時ですね。
tideとかにして、時代の潮流について語ろうかと思いましたが、そんなにすごい人でもないので。
社会学的に時間論を考察してみようかとも思いますが、大学の一般教養のテストではCでしたから。
(まあ、ほとんど設問無視して自分の書きたい時間論を思い切り書ききったからね)
さて、これは多分、なんですが演出家はだれでも劇中の時間の流れ方というものを気にする、と思います。
時間経過ですね。
例えば、三場面あるとして、場面から場面へ1週間経っていたり、1年間経っていたりするわけで、そういう時間経過を暗転によってあらわす場合もあります。
昔見た「月の岬」というお芝居では、暗転中に鳴る風鈴の音がみごとに時間経過を表していて、若かりし僕はとても感動しました。
「チェロとケチャップ」でも後半から鈴の音が回想の始まりを告げる役割を果たしており、その音に関してアンケートに記述があったときはとても嬉しかったです。
この時間の流れ方、というのはもう少し突き詰めて考えると、お客さんの観劇中の時間の過ごし方でもあるわけです。
小説でも、一晩越して翌朝のシーンを見せたい時に、主人公が見上げた空の描写であったり、夜になっていく風景であったり、床についてから考えたことや脈絡のない夢などが書いてあることがあります。
あれは、作者の意図として、あるシーンからあるシーンへ読者が読み進めて行く際に、これぐらいの時間を経過させてから読ませたい、というのがあるからです。
そのために本編とかかわりの薄いシーンが挿入されたりすることもあるわけです。
それで僕は小説を読むときはなるだけ一気に読むことにしています。
徹夜とかになりがちなので嫌ですけれど、たいていの小説家はそこまで意識して書かれていたりするので、それも味わわないともったいないからです。
だから持ち歩くのは学術書だったり新書だったり雑誌だったりします。
あと短編小説とか。
もちろん雑誌やコミックでも読者の時間経過は考えていて、今日も怪談「みみなしほういち」を読む生徒に言っていたのは、漫画の左ページの一番左端の最後のコマは、ある程度ヒキ(次を読みたくならせる要素のこと)の強いコマになっているはずだと。つまり次のページを読者がめくるときに、いろんな想像をめぐらし次にどうなっているのだろうとわくわくさせるはずだと。
その生徒は漫画のクラブに入っているらしかったので、ほういちの前に最初に武将が登場するシーンの前にぜひとも間を置くべきだ、と伝えるために言いました。
お客さんが考える時間を作らないといけないよということです。
ちなみに、良く知られている技法ですが、「間」を活かすためにはその前の会話やシーンはコンパクトにしないといけません。
平田オリザさんの著書にも確か載っていました。
同じ様なことを他のチームにも言いました。
ものすごい速さで芝居が進んでしまうところがあったので、もっと分かりやすく、お客さんが何をしたかを確認する時間を取るように言いました。
観劇をしながらお客さんの頭の中に「あれ、何してるんだろう・・・」「そうかメニューを見ているのか」と分かっていく時間が必要なわけです。
特にメニューやいろんな小道具はなくパントマイムですから。
ドラマならレストランの背景があってメニューも本物を使いますから大丈夫ですが、演劇はお客さんの想像力が必要なので、ドラマやリアルなレストランでの感覚より少し長めに取る必要があります。
だからドラマだとお芝居自体はリアルにやれます。でもCMが入りますから、それを考慮して視聴者の時間の過ごさせ方を考えないといけません。
なので上述のコミックと同様に、CMの前後、そして各回の終わりには、とてもヒキの強い要素が必要です。
そのヒキの作り方がとても巧くて強力だから、だからあんなに海外ドラマが隆盛しているのだとも思います。
「24」が画期的だったのは、リアルタイムにこだわったことですね。あれは確かに緊迫感が否がおうにも高まります。
映画で三日間とか72時間とか、呪いや災害が起こるリミットが設定されるのも、多くは観客のため、効果的なストーリーテリングのためでしょう。
そういえば、尾田栄一郎先生のワンピースフィルムを拝見しました。
本当にものすごく面白かったです。
そして、一つ発見がありました。それは面白みが漫画的だな、ということです。
クリーチャーの創造性やギア2の描写、カットの切り方などは映画として本当にすごい迫力で才能のすごさを感じます。
一方、以前取り上げたサマーウオーズやハリウッド映画はジェットコースター的な作り方で、息つく暇がない、いったん乗り出したら最後まで行く直線的な面白さがすごい。
それに対し、ワンピースは場面が変わっていくコミックの面白さだな、と思いました。
どちらがいい悪いということではもちろんないです。
うちの母なんかは「24は見ていて疲れる」とファーストシーズン以来、続きは見ていないらしいです。
ERとかCSIとかは見てるのに。
ただ、細田守さんとか宮崎駿さんの館伽機の乗せ方と言うか、動きの造形というか構成は見事です。
例えばラピュタは、まず上空からいったん降りて地上へ、そしてさらに地下に行き、そこから地上へ出て、もう一度空へ、そしてラピュタへ、そしてまた地上へ帰っていくというふうに上下運動になっていて、観客も一緒に冒険をしていることが分かります。
ハリウッド映画では、シナリオライターは、3分に一度何かを起こさないといけないらしいです。
人間の生態リズムとして確かに何もない状態で我慢できるのは3分です。
ウルトラマンの活動時間であり、カップラーメンの時間です。
また、大学の講義が90分であるように、人間の集中力が持つ時間は90分らしいです。
あと、ドラマなんかも通常15分に一度くらいCMが入っているはず。
こうした数字というか時間のことは僕も頭に入れて作っています。
だから基本的に80分ぐらいを目標に作劇しますし、3分に一度は目新しいことが起こる様に作っているつもりです。
ちなみに過去の作品で、15分ごとに(きっちりじゃないけど)名探偵コナンのCMの入りと出に鳴るような扉の閉まる音を鳴らしたものもありました。
蛇足ですが、関連して考察を深めたことについて書き記しておきます。
以前「演劇にしか出来ないこと」にこだわることがナンセンスな気がすると書いていましたが、そうではなくてそれについて語ることにあんまり興味がないんだと思います。
きっと「演劇にしか出来ないこと」にこだわるというのと同じコトを言っているに過ぎないのだと思うのですが、創作者はみな、観客を意識して作品を作るので、小説でもドラマでも映画でも演劇でも漫画でも、今日書いたようにお客さんがどんな時間の過ごし方を劇中にするのか、どんな風に物語に触れていくのか、そういうことを考えていけばおのずとその分野自体の表現になっていくのではないかと。
それは同じ演劇でも、20人入るバーと100人入る劇場と1000人いる大劇場では作品が変わってくるのと同じです。
最近の「演出家の眼」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事