水の落ちる音
胆嚢摘出の記録
「腹痛」
これまで腹痛になったことはなかった。それが2017/12上旬、2回続けて
痛み出した。症状は同じで
「22時頃、右わき腹から右の背中がだるくなり、やがてみぞおちが痛くなる
(以下「痛み」という)」。
気休めに「ビオフェルミン」を飲んで眠り、翌朝はなんともなかった。
そのころ【柿】を朝昼晩に大量に食べていて、【柿】の食べ過ぎ程度に思っていた。
その後、3回目の「痛み」があった。
2017/12/22 「国保病院」の検診で触診してもらったが異常は見当たらず。
2017/12/25 健康診断。あとで検査結果が届き、異常なし。
2017/12/26 22時頃「痛み」。
2017/12/27
・ 正月休暇を控え「国保」で診察してもらった。異常は見当たらず。
・ 「胃カメラで調べる?」と聞かれたが、来月に健診結果が来るので断った。
・ 「消化薬」と「頓服」を出してもらう。
2017/12/31 「痛み」。「頓服薬」でおさまる。
2018/01/03 「痛み」。「頓服薬」でおさまる。
2018/02/03(土) 夕方より「痛み」。「頓服薬」は効かない。
2018/02/04(日)
・ 「痛んだり」、おさまったり。薬は効いていない。
・ 「あぶら汗」も出てきた。
・ 20時頃 「桜井市休日夜間応急診療所」へ。
・ 触診で「胆嚢の腫れ」の診断。明日かかりつけの病院へいくように言われた。
・ ここで出してもらった「痛みどめ薬」は効かなかった。
3日、4日の2日間は「痛み」で眠れなかった。
「検診・検査」
2018/02/05(月)
08:30 かかりつけの「国保病院内科」へ。ずっと検査で
・ 尿検査
・ 血液検査
・ 腹部エコー検査
・ 胸部レントゲン
ここで胆嚢の異常が見つかる。
さらに特定するために
・ CTスキャン
これが決め手となった。
10年前の記録が残っていて、比較すると私にもわかるくらい
胆嚢が大きくなっている。
「ちらしても、いずれは切らないといけない」と言われ、
「痛み」に耐え切れず、「切って下さい」とお願いした。
15:00 頃
手術する外科の先生と協議され、麻酔の先生が待機。その間に手術に必要な
・ 心電図
・ 身長、体重、肺活量
・ 腹部レントゲン
16:00 頃
外科の医師より手術の説明を受ける。途中「痛み」がひどくなり、
ベッドに横になる。先生は「内蔵の写真を見て気分の悪くなる方もおられ
ます」といわれた。そうではなく不本意に思った。
16:30 頃 3F集中治療室へ移動
・ 手術着を着る
・ 両脚はきつい靴下をはかせてくれた
「手術」
17:10 2F手術室へ 手術は3時間の予定。
・ 両手を固定されたところまで覚えている。
・ あとは記憶なし。
22:00(あとで聞いた時刻)
・ 「終わりましたよ、おぼえていますか」の声が聞こえた。
口元が苦しく、鼻のチューブを手で外そうとしたら、
「やめて下さいと」制止された。
・ ベッドにのせられたまま「廊下」「エレベータ」と思われるところを通る。
・ どこからか妻の「成功したよ」の声。
・「いま何時?」と聞くと「10時。お姉さんもいるよ」と答えてくれた。
・ 3Fの集中治療室へ戻り
「尿に管を入れてるのでトイレの心配はいりません」
「何かあったらこのボタンを押してください」など言われた。
意識ははっきりしてきたようだ。
・ じっとしていれば腹部の「痛み」はない。
・ そのまま眠ったが何度も目が覚めた。寝ている間、両足を風船で
動かしてもらっていた。
一夜明け
2018/02/06(火)
・ 寝る方向を変えようと言われ1回変えた。動くと痛い。
・ 寝たまま 腹部・胸部のレントゲン。
・ 酸素吸入の管と尿の管を抜かれる。
・ すぐに歩きましょうと歩かされた。ついでに排尿。
11:00頃 一般病棟に移る。
・ おならが出そうになるが、きばると腹がいたくできない。
・ そのうちにきばらなくとも出るようになった。
・ 起き上がる時、切り口が痛む。
・ 体温が 38.5℃。熱を下げる点滴と氷枕で冷やす。
2018/02/08(木)
・ 08:40 術後初めての排便(普通)。
・ 12:00 術後初めての食事。
「おかゆ」はすべて、「おかず」は50%食べた。
・ 18:00 夕食。これ以降の食事は完食。
2018/02/11(日)
・ 16:30 最後の点滴。注射針を抜いてもらう。
2018/02/13(火)
・ 12:00 昼食より「ごはん」に変わった。
・ 16:00 初めての入浴。
・ 19:00 医師と話し合い退院は2月20日に決定。
「退院」
2018/02/20(火)
・ 09:10 医師と話す。畑作業はしてもよい。
・ 09:30 体重は手術前より1kg減っていた。
・ 10:00 退院。
晴