月曜連載のはずが・・・、各方面、多忙のため主に連絡面でご迷惑をおかけしております、申し訳ありません。
さて、論理です。
興味深いことに、英語でもロジックで、ロですね。
僕はかつては論理こそ全てと思っていました。
小学3年か4年の時に30センチ物差しを前に座っていた子に取られてしまい、「泥棒」とその子に言ったことを担任の先生に見咎められ「友達にそんなことをいうべきではない」と言われました。なぜ被害者である私が怒られねばならないのだ、と理不尽なことに義憤も感じて「広辞苑を開いて調べてみてください」とお伝えしましたが話にならず、「行為に対して泥棒と言ったことのどこが悪いのだろう」「論理的にいって間違いではない」と思ったものでした。たしかに前の子にはそこまでの悪意はなかったのかもしれません。単なる揶揄いやイタズラのつもりだったのかも。でもそう言うのがいじめの温床になっていきそうな気もしますよね。
まあ、この事件はともかく、論理で人を追い詰めがちな性分は、もう少し改めていきたいと思っている今日この頃です。
でも、演出する上で論理は重要です。お芝居というのは基本的にアクションとリアクションで進んでいき、それは原因と結果とも言い換えられます。それは作品の、物語の、そして各キャラクターの論理を追うことにほかなりません。
尊敬しているある演出家が授業でおっしゃっていたのですが、欧米の俳優との話し合いでは、どんなことでも話し合ってその上で決まるということが重要で、10割演出のいうことに決定されても、話し合う時間が重要で、大抵は自分の論理で相手を説得することが多い、というような趣旨のことを言われていました。
すごい自信ですが、相手を説得する手段としてすじがとおっていることや、根拠のあることは重要です。特に演出家はロジックを駆使します。
そして僕は作品を作る上でも、計算や論理を重視し、上手くいっていないシーンについては原因を究明し、大体の作品は論理的に構成していて、論理的に説明ができます
でも、でもです。意外と論理だけで行くと掬いあげられないものも出てくるんですよね。今2016年の「思い出せない〜」とは違う「銀河鉄道の夜」原作の戯曲に取り組んでいますが、特に宮沢賢治の作品なんかは不思議なことのオンパレードで、詩だなあ、と思ったりします。それに今はわかりますが、人の心は論理だけじゃあ動かないし説明できないですもんね。
いまはほんの少し、担任の先生の気持ちも分かります。
しかし、取られた僕の気持ちの方を慮るべきだったろう、と僕が逆の立場ならそこをまずすくい取ろうと思っていますが。
Tomo Matsuura
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