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頭の整理:意見をはっきり言うことについて

前回書いた、横断歩道に戻ります。

大阪府が「横断歩道ハンドサイン運動」をしているように、多くの人が「私が渡る」というはっきりした意思を表明しないようです。

なぜこれができないか。

私は日本語が自分を外から見ることのない世界の見方をしていて、そこから派生した他者基準の文化だからだろうと思うのです。

「あの車が渡ろうとしている」という文で、これが外から見ると、私も渡ろうとしていて、車も渡ろうとしていて、という状況です。

英語であれば、車か私のどちらかが「横断歩道を渡る」の主語に必ずなります。

はっきり意思を表明する必要が出てくるのです。

 

これは車を運転していて方向指示器を出すタイミングにも表れていると思います。

確かに教習所では、「左折するときは、まず指示器を出して左側に寄って、それから左折する」と習うはずです。

でも実際には、左側に寄ってから曲がるタイミングで指示器を出す人が多くいます。

これがもし単純に自己中の人が多い、という話なら、曲がるときの指示器も出さないのではないでしょうか。

彼らの思考の中では、つまり日本語の文法的には「左に曲がる」という外の風景しか見えていないわけです。

それで左の指示器を出すタイミングが曲がるときになるのです。

 

これが英語であればどうなるのか。

「私が左に曲がる」と外から、もう一人の自分が左に曲がろうとする自分を眺めています。
後ろの車も見えています。「後ろの車はまっすぐ進む」と思考します。

「あなたはまっすぐ進むのに対して、私は左に曲がります」とはっきり意思、意見を表明するために、左の指示器を出します。

そうしてから曲がる、という風にスムーズにいくのではないか、と仮定しています。

荒唐無稽に思われるかもしれませんが、英語と日本語の違い、というのはそこまで影響を及ぼしているのではないでしょうか。

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