の、性格にあっている。暑いが、空気が乾燥していて、蒸し暑くなく過ごしやすいのである。夏、気温は日中、50℃位まで上がる。当時ヨーロッパから、白人が、バカンスで大勢やって来た。スキクダは、地中海に面しており、強烈な太陽と、地中海のブルーで、波がしらが、眼に痛い。海岸は広く、地中海を挟んで、対岸は、スペイン・ポルトガル・フランス・更には、イタリアへと。風光名美な映画のシーンも、それ以上。

勿論、始め、遊びは、ともかく、仕事行程、日本国内並みの、ペースで、がむしゃらに、働いた。現地人を養成しながら、の【トラバーユ】人種は現地、ベルベルの民】である。黒人とは、少し違う、肌は日本人によく似ている。【ベルベルの民は、少し前までは、ラクダや、羊を、追って、生活していた。フランスの植民地となり、彼ら、ベルベルの民の、良きにつけ、悪しきにつけ、苦難の歴史が始まる。現地人の中には、独立戦争の猛者もいて、40代の現地人で【私のグループ20人】の中にいた。誇り高く、穏やかなベルベル人。彼から、多くを学んだ。私が、赴任した時、フランスとの「独立戦争」が終わって、6~7年たった頃だった。映画に出て来る、【フランス外人部隊】【カスバの女】、そんなイメージがあるが、実際には、大分かけ離れてはいるが。フランスが引き揚げ、食いはぐれた、フランス女、ベルベル人との混血人、それらが「カスバ」に大勢いた。カスバは、鉄の扉に、閉ざされ、多くは、罪を犯した、女たちが暮らして居る。身体を売って、暮らして居るのだが、面白いのは、カスバで、体を売ると、罪が減じられるのだ。鉄の扉の中は、自由が保障され、一つの街が、形成されている。女たちの部屋は、小奇麗で、まるで、女王バチ。男どもが、寄り集まってくるのだ。性格もさっぱりした子が、多く、暗いイメージの感覚は全くない。イスラム教、アラーを敬い、「一日五回のコーラン」を唱え、アラーは全能で、「アラーアクバル」「サラマレゴン」「ワレゴンサラーム」。実際の、イスラムは、【敬虔な信者】が多く、一部のはねっ返りが、テロリズムを起こす。仕事は、砂漠の中で、すぐ横は、サハラ砂漠へとつながる。大陸特有の気候、モンスーン、砂嵐、サソリ、毒を持った昆虫が、うじゃじゃ。アルジェリアは、天然ガス、石油があり、それらを合成、する【プロジェクト】を建設に出かけたのだ。人恋しさ、「ホームシック」に襲われる。言葉のハンデ・・・御機嫌よう・以下次号へ😌

 



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