Re-Set by yoshioka ko

■合掌

 目立たない記事かも知れないが、私にはちょっとした思い出があったので書き留めておきたい。まずは記事の内容から。

《以下引用》
 「70年に起きた日航機「よど号」ハイジャック事件のメンバーで、元赤軍派の田中義三受刑者(58)が1日未明、入院先の千葉県内の病院で死亡した。田中受刑者は、国外移送略取などの罪で懲役12年の判決を受けて服役していたが、内臓疾患が悪化したため、東京高検が先月15日、刑の執行停止を決め、釈放。千葉県内の病院に入院していた。田中受刑者は、70年3月にほかの赤軍派メンバー8人と羽田発福岡行きのよど号を乗っ取り、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に渡った。96年に偽米ドル札を所持していたとしてタイ当局に逮捕され、99年にバンコク刑事裁判所で無罪判決を受けた後、00年に日本に身柄送還された際、警視庁に逮捕された」(1月2日『朝日新聞』)《引用ここまで》

 私が田中義三に会ったのは、バンコクだった。タイの刑事裁判所での何回目かの裁判のあと、裁判所内の一室での単独インタビューとなった。赤い受刑服に身を包み、手錠がかけられた状態で田中は登場した。00年6月のことだった。

 ハイジャック事件に関わるようになったいきさつ、北朝鮮での暮らし、旧東欧で
のさまざまな活動、カンボジアでの仕事、偽米ドル事件、そして日本に帰国したいという決意など、インタビューは1時間では足りず、翌日には収監されていた刑務所に出向いて話を聞いた。

 その中で田中は、ハイジャックは間違いだった、ピョンヤンに向かったけれども、北朝鮮のために何かをしようとしたのではない、逮捕覚悟の上で帰国したい、罪に復したら、カンボジアで暮らしたい、などと語っていたものだった。

 病気を理由に刑務所から病院に移った、という話は聞いていた。そしてかなり思い病状だということも聞いていた。そして元来の性分から、病状が回復したら、日本の60年代後半から70年代のある種「狂気」について、もう一度インタビューをしてみたいと思っていた矢先の死だった。ともあれ合掌。

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