それにしても、である。死刑と判断された「人道に対する罪」とは、フセインの独裁統治を指すのではなく、1982年に起きたシーア派住民148人を虐殺したことだった。何で今さら、感を抱かせる。
イラク戦争は「独裁」を「民主」に変えるといって始まった。当然、「独裁」が裁かれるはずだった。戦争のきっかけとなった「独裁」が裁判で裁かれなかったことは、この裁判がいかに混迷していたを物語っている。
果たしてこの死刑執行で、イラクに和平が訪れるのだろうか。そう思っている人びとは皆無だろう。むしろスンニ派によるシーア派への報復戦は激しくなるに違いない。そしてアメリカもまた、引くに引けない泥沼にはまり込んだまま、新しい年を迎えた。
干支最後となる「亥」年が明けた。日本の今年は政治も経済も、そして働くという意味も劇的に変化するに違いない。「猪突猛進」というヤツだ。ここはひとつ、きっちりと目を醒まして声を出していくところから始めたいと思う。
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